ジャン=リュック・ゴダール『女と男のいる舗道』をめぐって

女と男のいる舗道

ボブかセシルか、あんな女優そんな女優

1930年代生まれの映画の革命児JLGことゴダールも鬼籍に入り
短い遺作『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』が上映されるなか、
なんとなく、気が向いたときに、昔の作品を見返したりしている。
ゴダールの軌跡を振り返るため、というほどのことでもないが、
昔に観た記憶が、どんどん心もとなくなってきているからである。

『女と男のいる舗道』の娼婦ナナ・クラインを演じる
アンナ・カリーナは、やはり可愛い。
どうころんでも、これはアンナ・カリーナのための映画だ。
結婚後第2作、蜜月期の作品なのだ。
『気狂いピエロ』のマリアンヌ、『はなればなれに』のオディール、
そして『女と男のいる舗道』のナナが自分にとってのアンナ・カリーナ、
というか、カリーナ オン ゴダール・ベスト3であるが、
(あっといけない、重要な一作『女は女である』を
 危うくスルーするところだった)

『女と男のいる舗道』の場合、なんといっても
ルイス・ブルックスへのオマージュともいうべき
世紀のボブヘアーがこの上なくきまっていて、
ぼくの想いをくらくらさせるのである。
ゴダール作品に初めて触れた『勝手にしやがれ』以来
ぼくはずっとアンナ・カリーナ<ジーン・セバーグだと思って来たし、
今更いい顔などできないしなあ、
この修羅場をどう切り抜けようかと、
などと少々ばかばかしいこと考え始めたことを告白せねばならない・・・

ジーンが好きな理由について、
どこか不幸をしょっているから、みたいなことをどこかで書いたのだが、
アンナの場合は、逆に女神的なたおやかさが魅力的で、
実際一時はゴダールのミューズであったわけだし、
歌うアンナ・カリーナやコメディエンヌを演じる
そんなお茶目な感じがよくって、
やはり、好きなものリストからははずせないな、
そんな思いを強く持ったのは『『女は女である』を見たときだった。

ここでも履歴書を書くときに指の幅で身長を測るキュートなナナや
ビリヤード場で男の気を惹かんと踊り狂う姿もコケティッシュで愛おしい。
まあ、今となっては、ジーンとアンナを天秤にかけるような
愚かなことはしないのだが。
ちなみに、原題『Vivre sa vie: Film en douze tableaux』は
「自身の人生を生きろ:12の絵に描かれた映画」の意で
そこからどうやれば『女と男のいる舗道』になるのかはわからないが、
まあ、カリーナに娼婦の役を演じさせたことで
婉曲的に『女と男のいる舗道』と言い換えたのかもしれない。
そう考えると題名は特に的外れでもない。
スタイルとしてみると、たとえば、ロメールが日にち単位で物語を刻めば、
リヴィットは場所ごとに、そしてゴダールの場合は章、
という風にヌーヴェル・ヴァーグの真髄は
物語を上手く短く刻んでゆくのが乙なスタイルというわけだが、
ゴダールの場合には、映像詩学というものが
そのリズムの基調になっているのだと思う。

娼婦役とはいえ、カリーナは『軽蔑』でのバルドーのように
いわゆる“肉体女優”ではなかった。
たとえば、シーン11「シャトレ広場、見知らぬ人」で
カフェの哲学者ブリス・パランと
偶然に哲学的会話を交わすシーンが好きなのだが、
テーマは「思考と言葉」についての考察というわけだが、
ナナが知りたいのは「愛について」だ。
そこで、ときおりカメラ目線になるナナの眼差しの先は
おそらくゴダール自身に向けられているような気がした。
「愛は唯一の真実であるべき?」というナナに対し
哲学者は「愛は常に真実であるべき」だが「それには熟練がいる」と返している。
その次のシーン12で、最後、不意に恋人に裏切られ銃殺されてしまうのは
おそらく『勝手にしやがれ』の逆バージョンで、
売春も死もうらぎりも、ここでは観念的に見せているにすぎない。
むろん、これも愛の現実なのだが。

