Afternoon Opium

想像してみよう、人がつくった遠近法の法則などに支配されない眼を。構図の理論なんて先入観を持たない眼を。物の名前にただ反応するのでなく、生の中で出会うものたちを知覚の冒険を通して知ってゆく眼を。・・・想像してみよう、はじめに言葉ありき以前の世界を。

『資格の隠喩』スタン・ブラッケージ

OPIUMギャラリー

AFTERNOON OPIUM

MIDNIGHT OPIUM

あたかも白日の阿片吸引のごとく、線による原風景とは?

ある時、狂ったように膨大なデッサンを描いた。うむ、果たして描いたと言えるかどうか。というのも、それはある種の衝動が直感と霊感によって構成されていたからである。鉛筆と紙のみ、このいたってシンプルな素材によって、紡ぎ出された線たちは、手という媒体を通して、その生命の躍動を伝えたかったに違いあるまい。だから、線による落書きたちは、全てオートマチックに出来上がった、いわば自動手記に近いものだと言える。対象も目論見もない。ただ導かれるままに手を動かし、記録した。無論、どこまでが純粋なのか、私には答えるすべもない。あえていうなら、その瞬間瞬間の内なる衝動の動的波動を何らかの形で具現化しているはずである。これら、言葉よりも生々しい線の生き物たちによって、私は創造への意欲と姿勢を確認したという意味でなら、まさにこれは魂の源泉からの声に他ならないのだろう。おそらく、あらゆる創造に携わる欲求の、根本的なエッセンスが凝縮されているという意味で、こうした線画は私の創造の中でも、もっとも重要な役割を担っているのを疑わない。

線は曖昧を嫌い、ごまかしを見破り、刹那的である。気まぐれで、無邪気で、しかも高貴でさえある。私は線に秘められたそうした純粋さというものに魅了される。それは恣意的、あるいは、日常の目論見をことごとく阻む格好で、存在を絶えず喚起してくる。そうした言葉を伝えるために、私は意識を無化しつつも、そこに浮き上がる静かな情熱に手繰り寄せられる。それは実に快楽である。あたかも阿片吸引の魔力ででもあるかのように。ここに掲げる線画は、まさに白日の阿片吸引同等の、私個人における原体験だと思っている。