ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.34 女と男のいる鼓動 映画特集映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.34 女と男のいる鼓動 映画特集

恋は勉学の対象でないが、映画にはロマンティックで マネしたいようなそんな瞬間はいくらでもある。 でも、チョット待って! そんな安直な特集をここで繰り広げたいのですか? そう思いのあなたにだけ、特別な映画をご紹介しよう! 別段、美男美女のロマンティックな恋模様だけが全てではない。 くたびれのもがきであろうと、老いらくの狂い咲きであれ、 またまたトンチンカンで自己中な思いであれ、 はたわけのわからぬ戯れであれなんであれ、 そこにいる男と女がそれぞれの立場で、 相手を思い、すれ違う様を瞳に映じて夢をみようというだけの話だ。

Les plus belles années d'une vie映画・俳優

クロード・ルルーシュ「男と女 人生最良の日々」をめぐって

クロード・ルルーシュの代表作にて名作『男と女』の その続編の続編いわば53年(33年)後の二人の再会ドラマである 『男と女 人生最良の日々』について書いてみよう。 いやあ、言葉にならないなあ、と思う。 余韻が広がり、それにまたため息が出るほどだ。 これを幸福の現象と言わずしてなんと言うべきか。 演技をこえて、二人の人生が映画空間で重ね合わさった 晩年の男と女の再会劇の感動は簡単に言葉では言い尽くせないのだ。

Un Homme Et Une Femme」1966 Claude Lelouch映画・俳優

クロード・ルルーシュ『男と女』について

男と女の恋模様、というと、そのタイトルからも この映画に触れぬわけにはいきませんね。 あの大人の恋愛映画の決定版、といえば クロード・ルルーシュの『男と女』について書かぬわけにはいきません。 ピエール・バルー&ニコラ・クロワジーユのあの歌 ダバダバダ、ダバダバダで有名なあれ。 改めて言うまでもない、あの映画のことです。

隣の女 1981 フランソワ・トリュフォー映画・俳優

フランソワ・トリュフォー『隣の女 』をめぐって 

恋愛とは必ずしも甘美なことばかりではない・・・ なにを当たり前のことをいうのだ、と思うかもしれないが 恋の代償は、なまじ心の痛みを伴うが故に他人にはわからない。 当人にとっては、すこぶる深刻な問題なのだ。 それが究極にまでいきつくと、死まで突っ走ってしまうこともある。 愛を軽んじてはいけない。 フランソワ・トリュフォー『隣の女』はそんな映画の一本である。 とはいえ、ただのつまらない不倫話という、 ある種、下世話なジャンルになりさがることもなく、 恋愛の美しさとむごたらしさの境界を 粛々と描いてみせるトリュフォーの手腕により、 いい映画だった、と口にするのも躊躇うほど 怖ろしい結末へと導かれてゆく。

恋する惑星 1995 ウォン・カーウァイ映画・俳優

ウォン・カーウァイ『恋する惑星』をめぐって

おしゃれな恋愛映画は何?って聞かれたら まず、このウォン・カーウァイの『恋する惑星』を挙げる。 『欲望の翼』と共に、日本でも人気にある代表作の一本だ。 ぼくはこれを二十代に見て、とても感銘を受けたし いまだに、ドキドキしながら見返す口だけど、 今時の若者ならどうみるのかは興味深い。 ポケベルや黒電話、音楽の再生がCDってところに、 時代感覚が刻印されているように、 所々は90年代文化の匂いはするものの、 別段、今見ても古臭さというものを感じたりはしない。

Mauvais Sang 1986 LEOS CALAX文学・作家・本

レオス・カラックス『汚れた血』をめぐって

愛のない性交渉で感染するというSTBOの脅威に晒されるパリに ランボーの『地獄の季節』の詩編からとった二作目、 とりわけ『汚れた血』の印象がカラックス像を決定づけた。 カラックスの分身たるドニ・ラヴァンの風貌、 その存在感は圧倒的に異質なものに映った。 面構えからして只者ではないのだ。 (確か来日時には「笑っていいとも!」にも出演していたっけ) あの注目を浴びたデヴィッド・ボウイの「モダンラブ」をバックに ワンカットで疾走するシーンに、 こちらも青春を重ねて合わせてみた記憶がある。 だれしもあんなふうにまっすぐ思いのまま突っ走りたいのだと。

女が階段を上る時 1960 成瀬巳喜男アート・デザイン・写真

成瀬巳喜男『女が階段を上る時』をめぐって

その上で、この映画における森雅之のグズグズ感、 仲代達矢の小生意気なニヒルっぷり 頑張って生きる女たちの周辺を巡って 男たちは絶えず甘い汁を吸おうと集まってくる。 女は人生に翻弄されながらもたくましく生きてゆく。 こうした一つ一つが積み重なって奇跡のように 上質で無駄のない日本映画の黄金時代を証明する作品に仕上がっている。

女と男のいる舗道アート・デザイン・写真

ジャン=リュック・ゴダール『女と男のいる舗道』をめぐって

要するに『女と男のいる舗道』は ゴダール流のアンナ・カリーナへの愛を汲み取らねばならない。 ルイズ・ヘアーにさせ、 映画館でドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』を見て涙をながさせ 娼婦のまねごとをさせ、そしてあっさりと死の洗礼を浴びせる。 非常なのか、クールなのか、 そんなレトリックにゴダールとカリーナの六年間の愛の歳月をみる。

8 1/2 1963 フェデリコ・フェリーニ映画・俳優

フェデリコ・フェリーニ『8½』をめぐって

よって、サーカス、そして祝祭的な人間讃歌がそこにあるのだとして フェリーニ映画を代表する作品、という認識は間違いではない。 人、状況、そして自らの創造性(芸術性)、 こうした映画作りの現実を前に、さんざん困惑し、もがき、苦悩し、 にっちもさっちもいかない袋小路な状況下にまでおいやられながら 結局は、ラストシーンで、出演者が手をつなぎ、 「人生は祭りだ、共に生きよう」と結ぶフェリーニ的映画の帰結の流れが 心の底からフェリーニ的映画人生のイメージに寄り添い、 われわれをいかにも陶酔へと誘い、 これみよがしに包み込んでくれる作品には、感動の言葉こそが似つかわしい。

COFFEE AND CIGARETTES 2003 JIM JARMUSH映画・俳優

ジム・ジャームッシュ『コーヒー&シガレッツ』をめぐって

ここでとりあげる映画『コーヒー&シガレッツ』などは最たるもので 文字通り、登場人物がタバコを吸ってコーヒー(紅茶)を飲みながら、 目の前にいる人物たちと、とりとめのない会話をするだけの映画だ。 退屈さと面白さ、その背中合わせの空気が 手短に11話収められたショートショートのオムニバス作品で、 しかも、十年かけて撮りだめられた作品集、というわけだ。