ボクはアラカワで花火をみた

2005.8.6の日記より

8.6はあなたのひとむかし前のマックのヴァージョンではない。ヒロシマの痛みなど、なにひとつわからないボクがすることはというと、黙とう、ではなく、「二十四時間の情事」を観ること。つまり、忘れてはならないのは、痛みではない。他人の痛みなど、他人にはわからないということをしっかりとおぼえておかなきゃならないということだ。

茶化すつもりはない、原爆記念日に、レネの映画を観ることはそういうことだ。キミは広島でなにもみちゃいない。十五分にもわたる原爆の記録映像よりも、なぜだか、このフレーズが頭からはなれない。たとえ、どんなに、その事実をしったところで、あのときの、あの恐怖、あの忌まわしい出来事を体験することはできない。

何度観ても、この映画は素晴らしいと思う。テクストの強度もさることながら、映像のもつ魔力にはかなわない。今観ると、ヌヴェールでのエマニュエル・リヴァの設定に無理があるとか、岡田英次のフランス語がちょっとね・・・とか、記録映像のアラなんかも、みえたりする、がしかし、素晴らしさは今でも変らないし、この映画が頭から離れないのは嘘ではない。

フランス人は日本人がRの発音が下手なように、H(アッシュ)の発音が苦手だ。そういう音がないのである。だから、ヒロシマは、音声上イロシマ、となる。文字通り、異国の妻子ある色男とたった一日だけの恋におちる、すなわち、色島なのだ。

PS
暑い太陽は呑気にボクを外へ駆り立てる。 板橋美術館でボローニャ原画展を観たあと、ついでに荒川の花火大会を観る。生の花火大会はこれが初めてだったが、臨場感があって素晴らしい。小さい頃、自分で火薬を調合した記憶がある。不発だった。火薬の匂いが好きだった。夏の夜空のゲイジュツ。かつて、ヒロシマやナガサキの空には、美しくないキノコ雲が沸き上がったが、現代の空には、色とりどりの花火を、うわあ、すげー、きれ^ーなどといって、笑いながら観ることができる。その幸福を誰に感謝すればいいのだろう?