ボート
かつては、この湖畔で、首を長くして人を待っていたものである。太陽のない日は一日がまったく長い。それはどこから来るのか、ひとつの感情というやつだ。あんなにどうでもいいと思っていても、実際に来れば来たで、立ち代わり入れ替わり、人を乗せ、湖水の上を行き来したのだ。休日ともなれば、カップルや親子づれで終日賑わったっけ。新緑や紅葉の生い茂る季節などは、すこぶる気持ちがよかった。
そうだった、観光用のポスターに堂々抜擢されたことがあるのだ。光栄だった。あれがわたしなのである。確か、落ち着いた感じの、紅葉だったか、新緑だったか、あの季節。探せばまだあるのかな?
多少なりとも、誇りはある。昨今はどうも薄らいでいるが………
水面を切る我が手オール、半身に押し寄せる波の感触、あるいは音、この船体の軋み………いまではなにもかもが懐かしい。浮かんでいるということの素晴らしさ。ただ陸にあるというのとはわけがちがう。スイスイと、それこそアメンボウのように、我ながら優雅な滑走だったと思う。今じゃとてもおぼつかない。元来は決して感傷的ではないが、年齢とともに涙腺は緩むものというのが、いまこの歳でわかりかけて来た。
それにしても、ピカピカの側面は水面鏡より光線を受けて実にまぶしかった。まあ、随分と若かったのだ。ぬけるような青空の下では、鳥のさえずりはいつだって心地よい音楽に聴こえる。雨が降れば降ったで湖面を打つのは実にリズミカルなものだった。なんであれ、日々の変化はどれも耳には優しかった。全身が耳、つまりは身体すべてが感覚的なのだから。
そうしたことがふと心の片隅で余韻に揺れることがある。今となっては音だけが時を再生してくれるのだ。音の記憶、身体が録音機、というしくみ。音というやつはあなどれない。それゆえ、何も見えなくともやってゆけるんだ。心に目をもつこと、それさえできれば何だって見える。笑い声やたわいのない会話、また甘い囁き………。あの頃のなんでもないことが実に貴重な思い出となっている。・・・・なぜだろう、その深みから上がってはこれないでいるというのは………時折、どこかで懐かしい残響を響かせて、この残酷な汗の滲みようを煽る。
決して無駄なことはしなかった、言わなかった。クールさはわれわれの特権である。誰に話しかけられるでもなく、わたしの人生はいつも傍観に徹した。誰に教わった記憶もない。が、そうだと思い込んでいたことには、ついぞ疑いをもちはしなかった。もちえなかったというべきか。考える必然など何処にもない。通念がどうのこうの、そんな風に考えたことはなかった。が、どこか確固たる想いがあった。いわば素直に、心の感じるままにまかせること、とね。が、それがなんに由来するものなのか、想像もつかない。それしかなかったのだから。
それをたどるうちに随分といろんなことが見えてきた。若いとき、自分に自信があるとき、ついでしゃばってしまうものだ。過剰であることの醜さ、それゆえにひとは愛してくれることもあろう。けれども、歳を重ねることは、余分なものを淘汰して行くということだ。客観万歳、か。おっとまた自分が先走る。ボートにあるまじきもの………
仕事とすれば生真面目に、出来るかぎりをつくしたと思う。悔いなどは、ない。感謝されたとしても、誰にどう文句をいわれる筋合いなどない。自分なりに頑張った、ということであるなら、あれこれ悩むこともなかろう。それだから、少々の不備さえも何とか胸を張れるものだ。だが、何かが悔しい、物足りない、とすればやはり、心のうちは決して物静かなものではないのだ。個の何がどう突出するでもない、ボートとしてはまったく平凡だった生涯に漠然とある何か。
ボートはボート以上のものではない。人々の期待するところのものであって、忠実に振舞うにすぎない。それ以上のことが、しかしながらどだいできたかどうか、やってみたこともないからわからないと思うことがある。がしかし、いま思えば、多少は知恵もあったろう。別のやり方、在り方はなかったのだろうか、つまらないことを考えるのは、歳をとったからかもしれない。その逆もありえるがね………おっと、これは思考の深みというやつだ。
いやなことがあっても、たえず感情は抑えたわけだった。安定した印象、ボートとしての、を与えるために。暴挙は許されなかっただろうし、しようにもできかねた。愉しいこともあれば、どうでいいこともある。いちいち気にしていられなかったのがしょせん本音なのだ。
