8 1/2 1963 フェデリコ・フェリーニ映画・俳優

フェデリコ・フェリーニ『8½』をめぐって

よって、サーカス、そして祝祭的な人間讃歌がそこにあるのだとして フェリーニ映画を代表する作品、という認識は間違いではない。 人、状況、そして自らの創造性(芸術性)、 こうした映画作りの現実を前に、さんざん困惑し、もがき、苦悩し、 にっちもさっちもいかない袋小路な状況下にまでおいやられながら 結局は、ラストシーンで、出演者が手をつなぎ、 「人生は祭りだ、共に生きよう」と結ぶフェリーニ的映画の帰結の流れが 心の底からフェリーニ的映画人生のイメージに寄り添い、 われわれをいかにも陶酔へと誘い、 これみよがしに包み込んでくれる作品には、感動の言葉こそが似つかわしい。

COFFEE AND CIGARETTES 2003 JIM JARMUSH映画・俳優

ジム・ジャームッシュ『コーヒー&シガレッツ』をめぐって

ここでとりあげる映画『コーヒー&シガレッツ』などは最たるもので 文字通り、登場人物がタバコを吸ってコーヒー(紅茶)を飲みながら、 目の前にいる人物たちと、とりとめのない会話をするだけの映画だ。 退屈さと面白さ、その背中合わせの空気が 手短に11話収められたショートショートのオムニバス作品で、 しかも、十年かけて撮りだめられた作品集、というわけだ。

『オリーブの林をぬけて』 1994 アッバス・キアロスタミ映画・俳優

アッバス・キアロスタミ『オリーブの林をぬけて』をめぐって

出演者たちを見渡しても、職業俳優などほぼいない。 「らしさ』を極力排除した世界であり、 それはどの映画においても共通しているのだ。 ナチュラルなところが徹底された映画に、 虚構性さえ見いだすのがだんだん難しくなってくる。 がしかし、それこそは映画の魔法であり 素人たちを上手に操ること、彼らをうまく映画空間に引き入れるマジックの先に、 キアロスタミ自身が化学反応を伺っているようにも思えてくる そんな映画づくりを体験させられるのである。

IRMA VEP 1996 Olivier Assayas映画・俳優

オリヴィエ・アサイヤス『イルマ・ヴェップ』をめぐって

オリヴィエ・アサイヤスによる90年代フランスにおける 伝説の怪作『イルマ・ヴェップ』もまた、 フェリーニの『81/2』やゴダールの『パッション』、 ヴィム・ヴェンダースの『ことの次第』 あるいはキアロスタミの『そして人生は続く』や『オリーブの林をぬけて』同様、 映画制作の現場〜舞台裏を描くメタフィクション映画だが、 比較的わかりやすく、とっつきやすい作品と言えるのではないだろうか? などと思うには思うが、とくにドラマティックな映画というわけでもなく、 また、ことさらにストーリーを追う映画でもない。 いうなれば、ポストヌーヴェル・ヴァーグな映画であり、 目に入れて愛でる映画、でもある。

ヨーロッパ横断特急 1970 アラン・ロブ=グリエ文学・作家・本

アラン・ロブ=グリエ『ヨーロッパ横断特急』をめぐって

仏ヌーヴォーロマンの旗手、アラン・ロブ=グリエによる メタフィクション映画の傑作『ヨーロッパ横断特急』。 どこかフィルムノワール風、どこかサスペンスを漂わせるが ロブ=グリエのメタフィクションは、もとより筋に重きがあるわけじゃない。 あたかも映画に遊ばれているような感じに陥って そこがわかっていないと映像の世迷い人になってしまう感じだ。 騙されることなかれ。

人間蒸発 1967 今村昌平映画・俳優

今村昌平『人間蒸発』をめぐって

「この映画はフィクションであり、そのあたり勘違いしないで下さい」 イマムラはそう念を押す。 なぜなら、フィクションであるということが、 この映画の救いであり、成功なのだという確信があるからである。 この映画は「蒸発者をめぐる考察」をしただけであり その本質が導き出されたわけでもない。 それどころか、問題の論点は「真実とはなにか?」であり 真実は誰にもわからない、という帰結の中で 映画に出演したという勲章はさておき、 登場人物たちのだれもが徳をしない、 まったくもって不快な思いしか残さない映画になっている。 そのあたりの執拗さは、他の映画にも見受けられる本質だが ここに、真実という生々しい現実がかぶってくるあたりに 映画としての面白さが広がっている。 作りの手の意図をはるか超えた次元でまぎれもない傑作に仕上がっているのだ。

それから 2017 ホン・サンス映画・俳優

ホン・サンス「それから」をめぐって

『それから』は男女のもつれを扱っている。 ラストシーンで漱石の話が出てくるからって、 間違っても、夏目漱石の「それから」を想像したりしてはいけない。 しかも不倫劇であるが、登場人物たちが入り組んだ関係を持っている故に 対象のふたり以外とのドラマも生じる話になっている。 ホン・サンスといえば、韓国のエリック・ロメールとの声も聞くが ロメールと比べられるのは、おそらく会話主体のやりとりが多く、 低予算、自然光、しかも台本にのっとって撮る監督ではないという点、 そして男女の微妙な感情のズレを描くのに長けているからだろう。 確かに共通項はあると思う。

「カメラを止めるな」2017 上田慎一郎映画・俳優

上田慎一郎『カメラを止めるな』をめぐって

監督の、監督による、監督のための映画づくりでもなく 多分に手作り感が随所に溢れており、 そこがこの映画をやすっぽいB級映画に押しとどめることもなく とても開かれた自由な感性を前面に押しだしながら 人を楽しませるエンターテイメントとして 愛される映画づくりを率先して指し示したという意味で 賞賛されるべき映画であると思う。 ややもすれば話題先行の作品が多い中 特別に新しい映画とも革新的映画とも思わないが 少なくとも、映画の原点のような みずみずしい感性に彩られた、映画の可能性をおし拡げる野心的な作品として、 次の展開を期待したくなる映画である。

映画・俳優

バーバラ・ローデン『ワンダ』をめぐって 

ボタ山を歩く、米粒のように小さな一人の女をロングで捉えたショット。 彼女は数少ないであろう知り合いに金の工面をしようと向かうのだ。 よくみれば、頭にカーラーをつけたままである。 彼女は一応子持ちの主婦のようだが 家事をやらない、子育てもしない、飲んだくれている。 何かにつけ、覇気がない、いってみればオツムもちょっと弱いような女でさえある。 昔なら、こういうタイプの男は結構いた気がするが、 女というだけで、下げずまれる社会と時代背景のなかで 彼女は社会の周辺で、かろうじて生きている。 そんな女をヒロインにすえた一本の映画が『WANDA』である。

イディオッツ 1998 ラース・フォン・トリアー映画・俳優

ラース・フォン・トリアー『イディオッツ』をめぐって

それにしても、ラース・フォン・トリアーは改めてすごい監督だと思う。 この『イディオッツ』が創作のドキュメントであることはわかっているが ドグマ95の精神に基づく、ドキュメンタリータッチの撮影法によって抉り出される 物事の本質を、時に不快なまでに生々しく、妥協なく暴きたてられるのだ。