衝動異物

すべてのアレゴリーはロマネスクの糞である。北園克衛

クツカリ編(抜粋)

 何ぶんチェックに抜かりはない。暗証番号を知らなければむやみやたらに出入りは出来ない、防犯カメラが斜に睨みをきかせたいかにも今風のマンションである。日々郵便物を待ちわびるその銀ピカのメールボックスの横で、最上階まで、ポンプで汲み上げられる水のように上下運動を繰り返すエレベーターの、とても従順あるいはクールな反復もボタンひとつ。ひっきりなしに働き詰めなんてことにはまずなりっこない。いわゆるチビッコの相手をしなくていいからで、とりあえず無駄な動きは省略できる。来るときは宅急便が立て続けに、また引っ越し等でちょいとここらでひと踏ん張りというような時がたまにあるぐらいか。

 今日も日の四分の三程度が過ぎようとしている。建物自体が、訪れる夜への高揚をほてらせているといわんばかり、ダイダイ色の西日にしっかり染め上げられ佇むなか、エレベーターはいつも通りの調子でその垂直の駆動に抜かりはない。さても、今これから立ち寄ろうとするのは、なにかと近頃とみに扉の開閉頻度が増しているような気がしないでもない最上階のようで、コツコツコツとやや急ぎ気味の足音をいつものように廊下中に響き渡らせ、そのままの急いたリズムで不躾にお呼びが掛かった。

 この階だけが特に《常連さん》というわけではないはずだが、匂いの相違ぐらいはね、といわんばかり、概略を即座にキャッチし、ああ、あの芳香を振りまく女でしょ、とぐらいは日頃の経験から感知できるほどの平静さは常備しているようであった。さても扉を開けば、艶やかな風采の女ひとりがいつものように疾風のごとくさっと乗り込んで、いざ下へ下へと降りてゆく。あとは優しく扉を開いてやりさえすればいい。何ならその後ろ姿次第では、いってらっしゃいの一言でも掛けてやろうと思う日がないわけではなかろう。が、余計なお世話だと思うことはやらないというのが決まりだ。そうしてひと仕事終えたばかりのクールボックスは、女の匂いの残滓を幾分甘く籠らせたまま、次の誰かがやってくるまでひとまず仮眠状態、といったところ。

 こうして、匂いという現象に乗じて、さらに別の匂いを嗅ぎ付けるといった気配を、サスペンスというほどのものでもなかろうが、偶然にも漂わせるその階で、近頃不思議な光景が頻繁に目撃されている。

 ヘンなんだけれど、どこか愛らしくて惹かれるところがあってね、という住民たちの駄弁が、必ずしもヒソヒソ話という感じでもなく、むしろ諧謔気味にすら響くあり様だから、どうも身構える必要もないらしい。

 はて、同階を拠点として噂が噂を呼び、どこまでその輪が拡がっているのか確かなところではないが、ちょっとした物好きなら働かぬわけにもいかない嗅覚がまんまとその話にかどわかされ、そのうち連日出来事の真相を自分の目で確かめようと渦中の九階を代わる代わる訪れては、それぞれに自己の感情と戯れる羽目となっている。

「へぇ~、なるほど、こいつが噂の」
「いったい何だっていうんだ?」
「あっ、いるいる!」
「う~ん、こりゃ傑作だね」

とまあこんな具合だ。
はたして、何がいるというのやら。生き物であるらしいこと、とりあえずこれには間違いあるまい。

シャポカリ編(抜粋)

 かつて、あたかも衝動的だとでもいわんばかりに人様の靴に間借りし、一部ではあるが確かにある種の鍾愛の情を掛けてもらっていたことのある通称クツカリこと《衝動異物》の、その後の消息を追うものを知らない。
 人間でなくとも、それが目の中に入れても痛くないような、いわゆる、いやあ我が家にも家族がひとり増えましてね、などといわしめる待遇を受けようかという犬様や猫様なら、捜索願いのひとつやふたつだされてもいいところであるし、同時にまた、その軌跡を知ってはならないというような厳格さなど、これっぽちも覗かせはしないはずである。

ところが、その孤高性ゆえというのか、気のきいたお節介とは一切合切無縁である存在とばかりに、ツーリスト相手のひとりのしがない大道芸人よろしく、その場限りの注目度であえなく追及、捜索の手をかい潜ってしまったというのである。

