コヨーテ
とある連峰の裾野、大雨がもたらした奇跡なのか、数年前突如一夜にして湖があらわれた。その景観は、開通を祝うテープカットを待ち臨む真新しいプラットホームのように新鮮である。だが、驚くほど静謐な湖水のたたずまいだけでは簫条としすぎて、巨大なドンブリに水を張っただけという印象は否めない。
水質は厳然たる純度を至極保ちながらも、どこか、哀愁帯びた陰翳に黒々と佇んでいるように見える。そんな湖ではあるが、よく見ると、ほんの僅かずつ生命の移民たちが新しい住居をもとめて集まるようになった。よく晴れた日には、気持ちよさそうに数羽の水鳥が湖面に群なし、光は踊り、影が幾度も往来する。
森の動物たちは麗しい水を求めて繁々とやってくる。湖畔の水辺、大きな白樺の木の下には紅一点、一輪の山百合がつつましく咲いている。天女の衣のように純白の艶やかな花びらは、凛々しい日差しと新緑の呼吸とを運ぶそよ風の恩恵に、甘美な芳香を縹渺と匂わせている。そして典雅に空を仰ぎ見、ありとあらゆる生命に向かってその微笑みを惜しまない。そんな可憐な彼女も、夜になれば他の生き物と同様に闇に包まれて全くの孤独の縁にたたされてしまう。
月の明るい夜には、湖面に映る自分の容姿を一晩中じっと見つめている。その様は、とてもこの世のものとは思えない孤高の美しさである。通りすがりのコヨーテたちは魔法にかけられたように脚を止め、じっと息をひそめてその光景に魅とれているが、どれ一匹としてこの花に近づくものはいない。いや、むしろ近づけないというほうが正しいのかも知れない。単に魅とれているだけではない、もっと特別な秘密が隠されているかのような深い眼差しなのである。
この花には不思議な噂があった。どんな規模のものであれ、悲しみや苦しみだけを養分にしているという。だから、どんなに心がこもっていても、それが、真に苦悩に満ちた嘆きでないかぎり彼女には伝わらない。それゆえに、この花の近くでは、耳を澄ませば啜り泣きやら呻き声が絶えることがないという。それは動物だけに限ったことではない。いつしか、そこは、駆け込み寺ならぬ駆け込み花として、密かに人伝手に耳から耳へと伝わり今はその名所となっていた。
彼女に向かって身の不幸を切々と訴える人間たち。あるいは行き場のない者たちが、藁をもつかむ想いで訪れる魂の救済所、憩いの地としての湖畔。どこからともなく集って来ては自らの不幸を、あるいは苦難に満ちた生のあるがままを、教会の懺悔室のように、こんこんと話し始めるのだった。不思議にも、口こそ開かないが、花はその話を聴いて涙するという。その涙がか細い茎を伝って地面に落ちると、外気にすっかり慣れるころには、月の力を借りて、真珠大の宝石のような光彩と豊かなる質感をもつ麗しい鉱物に変容するのである。それは悲しみの度合いによって、あるいは、月光のルーメンによって必ずしも一様ではないらしい。
中には噂をききつけて、その宝石を戴こうなどという邪な考えでやってきたり、また、同情を乞うために無理に話を誇張したり、偽りの演技をするものも後を絶たない。だが、そういった不純な訪問者には、彼女の霊的な力が作用してか、以後、その人物たちは、行方が知れず、二度と戻ってくることはないのだという。その結果、なぜか周辺にはあれよあれよとばかりコヨーテが繁殖して、この山岳地帯を日夜彷徨う続けるのだという。そして、悲しそうに暗やみから眼差しを向け、その悲哀に満ちた遠吠が、夜毎、この森林を寂しげに駆け巡る。その声を耳にしてか、その山百合は、再び大粒の宝石をあたりにばら蒔くので、よりいっそう花は、眩いほどの光に包まれるという。