どうだろう、楽観的なまでにやってこれたのは幸いだった。こころに形など存在しないのをいいことに、随分じゃないか、と君は言いたいのだろうか? 想い、か。空気がそうであるように、夢がそうであるように、実体などあるわけもない。けれどもそれは、まったく自然な感情であり、人間と何らかわることはない。そうなのだ、あえてこれはいっておかねばならない。でなければ、ボートなど所詮ボートでしかないだろう。
むろんここは人の社会などでは断じてない。生活は単調に進む。メリハリも何もない。それでいいのだ。複雑ではないが、それゆえに複雑とはいまだからいえる言葉であって、どうみても単調にすぎぬ時と使命に運命を割いた。気の遠くなるような単調さの中で見出した、あのなんでもない時の流れに身を寄せた快楽、ひとまずそれがわたしの支えだったのだから。
一方ボートの、ただ乗りものとしての社会がある。これは、これとして、ボートにしかわからないものの考え方というものがある。ボートに思考などあるはずもない、と考える社会のものにすれば、聴く耳など持ちようがなかろう。
しかし、ボートであるがゆえに感じるところ、思うところがあって、間違ってもひとのそれだというつもりはない。しかし、おもうほど違いもないと、わたしには思える。何人かの人の心がわかった。一期一会の出会いであったが、十分だった幾つかの思い出。わたしはひとを感じえたし、少なくともその心のうちにおじゃましていたのだ。ただ、彼らはそれに気が付きようがない。そうなのだ。
説明すること、論理立てること、ひいてはおしゃべりだの、団欒だのそんな経験をはついぞやってこなかったが、何かしら言いたいような、何かこう、胸の奥につかえたもやもやとしたものがないかと言えば、ほら、どのボートにだってある気がする。それを素直に吐き出せばいいと、君ならいってくれるかもしれない。が、それができない。どういうことになるのやらさっぱりわからない。おかしいだろうか?
何がどう違っているのやら。むしろ、とくと人間に語ってもらいたいものだ。見たままでありのままで、君はボート、そうだろう?そんなことなら言われなくとも理解できる。そうじゃない。もっと、こう、もっと具体的に………だってひとの気分が、間接的にであれあんなに理解できたじゃないか。言葉ひとつかわしたことがないが、口からでそうになった言葉なんて数しれないのだ。立派に共感したし、嫌悪もした。それはそれはいろいろ思ったわけだった。
他者が代わる代わるやってきて、わたしをなんとでも自分の意のままにしようとしていた。たかがボートも、ひとはボートがボートでなくてはボートに気をゆるそうとはしないだろう。心だけは断じて人のそれと遜色はなかろう。いまでもどこに出ても通じる。確信がある。ただ確信があるというだけであるが。
こうして感情があり、生活があることをどうして隠しておかねばならないのか、ボートというだけで。わたしにはそういわずにはおれない。それがものをいう動機だ。言いたいからいう。言ってしまわなければすまないのであれば声高に言いたい。が、しかし、誰に、いつ、どんな形で、さようなことを………頭がおかしいとさえ思われず、いや、こうして一塊のボートが意思表示しようなどとは天と地がひっくり返らないかぎり誰も認めようとはしないだろう。わたしはわたし。それさえも、認められないのであれば、やはりわたしはボートにたちかえって再び永遠の時を刻みつづけるしかなくなってしまう。本能などではない。それ以外になすすべがないからだ。自分では何ともしがたい、ただの乗りものだ。ボートだ。あなたとはなんの関わりもなき物体だ。
が、そう言ってくれるな……と自分でいってみる。どうだろう、単調のレッテルは自分ではいかんともしがたい「やきごて」のようにおし当てらてしまっているだけなのか。ああ、やめてくれ。時には不安定な心情を露呈することをゆるして欲しい。もちろん、暴挙に訴えることなどしない。これは自分のため、あらゆるボートの存在、ひいては個としての誇りゆえ、自分自身を肯定するためにいう。暴れるボートなどこの世にはひとつとしてない。風に揺らされるか、人間にあしらわれるか、いずれにせよみな一律にボートはボートというにすぎない。
とはいえ、年月がいろいろ知恵を授けてくれる。お前はお前であるがいいと。断じて甘んじたくはないが、それほど馬鹿でもない。節度があり、諦めの念もあるのだということ。それによってこの世の摂理や調和を乱さずにいられること、結局引くところは引く。やることはやる。そうでなくてどうする?
