AFTENOON OPIUM-DIGEEP

DIGEEP

衝動は変化を纏って進化する

かつて、衝動のみによって、しこたま紙の上にシャーペン一本で描きなぐった1000枚ほどの線画たち「AFTENOON OPIUM」を、何十年ぶりにじっくり吟味し整理しながら、これまたせっせとスキャンニングしなおし、デジタルデータとして取り込んでから、そいつを新たにPHOTOSHOP上で一枚の絵画とlなるべく加工をほどこして出来上がったシリーズ。音楽でいうところのREMIX版である。アナログ固有のシンプルな線が、デジタルのマジックで深みを増し、ニューペインティングとして生まれ変わる。物によっては原型さえその容姿を留めることなく自由な変遷を謳歌しているのだ。

なんということだろうか。これを「DIGEEP(DIGITAL +DEEP)」と名付けてみた。デジタルの深み、あるいは深掘りをする、といった意味合いになろうか。はじめに線画に魅了され、その可能性を探ってきたが、こうして新たにデジタルに再生成されると、どこまでも自由に、さらに奥行きをもった世界観を打ち出すことができるのだ。これもまた内なる「発見」というわけだが、線画「AFTENOON OPIUM」とデジタル処理された「DIGEEP」との違いは、線画の状態で、ほぼなんの価値もないと思っていたような落書きでさえ、デジタル処理によって、生き生きと新たな命を吹き込まれ、全く別物と変わりゆく姿を眺めながら、ただ驚くのみである。ごまかしを拒否し、すべてのありのままの能力がにじみだすのが線画の魅力というものだが、この「DIGEEP」作品は、いくらだってごまかしが効くし、色や別のフォルムをまとって、まったく違う作品に生まれ変わる。いわば大人の風情を纏ったより視覚に訴えうる魅せることへの変貌を遂げた作品に、思わず見入ってしまうような化学変化が起こっている。まるでそれは一つの細胞から、分裂して増殖しているアメーバのごとく半永久的に変容を再生を繰り返すわけだが、これは、人間でいうところの、成長というべきか、はたまた進化というべきか。どちらも同じ個の目、この手を通して、偶然に生まれ落ちたものではあるが、時間を経て、多くのプロセスを踏んだ分、「DIGEEP」には言葉でいいえぬ情感を寄せるのは、自然の摂理なのかもしれない。それは、目に入れても痛くない孫を見守る気分というべきか。とはいえ、「DIGEEP」はあくまで「DIGEEP」であり、我が表現の新たな一面として君臨し、次なるステージへのステップを記録してゆくだろう。

がしかし、初期衝動の感激や、その稚拙ながらも放っていた、純粋無垢な流れるような線のフォルムの美しさを超えるものではない。それはピュアイノセントから、俗世にまぎれ、まみれ、生き方を模索しながら生き延びた個としての輝きを放ちながらも、通底する永久に変わることなき精神に、なんらかわりがないという事実を端的に証明している。