好きな俳優のいる映画をみて、その好きさ加減について
想いを馳せながら他愛も無いことグダグダ書く。
これほど幸せな映画体験が一体どれぐらいあるだろうか?
ただなんとなくその映画が好きというのもあれば
その監督だからあえて見る、ということもままあるなかで、
そのなかの俳優をわざわざ追いかけてみる、
そして抜き出して光を注いでみる、という行為は
想像におけるストーキングそのものである。
映画そのものの本質からは、少しだけずれているような気もするのだが、
逆に考えれば、その俳優でなければ、この映画は成立するのだろうか、
という命題にも繋がるものがあるのだと思う。
要するに、監督の力なのか、その俳優の力なのか、という
映画における絶対力学の話だ。
しかし、そこまで難しく考える必要もなかろう。
少なくとも、好きになった映画の、
そのたまらない空間の中にいる俳優に
ただ無償の恋をする、まさにそんな感覚に過ぎないのだから。
初めて人を認識する瞬間、その絶対の愛の対象が母親なのだとしたら
そこに理屈など存在しない。
言うなれば、その映画が傑作であれ、駄作であれ、
その俳優が写っているだけで、
何か話したり、何か気になる仕草をしたりするだけで
我々観客の心を奪ってしまうほどの存在。
自分が仮にそういう立場の一俳優だとしたら、
そんな嬉しいことはないだろう。
だが、所詮、映画とは監督のものだ。
監督次第で、役者は死んだり輝いたりするのだから。
俳優はあくまで素材に過ぎない。
だからと言って、ここでは、そうした比較に基づいて書き始めようなどという
大それた考えは一切ない。
ただその映画が好きだという理由を
あえて俳優目線に落とし込んで考えてみた、それだけのことなのだ。
Cracked Actor (Live) · David Bowie
赤い上着を羽織ったボウイが骸骨を愛でるようにキスをする「Cracked Actor (気のふれた男優)」1974年9月5日のロサンゼルス公演からのライブ盤。
ヘイユー、メイユー、シーヤレイラ。僕の好きな俳優のたたずむ映画コレクション(邦画編)
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