ちょっとちょっと 二

ご利益

 ラケルは何かになりたいと想うだけで何にでもなれた。こんな言い方をすると誇張も甚だしいのだが、とにかくなにかと窮地に追い込まれると、必要に迫られてモノに変身する能力となって現われるのだ。ものの数秒という場合もあれば、延々二三時間要することもある。

その加減のほどは心もとないほど時の運次第。正確には、モノに《なり代わる》というべきところだが、その変貌ぶりでは、果たして《凄い》といえるかどうか。そのあたりで口にするのも憚られる。本人も、いわば超能力少女としての自覚にはうとく、あえて誇示するどころではない。そこが彼女の慎しさ、微笑ましきところなのであった。

 この摩訶不思議な現象を、女としての洗礼を受けるよりも先に授かってしまった少女は、そのことをまだ誰にも打ち明けてはおらず、自分だけの秘密にしている。その能力を知ったとき、彼女はさして驚きもしなかった。驚くにも驚けなかったのだ。洋服の試着をし、それに決めたはいいが、うっかりそのまま支払いもせずに店を出てしまったようなものだったからである。
 なぜそのような不思議な能力が、ラケルのようなごく普通の女の子に宿ってしまったのかはわからない。強いて言うなら、“御利益”ということになるのだろうか。

 小さいときから、幸か不幸か、祖母の膝の上や背中で育ったというぐらいのおばあちゃんっ子であることは、自分がよく知っている。四六時中一緒だった影響をもろに被って、信心に篤く慈悲深いところを素直に受け継いだラケルは、神社ではみようみまねで賽銭をあげ、大きな鈴を鳴らしたし、道路脇にお地蔵さまを見つければ手を合わせるのが楽しいことであった、また、町で募金箱を見つけるとわずかでも小銭をいれ、微笑みを投げ入れるのを惜しまなかった。当然、人のみならず、モノに対する思いやりも忘れない。路上に風で横倒しになった自転車や植木鉢を、人の目を意識することなくすぐさま起こしてあげるような、そんなさりげない優しさが品良く身についていた。貰ったものはまずは仏壇に備えることとし、毎朝、おばあちゃんと共にオツトメも欠かさず、今どき珍しいちょっとばかりできた子供だと、おばあちゃんも目を細める女の子だった。

 彼女が姿を代えうる対象としては、自然におばあちゃんの身の回りにあるようなモノが多くなってしまうようだ。素直なもので、概してあまり複雑でないもの、こじんまりしているもの、そして動きの極端に少ないもの、要するに静物に限られる。これまでの芸歴をざっと披露しよう。
 針山、糸、茶碗、きゅうす、茹で玉子、タオル、帽子、耳掻き、眼鏡、指輪、栓抜き、乾電池、蓋、ルーペ、おじいちゃんの形見の品であるパイプ等々。どれもたいしたシロモノではないことがおわかりいただけるだろう。形の複雑なものにはどうあがいたってなれっこなかった。洗いざらしのTシャツにはなれても、母親の編み目の細かい手編みのセーターなんかは無理だったし、蛍光燈の球になれても、装飾の凝ったシャンデリアじゃあ話にならなかった。飼い猫のサクラになんて、とんでもない。せいぜい首輪か鈴か…。自分よりも小さな静物をみれば、この悪戯ねこの方が人間をいたぶらずにはいられない。
「ばかだね、首輪だなんて。こんなものになったって、ラケルちゃん、何が愉しいのさ。」
「うわあぁ、目がまわるよ、ううくすぐったいいてば、サクラのばかぁ~」
 はた目には、猫がひとりじゃれているにすぎない光景でもラケルは汗びっしょりものだ。
「ふう、首輪って猫を縛るものだけど、あたしがどうして縛られなくちゃいけないの?」と頭を掻くラケル。所詮、たわいのないものにばかり化けてじっとしているだけなのだから、かわいいものである。その上、人が見ているとまず絶対に変身などできず、意識を強くもったところで、まず本人の希望通りの変身は、今のところお釈迦さまに説法を説くよりも難しいのであった。

 彼女自身、一向に腕前の上がらぬこの超能力をありがたがらない。好きなものになったところで何が愉しいというのか、第一、好きなものになれるのならまだしも、自慢にもならぬ妙なモノばかりになりすましているだけだなんて、なんとも気恥しいことだとラケルは子供心にも感じるのだ。 
 数日前もひどい目にあった。おばあちゃんの留守中に黙って部屋にあがりこんで、宿題もせずにテレビを見ていたら、おばあちゃんは急に予定より早く帰ってきた。そうしておばあちゃんは茶飲み友達のサトウのおばあチャマを連れ、部屋に通そうというのだ。ラケルは慌てて、咄嗟に壁の日めくりカレンダーになろうとして念じてはみたけれど、どこでどうころんだのか、こたつの上の小鉢に山積みにされた角砂糖になって紛れ込んでしまった。おばあちゃんは大のコーヒー党なので、卓上にはいつも角砂糖と適度な茶菓子がおいてある。その後のことの成り行きは大方想像がつくだろう。コーヒーが運ばれて思わず焦ったラケル。まずいつものおばあちゃんなら二つは入れるし、プラスお客さんの好み次第では十分につままれる範囲に潜伏している、というわけだった。(どうかこのわたしを選びませんように)と祈る彼女。これから真黒い熱い海に溶けて沈んで行く当事者の身にしてみれば、これは冷汗モノだ。笑い事ではないとばかりに唾をゴクリと呑み込んで、ラケルは角砂糖のくせにごそごそしだして落ち着きがない。やはり今日のお客さんは強者である、精々二つぐらいにすればいいものを、(何という甘党なのかしら!)と思うほど、三つも四つも入れるものだから、角砂糖としてもたまったものではない。そして、運悪く、とうとう彼女はしっかりと摘まみあげられてしまった。それでは、「あっ」と思わず声のひとつも出てしまうじゃないさ。それでも二人は一向に気づかない。声が溜息に変わる。幸い、「これなんだかべとべとしてるわね」とかなんとかで、うまく脇に除けられ難を逃れたのだ。(当たり前よ、こっちは必至なんだもの!)そんなシュガーキューブの一件であった。