つまりすべてはこのわたしが選んでいるのだ。
もう、かれこれどれぐらいになるというのか。すっかりと身に刻まれている。
概して、それなりに有意義だったと思わなきゃならない。ひとが繰り広げることだから、想いもしないことが多々あった。わたしなど、一塊のボートにはなにかと新鮮なときめきだった。わたしはこれでも感謝の念を忘れたことがない。うれしかったのだ。こうして、人知れずものごとを感じられたのだから。煩悶や苦悩は時の流れに消えてゆく。あわよくば、先を知りたいと願う、事の深層に好奇心は絶えず誘惑されていまもまだ脈がピクピクとある。が、許されるはずもなかった。すべてが、たれ流しのラジオと同じだった。どこからともなく流れてくる甘いメロディ。それが人生というものか?
おれ、一塊のボートには無縁の世界ゆえに、思いは勝手気ままにつのってゆく。親がなくとも子は育つなどという。我々にはそうした肉親の情というものがどういうものだか皆目見当はつかないが、自分なりに推理することはできる。でなければ、あれほどまでに歓びをえることはなかったろう。家族や恋人たち、人間と人間が、わたしのうえで人生のほんのわずかなひとときを過ごす。そこに何らいうべきことがなくとも、わたしはあのひとときの安らぎなり、憩いというものを演出出来た歓びを忘れることはできないでいるのだから。あわよくば、一度ぐらいは向こうの立場を経験してみたかった。現実の中で、情を取り交わしたかった。空想では可能でも、肉親からの、あるいは恋人からの、友達からの言葉を、なんでもない日常の中で取り交わしたかった。
ボート同士? これもまたむづかしいことだ。何せ、相手に話掛けるにも、言語がない。人間でいうところの言語、ということだが。こうして言葉にしている自分は、人間とかわすこともなく、ボートにはむろんボートの言語を通してのみ可能である。つまりは感じあうということをこの自然のなかの営みのうちに共有するかどうかにすぎない。相手だって、何もボートの分際で何を、というに違いない。まして話を聴かれているなどという感覚は、夢にも想わない。奇妙なものだ。それゆえの暗黙の安心感だったと解する。それが関係の骨子だ。複雑なことはなにもない。 乗るものと乗せるもの。これを話すものと聞くものに置き換えてみればよいだけだ。一方は能動的、一方は受動的。その他この対立は行き着くだろう。しょせん感じるという行為なしには、我々としては交わりようもない。ボートを他になんと認識しようというのか。それ以上でも、それ以下でもない。わかっている。
日常からの開放。たかだか水の上を、心地よい風に吹かれてゆくだけのことだったとはいえ、ここでしか、この瞬間でしか味わえない、安らぎがあった。手をかせた、というのもおこがましいが、これでも役にたったと思えば、それこそボートだってなんだって悪い気などしないものだ。場を提供し、単純に無関心な素振りで添乗する想いが、ときおり色気を起こすこともある。だから苦しんだり、思い悩んだりするのだ。馬鹿と言われようが、変といわれようがわたしはここに在る、いやいるのだ。おっと、おれはボートだ、場当たり的なことはなにひとつうまくいかないだろう。やってもむだだ。それによって彼らを不安におとしめるなどということが許されようか? そんな想いの輩が、仲間にいないでもない。本当だ。だが人間は思いもしない。それが自然だとされる。
その瞬間を想像してみる。やる方もやる方だが、やったとて、はて責められることだろうか? 感情があり、欲望もある。生きるということは………やめておこう、これも本意ではないところだ。多く語るべからず。これがもっとも自分らしいことを知っている。
当たり前のことを、当たり前にこなす、ということこそが、我々の宿命だという。本当だろうか、いまだに答は定まらない。
それにしても本当に、人間にはいろいろいるものだ。だからいろんな自由と束縛が交差しているに違いない。たかがボートの上であれ、世は広いことを知った。やって損はない仕事だと思っている。勉強になった。だが、それがなんだというのか?