それゆえに、暗黙のルールによって子供たちにいったんはいとまごいを告げた格好の、テレビアニメのヒーローやヒロインたちが舞台裏で背負うことになる宿命のようなそれ、つまりは再会が待ち遠しいといった声など、どこからも聞こえてきそうもない。好評を博しておきながら、ひと舞台を終えてもなぜだかアンコールのかからないスター、というのも実に寂しいものである。

だからといって、ことを大袈裟に考えることもなかろう。なにしろそれこそは非攻撃質のキャラクター、突飛だとはいえ、抜け目のなさとは似ても似つかぬ不器用さから、かえってユーモラスな道化的一面、人間の情に絡んでくる生の側面を必然的に浮き彫りにしてしまうだけというのだから、やはり大袈裟に考える必要もあるまい。まずは手始めに近所のよしみから何気なく瞳の交わりだけで疎通を交わす程度の振舞をもってよし、とすればいい。

そう、確かに存在はするはずである。どこか身近に、あるいはそんなところにというようなところに。が、かような事情がどこでどんな巡り合いのもとに認識されているというのか、その名が世に轟き渡るまでにはこの歴史、あまりにも浅いのだ。とりあえず、日々の興行は大衆の目を媒体としなければ《全国区》も夢のまた夢というわけである。(並々ならぬ)寵愛から(箸にも棒にも掛からぬ)冷遇まで、とにかく一喜一憂などする間もなく、時の間をすり抜けてまでも生き延びようとする衝動異物なるものがいるというのであれば、絶滅の危機をつらつらおもんみられるような日が堂々こようとこまいとそれはそれ、出会した暁には試供品が配布されるようなものとして、いわんやそれなりの疎通を試みたいものである。

衝動異物とは何者なのか?

はじめに言ってしまえば身もふたもないことだが、なんのことはない、小動物と入力したのが偶然にも“衝動異物”に誤変換されてしまっただけのことである。だから、正式には自分が頭をひねって考え出したものではないのだ。がしかし、その瞬間、思わず膝を叩いた。これだと。その響き、余韻に浸ってみた。この「衝動➕異物」という偶然の組み合わせのインパクトが実に面白いと思った。そのまま気にもとめずにいたら、このタイトルは永遠にお蔵入りだったのだ。あまりにもツボだったものだから、ありがたく拝借したまでである。まさに自分が求めていたものはこれだと直感的に思えたのである。

内容に関しては、読む人間のイマジネーションを邪魔したくはないので、あまりくどくど説明したくはないのだが、現状、本は絶版だし、手元に三冊しか残されてはいない。だから、読まれることを前提に話がしづらいところで、一応成り行き上、そう書いておくことにしよう。今の所、増版の予定も、改訂して出版する予定もない。いずれそういう機会があれば、その時考えるかもしれない。そのキャラは、概ねヤドカリを想像してもらえれば、ほぼイメージはできる。そう、あの類だ。それが都会のとある場所に出没して、その現場であるとても小さな社会で、騒動を引き起こす。騒動といっても大した話ではない。微妙な話だ。で、それをまさに衝動的に勢いで以って書き上げた物語である。だから、別に突拍子もないキャラクターというわけでもない。むしろ親しみやすさを兼ね備えており、なんなら絵本の主役になっても不思議ではないかもしれない。

そもそも、小さい頃からヤドカリの生態に興味があった。実に面白い生き物だなと親しみを抱いていたのだ。要するに、間借りする生き物というのが、実に人間っぽい感じがするのだ。なにせ、この世は所詮間借り人ばかりなのだから。人間そのものが、この地球に間借りして生きている、といっても過言ではないだろう。そこに人格ならぬ、個性を与えてみたらどうなるのか? というだけのことだが、話は一貫して、間借りされた側の感情のみが一方的に展開されるように書いた。要するに、衝動異物なる生き物は、間借りされた人間としての単なる妄想なのかもしれない。文字通り、他人の思考を間借りしているという、そういうメタフィクションになるのかもしれないと、書いてみた。最初は靴に、次に帽子に、そして、この続編として古紙、すなわち廃品回収などと一緒に生息することで、一応一区切りつけようとしたのだが、最後だけは構想のみで未完のままである。

物語を頭で構築したことは一度もない。ただ、何かが浮かび上がるか、ひっかりさえすれば、それを元に文字が連なってゆくだけのことで、その意味では、小説家を標榜するほどの器でもないし、かといって、何か特別のことだと思って書いたものでもないのだが、そうやって今考えると、そういう自分のスタンスに合致する生き物こそ、この衝動異物の名に相応しいのでは、と思っている。