 とりあえず、ほっと胸を撫で下ろすラケル、思わず仏壇の方を振り返った。仏様もあのポーカーフェースの下、意地悪く笑いをこらえていたかもしれない。おばあちゃんたちは、絵かなにかの展覧会帰りらしく呑気にも今日観てきたその展覧会がどうのこう、だれそれさんと偶然出くわしたのには驚いたわよね、などと盛り上がっている様子。お客さんはいつのまにかカップを空にしてもなお、不意にカップの持ち手に触れている、何度も何度も。「もう一杯いかが?」と言う声を心待っている様子だ。催促こそしないけれど、ちゃんと彼女には分かるのだ。つまり、何かモノに変身した時だけ相手の心中が手に取るように見えるというのである。考えてみれば、ラケルにとってみれば、モノになり代わるという離れ業以上の特権なのだ。場合によれば本心を聞き出せるかもしれない。人の心を覗くのは確かに面白いけれど、一方で、知りたくないことまで分かってしまうのもつまらないものだな、と近頃は思うようになって来た。成長であろうか。さても、とりわけ大人の考えることには理解に苦しむ。いや、なんでウラオモテあるんでしょうね。そう思いながらどきどきする時間をすごしているのだった。

 それ以外にも彼女のズッコケは枚挙にいとまがない。Tシャツになったらなったで、汗臭い衣類と一緒にされもう少しで洗濯機で廻されそうになったり、日曜日、父さんのゴルフの打ちっぱなしにつき合ったのはいいが、退屈だからと涼しいゴルフボールになったつもりでいたら大変。父さん、ラケルボールを掴んでいる。ゴルフクラブでひっぱたかれそうになって思わず転がり勇んだようなこともあった。バスタブに気持ちよくプカプカ浮かぶボールにでもなろうとしたのに、どう勘違いしたのか、お風呂の栓になり代わって大あわてしたことも。なんだかんだと失敗はつきないけれど、何はともあれ、いずれも大事には至らなかったからよかった。二度と、とは思うけれど、ちょっとだけ、という気持ちはなかなかなおらない。はたして、こんな気持ちを一体誰にどう告げればよいのか、ラケルの年頃では見当もつかないのだ。本人にしてみれば結構深刻な問題である。

 大人のように、その能力をうまく使いこなせるとなると話は別だが、何分まだあどけなさが同居する小学生なのだから、それも仕方があるまい。ただ、今に自在に変身することが出来る日が来たら来たで、あの純真さが失われないものかという懸念もあるだろう。ラケル自身にとって、この能力の凄さを、特別に意識していないということが唯一の救いになっているということか。
 あるとき、思い切って親友のルケルにそのことを話してみたくなった。
「ねえ、ルケル、わたしが何かに変身できたら……どうする? 例えばあんたに、とか」
「変身? 何にさ、それ。何いってんのさ?」
 何事も反応の遅いルケル、これじゃ状況がうまく伝わりそうもないな、と溜息をつくラケル。
「マホウだよ。マ・ホ・ウ使いみたいにだよ」
「何おかしなこといってんのさ。ほんと夢見る女の子だなぁ。ククククク」
 ヤレヤレ、ルケルに言ったあたしが間違い、これ以上いっても駄目だね、といっても彼女以上に信頼できる友達もいない。すると結局(やっぱりこのまま黙っておこう)と彼女は考える。大人………そうね、でもおばあちゃんには何度となくそれらしきことは説明したけれど、なにせ、仏さまは信じていても、スプーン曲げも信じない堅物だし、ましてこんな変な能力となると、話にもならないんだ………

 何もかもが、ぎこちない。まだ不安定な年頃だけに、対処するのはやはり酷というものである。もう少し大人になったら展開が変わってゆくだろうが、そんな変な能力もきれいさっぱりなくなってるかも知れないし、はたまた、一段と技に磨きがかかり天才少女出現か、なんてことで世間を騒がしているかもしれない。少なくとも、現段階において、ラケルは別段その能力使ってどうのこうのしようという野心もなければ、さらに凄くなろうとして、計算高く日々特別な訓練に励んでいるわけでもない。タケノコのようにすくすくと成長し続ける以外、この女の子周辺では、さし当たって、事件らしい事件は何も起こってはいないのである。
 さても、おばあちゃん読んでいる朝刊。はさみをもった瞬間、アララ震えちゃってる!