あるものは恋というものを囁いていたかと思うし、見るからに親子の団欒がそこにはあったはずだ。またあるものは、人生の訓示とでもいうのか、いわゆる説法めいた口をたれていたかと思う。また誰かの愚痴だの誹謗中傷、噂話をしばし耳にしたものだった。中には我々と同じ、まったく言葉を発しないものもいる。そうなれば、こっちも退屈になってくるのだから不思議なものだ。人と人が集えば、そう、そういうものなのだ。傍観するよりなすすべを知らぬ身、とはいえ、人の重み、あのふれ合いはやはり格別のものだった。
哀愁、悲壮、憂い、悲喜交々の人間模様。ボートという道具、湖水の上の小劇場。
でもそんなこと、一切が、実のところわたしにもよくわかってなどいないのだ。誰が誰のことをいっているのか、どういう状況に、そのひとは置かれているのか。人間とて、昨今、隣人同士ですらお互いをよく知らないと聞く。ここへ来た経路、この後の経過………そもそも、ひとはひとに対し、何故そんなに偉そうにいいあえるものか、何故ゆえにあのように情熱を持ち、愛を語りえるのか。また、何ゆえに暗く沈むことがあるものか、なにをしてそれほどまでに愉しげに心を弾ませるのか。ボートのわたしにはやはり理解し難いことが多すぎた。いまでこそ、経験や憶測であれこれある程度想像を巡らせることはできる。けれども、人間のように実感などといものはついぞもったことがない。いちいち感情に振り回されてなどいられるものか。だからこそ、感情の綾に陥らずに仕事を全うできたのだ。しょせん人事であり、異次元の世界の出来事に、こっちが気を揉むなどということが在るはずもない。
が、それがどういう口調で、どういう駆け引きのもとで繰り広げられるのかは、つぶさに見届けた。なれてくれば、さすがに傾向ぐらいはつかめるものだ。漕ぎ方でさえ十人十色なのだから、わたしの上で繰り広げられた、日々のストーリーはとても思い出しきれない。
ひとつひとつ、どれだっていい。わらいたくもなる、しかめたくもなる、にげだしたくもなる、人間以上に感じたからといって、しょせん、人間とは違いすぎることを知った。
ヤレヤレ、世界がせまい分、こちらは悩みが少ない。少ない? 人間たちはそれなりに大変なんだと思うようになった、という意味でだ。
そうしたシーンは、その日その瞬間をもって完了だ。おそらく、尾は引かないはずだ。そこが、ひととは違うわけだった。だが、そうとは限らない。こんな風に、ひとたび思考をもてば、誰だって簡単には行くまい。近頃ではすっかり心が安定しない。人間並みじゃないか。意志というやつは刹那で変わる。つまり、揺れ動くのだ。まさしく水面のわたしそのもののように。
やがて次第に、暇を弄ぶようになり、いつしか、孤高になっていく自分がいた。周りでさえ人の声をついぞ耳にしなくなっていた。結局人間がいなければ、湖水に漂う木の葉と同じだ。寂しい。人恋しい。でもそう感じることがそもそも罪なことのように思ってしまう。なぜだろう? 誰も、邪魔だてはしないだろうが、そう感じることを許すものもまたほとんどいない。
これがもとでいらだちに身をやつすなどといったい誰が知ろう。どうだろう。どうせなら、このまま狂ってしまうのがいいか。やる自由はある。が、そうなることをどこかで望み、いつしかそうなるであろうことを、他でもない、このわたし自身がわかっているのだから、とりあえず、やはり乱れることはない。何になる?