要するに『女と男のいる舗道』は
ゴダール流のアンナ・カリーナへの愛を汲み取らねばならない。
ルイズ・ヘアーにさせ、わざわざ映画館でドライヤーの名作『裁かるゝジャンヌ』を見て涙をながさせ
娼婦のまねごとをさせ、そしてあっさりと死の洗礼を浴びせる。
非常なのか、クールなのか、
そんなレトリックにゴダールとカリーナの六年間の愛の歳月の重力をみる。
それは常に疑問形の愛だ。

何か言おうとー
言う前に考えているうちにー
いざとなると
もうなにもいえなくなるの

シーン11「シャトレ広場、見知らぬ人」でのナナの言葉より

うむ、これこそがぼくにとてってのゴダールへの寸評でもある。
あまりに神格化されすぎたゴダール像や映画への寸評は言葉との格闘だ。
ただ、ゴダールがのぞかせる、こうしたロマンティシズム?というか
案外純粋な男心が、同性からからしても可愛く思えたりする年になった。
そう思った頃には、ゴダールもアンナ・カリーナもこの世にはいないのである。

ちなみに、このボブヘアー、ブルックスタイプのものはショート・ボブである。
大岡昇平による『ルイズ・ブルックスと「ルル」』では、
四方田氏の教示をとりあげ、
ピンクレディーのミーが「コールガール」で
このショートボブを真似したことにも言及されているが、
不覚にも子供の頃、ピンクレディーといえば
ミーちゃん派だった自分として、大人としての立場から、
ブルックスへのオマージュであるカリーナの可憐さと比べると
ミーのボブが少々罪深きもののようにも思えてくる。
うむ、なんとも残酷なことであるが。
ま、ミーちゃんが悪い訳じゃないし、
子供には分からない世界なんだけれどね。

そんなわけで、僕個人はアンナの女っぷりが、
どこか若き京マチ子のそれを彷彿させるなあ、なんて思ったわけだけど、
カイエにおけるゴダールの盟友、ジャン・ルーシュが
溝口の『赤線地帯』の影響を指摘しているように、
なるほど、そういえば、京マチ子演じるミッキーに
どこかオーバーラップするような身のこなしがあるな、
ということは否定できないと思った。
ただ、ゴダールが仕込ませたナナが大いに哲学を語る女なのに対し
ミッキーは本能に身を任せる蓮っ葉だ。
ひょっとするとこのあたりが二人における現実のすれ違いに起きたことかもしれない。
とはいえ、この『女と男のいる舗道』の映画空間はふたりのものであり
あくまでも、ゴダールの手のひらの上で
まんざらでもない気分を醸しながら、
最大限の魅力を放つアンナ・カリーナを
実はニヤニヤしながら撮ってるゴダールがなんとも微笑ましい作品、
年を重ねるとそういう見方が素直に受け入れやすくなってくるのだ。

ルイズ・ブルックスとルル

ルイズ・ブルックスとルル 作者:大岡 昇平 中央公論新社

News for Lulu:John Zorn George Lewis Bill Frisell

ルイズ・ブルックスと「ルル」を本文で引いた関係上、音楽はこれで決まり。ジョン・」ゾーンによるハードバップ集。『News for Lulu』はジョン・ゾーンのサックス、ジョージ・ルイスのトロンボーン、ビル・フリーゼルのギターの3人編成で、これがめちゃめちゃかっこいい。今手元にあるかどうか、分からないけど、CDを買ったのはジャケ買いですね。ゲオルク・ヴィルヘルム・パープストのサイレントムービー『パンドラの匣』のスティール。まあ、『女と男のいる舗道』はミッシェル・ルグランで、こんなハードバップは使わないし、ムードは原曲のソニー・」クラーク・トリオのバージョンでもちろんいいんだけど、ぼくはやっぱしブルックスつながりのコレ。聴いて損はなし。

女と男のいる舗道:ロベール・モノー楽団

ちなみに、映画の中で、アンナ・カリーナが、ビリヤード台の周りをご機嫌に踊りまくるジュークボックスから流れてくるナンバーは、ロベール・モノー楽団のご機嫌ナンバー。こちらはこちらでベースがかっこいい。

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