市原悦子スタイル『しゃぼん玉』の場合

しゃぼん玉 2017 東伸児

この世の某悪党たちに贈る、語り婆やの改悛ソコヂカラ

坊や、良い子だネンネしな〜♩
このフレーズを耳にするだけで
ゆりかごの上でまどろむ子守唄のように、
無条件で身を任せてしまう何か。
じんわりイメージが広がる共通の退行行為。
それはある種幸福な感情の弛緩というべきか。

そう、あれは小さい時にみた
『まんが日本昔ばなし』というテレビアニメに由来する。
必ずしも牧歌的、あるいは享楽的世界でもなく
教訓的で、時折どこか恐ろしい人間の性すらも暴かれていた気もするのだが、
なぜだか心に深く残っている原風景のような番組だった。

文部省推薦的な、昔話のもつ道徳的な世界観はさておき、
市原悦子、常田富士男この二人の語り部が持つ、
昔話を不思議な臨場感でもって演出するあの空気感そのものの影響力は
決して小さいものではなかったように思われる。
まさに、声の力、表現力に圧倒されたものだった。

あれから何十年、月日は矢のごとく流れ
その二人は、2018年夏に常田富士男が、
そして翌年一月に市原悦子が盟友の後を追うように
極楽浄土へと旅立たれてしまった。
奇しくも同時期に天に召されたというのも、
どこか不思議な説話的出来事のように思われてくる。
とりわけ市原悦子の語りには、
あたかもシャーマンの持つ波動のように
どこかこの世のものではない霊性さえ孕んでいるような
そんな気がしたものだった。

これは全くの偶然であるのだが
その市原悦子の遺作となった『シャボン玉』を観た。
遺作だからでも、市原悦子がでいるからでもないが、
この映画に出てくる登場人物のなかで
唯一名前と顔が一致する俳優であったことで
観ようと思わせる何かがあったのかもしれない。
このままどこか地味に埋もれそうな作品であるような気がして
一切世評に左右されず、己の感性にしたがって
導かれたように見ることができる映画として
食指が動いたのである。

乃南アサのベストセラー小説の映画化ということだが
乃南アサの小説はこれまで一冊も読んだことがなく
比較することはできないが、
確かにその好評を博す片鱗は十分垣間見えた。
その意味で『しゃぼん玉』には
新鮮な映画体験と呼ぶべきものが備わっていたわけである。

中でも市原悦子演じる老婆スマの存在感が
実に素晴らしいと思わず引き込まれたのであるが、
我が子でもない青年イズミを絶えず「坊」と呼び
さりげない愛情をそそぎ改悛へと導くその姿には
どこか菩薩のようでもあり
母なるもの大地としての包容力が漂っており、
まるで『日本昔ばなし』のごとく耳に入ってくるセリフ、
その抑揚に、なにやら感情が揺すぶられてしまうのだ。
やはり、只者ではない女優という思いを禁じえない。

市原悦子というと一連の「家政婦を見た」で
つとに名前が通っているのだが、
長谷川和彦『青春の殺人者』で見せたあの狂気の母親像をはじめ、
勅使河原宏の安部公房原作『燃え尽きた地図』での不条理じみた依頼人など
独特の存在感をもつ女優として
この映画を通してもっと評価されるべき姿を
純粋に突きつけられた気がしている。
同時に、そんな女優がこの映画を後に
この世から去ってしまった現実に一抹の寂しさが募る。

一方でイズミと名乗る青年は
両親の愛を受けることなく成長し、
その恨みから社会的に弱い立場の女、老人を狙い
強盗を重ねる悪党である。
偶然たどり着いた宮崎の山村で、
ふと負傷した老婆を助ける羽目になることから、
その家に住み着つくようになり、土地の人々の情にふれ
次第に改心してゆく、という話を林遣都が見事に演じている。

人は誰しも悪人に生まれる訳ではないのだ。
そして、人間は、どんなに強くあろうとしても
他者に愛されることがなければ、
他人への愛など芽生えはしないのだと、
この映画は静かに語ってみせる。
確かに育った環境や境遇が、悪への手ほどきをすることを理解している。
だが、それだけで感情移入できるほど、
安穏とした社会ではない。

イズミもまた、そういう人間だが、
ただ一人、偶然出会った、血のつながりや忖度のない
無償の愛情を受けることで
善の感情がようやく再生されるのだ。
だが、どこにも道徳的な場面もなく、
素朴で飾りのない人間と人間とのふれあいを通じて、
その青年の痛みがナチュラルに変化してゆくところに
映画としての共感が湧く。

それにしても平家落人の隠れ里として知られる
宮崎の椎葉村の美しさと言ったら・・・
村の96%が山林というまさに秘境である。
平家の末裔鶴富姫と源氏の武将・那須大八郎による
約800年の年月をへて今尚悲恋物語が語り継がれ、
毎年「椎葉平家まつり」が催される土地。
この映画がこの地にたどり着いたことが
奇跡の始まりだったようにさえ思える。
この映画の持つたおやかな慈愛の眼差しに
どこか落ちぶれた平家一門へ、
敵将那須大八郎の慈悲の眼差しを
優しく重ね合わせてみるのもいいかもしれない。

ラストにはご当地宮崎出身のシンガーソングライター
秦基博の「アイ」が被ってきてエンドロール。
帰る場所がなく、行くあてもなかった人間が
過去を清算して初めて見る温もりの灯が目の前に灯っている。
幸福な体験がまたひとつ、記憶に刻まれて行く映画である。

最後に、監督東伸児について触れておこう。
佐藤純彌や阪本順治と言った監督のもとで助監督を経たのち
テレビドラマ「相棒」の第7シリーズより監督としてデビューしたが、
劇場映画はこれが初監督作品である。
それ以上のことを語れるほどのものは持ち合わせてはいないが、
『しゃぼん玉』を見る限り、今後の作風に期待したいと思う。

秦 基博: アイ

宮崎出身の秦基博が抜擢された主題歌「アイ」。
「目に見えないから アイなんて信じない そうやって自分をごまかしてきたんだよ」という歌詞が刺さる。

かさじぞう 市原悦子 常田富士男 

音楽ではないものの、市原悦子と常田富士男のコンビによる日本昔話の語りには、音楽的情緒が溢れているように思える。見事である。文化遺産と呼んでも差し支えないほどに。実に味わい深いものがある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です