仲間たちもそれぞれ、ひっそりとダンマリを決め込んで話もしない。一隻二隻三隻、ただおとなしく佇んでいる。みたまま、あるがままだ。そもそも会話などしたこともない。だが、しょせん同じ穴のむじな、多かれ少なかれ、思いがないわけでもなかろう。知らないだけだ。向こう岸の同志を見よ、ひとりうら寂れてまるで隔離ではないか。人知れず揺れも激しい。風のせいなどではない。よっぽどのショックを味わったのだろう、あれは。何もいわなくとも、わたしにはわかる。
ボートといってもいろいろある。わたしなどはまだ良いほうかもしれない。なぜって、冷静にすべてを順序だてて考えることができるのだから。自暴自棄になるやつがいる。ひとに背き、自然に背き、我を忘れる。かといって、自分ではどうにもならない境遇を呪って、殻に閉じ篭り、排他的なまでにうら寂れてしまうこともある。思いようである。学がある(できるできない)とかないとか、そんなこととはまったく無縁の心の世界。感じるということは誰にでもできることではあるまいか。が、そうでもないというなら、あなたはボート以下である。いや比べられはしない。。
結局はなすすべもない運命を知るほかなかった。いつ誰に教わったわけではない。年月と経験がそんなわたしにしてしまった。良いことなのか、まずいことなのか。誰に語ろう、誰に問おう? とはいえ、こうなった経緯、わたしには諸事情をきちんと理解しているわけではない。したところで意味はないように思える。すべてが、無常だ。仕方がないのだ。動けない。言葉さえでない。存在をしらしめるために、さてなにができようか。いまさら何の選択が許されるのだ?
時折、感情がうずくのだった。他の連中はモジモジしていた。大きく揺れたり、水面ですねてみせたりは何も風のいたずらによるものではない。
他はどうであれわたしは違う。あくまでも、こうした境遇を見届けてきたまでだ。なぜなら、すべてなにひとつ自分で選択出来たためしがなかったから。自分で舵すらもとれない。乗り込んだ人間たちの舵さばきを、じっとみているしかできない。恋人たちの抱擁を演出し、子供たちを見守って湖水のひとときを供にする。随分下手な操作に、イチイチいらだってなどいられなかった。まったく、そういうことに関心がなかったし、また知るすべもなかった。いずれにせよ、こうした境遇にいて、すべては自分で選んだ道ではなかった。自分のことをもっと知りたい一心だったように思う。何故、かように思うのか、考えるのか、意思があるのか。なにひとつそれでもってうまく出来るわけではないというのに。
気がつけば、職人たちが丁寧に仕事をし、わたしはあれよあれよとボートらしく、立派な姿に仕上がっていたのだ。人間が自らの意思に関係なく、この世の光を受けるのと同じだ。そうして、ほら、ここがお前の働き場だよ、と有無を言わせず連れてこられたあの日が、今となっては懐かしい。
出来るだろうか、身も知らずの人間たちに、乱暴なものもいれば、陰湿なものもいると憶測もなく飛び交っていた、あの湖水で待ち受けているだろう運命を前に。わたしが果たして一塊のボートとしてやってゆけるだろうかと少なからず、不安で眠れなかったことは、人間たちには知る由もない。が、どうにかこうにか、時がすべてを解決してくれたのだった。そう考えるのは自然なことだった。そうして湖水での人気を博すまでになって、それが毎日の生きがいのように思い込んでいた。
今は、日が長いと思う。あれやこれや考えると、際限はないが、それでも日は決して短くはないのである。身体はもう、あの頃のようではない。満身創痍だ。ガタが来て、どうにもならない。水が染みるのだ。歳をとったのだと思う。人がやってきたところで、満足に、期待には応えられないだろう。が、人の気配に、年甲斐もなくソワソワする自分がいる。おかしなものだ、反応とは。笑うだろうか。
時折、カラスが休息をする。ハトや雀もチラホラみかける。彼らとも違う。どうぞ、ご自由にという気持ちで、わたしは、じっとしている。目を閉じて、あたかも、瞑想にでも耽けるかのように。この苦しみが収まればいい、ただそれだけである。だが、時には薄目をあけてみてしまうことはある。
