コトバの実験シリーズ

物を書く詩人は「御言葉」に訴えるが、「御言葉」にはその法則がある。

アントナン・アルト-

ことばの解体=懐胎

実験に取り掛かろう。まず、きっかけとしてひとつのルールのようなものを決めるのだ。
たとえば、パロディなんていうのもその類だが、それだけでは面白くもな~んともない。いろいろなものを織り交ぜて、新たなフォルムにいたるようなものを創ってみたい。トピックについては何でもいい。魅惑的なことばたちが現場に存在することが肝心なのだ。できうるかぎり複数の意味を喚起し、多面的であるもの、つまりはことばのキュビズムとでもいうのか。意味の3D化を押し進める。
 たとえば、ある形式、俳句や短歌といったものを借りて、ことばの可能性を探ることをフォームとする。試みはことばの構造を視覚的、つまりは奥行きあるものにし、さらには脳髄的へと細分化を高めるもの。意味の境界は曖昧なままでいい。複数的、多面的にとらえうるようなものとして、多義的な言葉が選ばれる。つまり、平面ではなく、立体的なことばであるべlきなのだと、そんな風に捉えてみる。
 類似語、同音異義語を混ぜ合わせ、韻で括る。韻がうまく組み込まれれば、ことばが音楽を生む。
 全体の構図が成立しうるように、ときには造語、新語をもってそれを補う。ルールにしばられず、ルールを楽しむ。要するに矛盾を抱え込みながら、あらたな言語として命を吹き込んでゆくことを恐れてはいけない。
 こうして、ことばが音楽をもち、フォルムをもち、切磋琢磨され、ひいては換骨奪胎され、使い古された本来の素性をぬぐいさる方向へと自ら流れて行くとき、ことばはひとつの括りの中で縛られることのない自由を謳歌し始めるだろう。
ことばの解体=懐胎とは、概ねこのようなことである。

▶︎ぼかあぶらり

こいきな大人のための絵本。絵本といって、物語がかたられるのではない。絵だって、ことばだって各々それぞれの個を生きている。個と個の提携という意味での絵本である。

▶︎徘徊集

575の俳句に対し、コトバが徘徊する句として形式にあたはめたもの。自己解釈付き。

▶︎啖呵集

短歌を読む、ではなしに啖呵を切るための句。57577という形式のなかで、コトバたちの威勢が命の句集。

▶︎ケイク集

世の広告コピーはさして面白みがない。そやつらに対する警句としてもっと刺激的で、しかも軽やかなコトバたち、すなわち軽句なり。

▶︎モノローグ

モノの赤裸々な告白をきいたことがあるであろうか? そこにマイクをおけば、ご覧の通り、モノたちの生の声が聞こえてくる。

▶︎マリリン問答

問いに答えなど無用だ。ただ問い続けること、刺激的なことばたちの官能にあなたはどう応えうるであろうか?