「トリか。本来なら、人のはずだ。が。現実は違う。どうしたことだろう。人を載せたからといって、わたしになんのメリットがあったろう。ただ毎日が慌ただしくすぎたというだけだった。今とは全然違う時間が流れていたんだね………」
わたしは風にゆられ、水にゆられ、時を過ごす。ある日はもっとみていたい、そう思わずにはいられない美しい黄昏どきも、別の日にはどうでもよくなる。そのまま、夜になだれ込むようにして時に身をまかせる。冬は底冷えし、いたたまれず震えるままに夜を過ごす。水面下でのさかなたちの群れを肌で感じれば、どこかでほっと胸を撫で下ろすこともある。
いっそのことバラバラにでもなって四方ちりじり漂流するのも乙ではなかろうか、と冗談にも思ってみたりもする。といって、吊橋のように、イチニノサンで自己解体することもままならぬほどの我身である。手塩にかけて作り上げてくれた職人を、いまさら思い出したように恨むわけにもいかない。そんな虚しいことはない。我執がなくなれば文字どおりガラクタである。それこそは、究極の理想なのだろう。ガラクタ漂流記。せめて詩人たちに情景を提供するのが関の山。ジタバタしてもどうなるものではない。取り乱すなど、大人げないことだ。
それでも、どうにかして、感じたいものだ、心の充足というやつを。ああ、幸せを招き入れられないものか。ひとがみなそれによって充足をえるという………それがどのようにしてもたらさえるのか、それは記憶と空想だけが知っていることだ。
煩悶、とあえていってしまうような苦しみから、どうにかごまかしごまかしてやっている。たとえ、そうした現状から程遠く、殺風景に写っているのだとしても。
いったい、わたしは何のために、こうして思うままにならぬ身のまま、時を重ねているのか。風は、水は、星は、太陽は、あたかも知りませんよ、という涼しい顔で、飄々たる自然さを崩さない。厳しいとは思わないが、べつだん優しいとも思えない。自然は何かとんでもない力に支えられているのだ。
想像もつかぬ、大きな力。ひとはそれをなんというのか………
はたからみれば、わたしとて自然の一部、そう思われてしかり。が、あえて、違うのだと申し上げたい。そう宣言することで、わたしはボートとして、ではなく存在そのものとして一日でも生きていられるのだと思う。わたしはボートなどではない。あくまでも、誰かが、こんなわたしに仕立てあげたまでのことで、わたし個人の思いとはまったく関係がない。
できるなら、鳥のように羽が欲しい。魚のようにせびれが欲しい。人のもつ能力のひとつでもあればいい。すべてをいのままに過ごすなど夢のまた夢。人間のように、複雑怪奇でなくともいい。ただ、躍動するこの心を開放できればよいのだ。どうにかならぬものか。
堂々回りは昨日、今日のことではない。わたしは誰なのか。あたかも、これが使命であるかのように、従事したところで、わたし自身、何ら手の施しようがない。
なんどもなんども考える。考えることの自由、考えてしまうことの不自由。何ともややこしい。果たしてもっと生きようはなかったのか。もっと別の、まったく考えもしない環境で、もっと苦しく、もっと寂しく、もっと悲惨であるかもしれないとしても、今とはまったくもって性質の違う境遇なるもの。許されるなら、それがどういうものか、天秤にかけてみたいとさえ思う。
ここで、目も耳も口も奪われた聾唖のごとく、なすがままに、されるままに、身を傾けてきたのだ。そう巡らせてなにが悪かろう。空想は糧とは詩人だけの特権でなくていいではないか。わたしには、意思があり、記憶があり、心があるのだ。なんなら会話だってやってやれないこともないのだ。もっともっと出来ることがあるという、わたしの心。
ただ、状況からして、不自然なことは出来ない、やっても何の意味もない。そう心が歌う。ギイ、ギイ、ギイ、船を漕ぐ音のように。
よっぽどでないかぎり、われを忘れることもない。ボートがボートであるためにわたしは存在するのだ。いや、存在していることが、そもそも、元凶なのではあるまいか?
気がつけば、世が明けていた。凍てつく寒さをまたしても、堪え忍んでいたのだった。
覚え込んだことから、結局逃げおおせられはしないのだ。