ベルイマン『秋のソナタ』をめぐって

「秋のソナタ」1978 イングマール・ベルイマン
「秋のソナタ」1978 イングマール・ベルイマン

魂の空きに入り込む愛憎の母と娘。ソナタに何が響くのか?

世の倣いでいうと、
息子は父親と、娘は母親と、いずれも同性のよしみでの共感がある。
にしても、むしろそれゆえ何かと相容れぬ思いの方が
実情は多いのではないか、という思いが自分の目に映る現実である。
ベルイマンの『秋のソナタ』が
男性より、どちらかと言えば、女性に共感を与えるのは
そうしたテーマが実に生々しく描き出されているからだろう。
恐ろしくも深く、激しいまでの女同士の確執は
男同士のそれよりもはるかに複雑で、繊細だ。
そして何よりも痛々しい。
名匠ベイルマンの演出の元で、そんな関係を大女優二人
イングリッド・バーグマンとリブ・ウルマンが
見応えある演技をくりひろげる。
ここでもベルイマンブランドは健在である。

Ingmar Bergmanと Ingrid Bergman、
スウェーデンが生んだ映画人同士
並べて書くとこれが初共演だとは思えないほどの
その名の表記に共時性が見られる。
が、二人はそれほどまでに近くはない。
それは明らかに、個々の関連作品が物語っている。
反対に、リブ・ウルマンはベルイマンの公私に渡るパートナーであり、
切っても切り離せない関係にある。

それにしてもリブ・ウルマンという女優はすごい。
地味すぎはするが、凄い女優だというのがここではよくわかる作品である。
一方のバーグマン、これが「カサブランカ」で
ボギーこと、ハンフリー・ボガードと共演したあのハリウッド女優かと思うほど
ヨーロッパ的な哀愁をおびた円熟の貫録をにじませる。
そんな老いたバーグマンの
苦悩する一人の表現者としての表情には
なんとなくボウイにかぶるんだなあ・・・
それはさておき、
確かあれは蓮見重彦氏だったか、誰だったか、
バーグマンを大根役者呼ばわりしていたっけな。
彼女は果たして〝大根〟なのか?
わかる気もしないではないが・・・

されど『秋のソナタ』はいみじくもバーグマンの遺作。
覚悟を決めた彼女の渾身の演技なのかもしれない。
名をなすピアニスト、シャルロッテは
エゴイスティックな、まさに芸術家としての自我を優先することで
省みてこなかった娘エヴァとの間に生じる軋轢に心痛める母親である。
愛し方を知らない母親と愛を切望してきた娘。
冷静に見ると、娘のリブ・ウルマンの方に
おのずと感情移入したくなる話ではあるが
そうした安易な同情など入る余地もないほどに
恨みつらみにとらわれた激しい娘の感情が渦巻いている。
その女優としての力量がいかんなく発揮されるが
それでも対するバーグマンをここでは大根などといって
切り捨てることなどできはしない。

この映画におけるバーグマンは、
スノビッシュで、家庭を顧みず、
欲望のままに生きた芸術家としての凄みをにじませている。
死の影が忍び寄っているからなのか、
むしろ、それまでの女優としての集大成として
鬼気迫るものを感じるのだ。
まるでそれは、かつて、家庭を捨て
名匠ロッセリーニの元に走った女バーグマンそのものが
のりうつったかのように生々しく痛々しいものである。
ある意味、自らも牧師であった父親との間に
葛藤の日々を送ってきたベルイマン自身の体験そのものが、
母と娘との確執に置き換わっただけのようにも思われる。

初頭でまず夫が妻について
静かに観衆に向け語りかける。
そこで、娘は7年ぶりに母親を自宅へ招待するところからはじまる。
ひさびさに交える親子の団らんは
エヴァことリブ・ウルマンの途中からの変容ぶり、
加速する感情の揺れから一気に目が離せなくなる。
とりわけ、こみあげるマグマの内面を
母親にぶちまけるリブ・ウルマンの感情の発露は
さすがベルイマンに揉まれてきた女優魂ならではの
真に迫った迫力がある。
対するバーグマンも全然悪くはない。
母としての苦悩というよりは
ひとりの女、人間としての苦悩が浮かび上がっている。
だから、バーグマン大根説はひとまず却下しよう。

「ショパンのプレリュード(前奏曲)No.2」を弾く二人。
母親ではなく、ひとりの演奏家としての威厳に満ちた調べに対し
娘のそれはあくまでも繊細、かつ
何かを不安を抱え込んだノイズとして表現されている。

母親が顧みなかった不在に起きた事象、
娘は幼い息子エリックを溺死で失い、
残された妹、退行性脳性麻痺の次女ヘレナとともに
歩んできた苦悩の道のりが露わになる現実の重み。
また、障害を持った妹の言葉にならない感情の発露が
追い討ちをかけるかのように
目に、胸に、ぐさりと刺ってくる。
なんともいたたまれないシーンが続く。
どこまでもベルイマンである。

寄り添おうとすればするほど交わりはしない不毛な関係だが
それでも母と娘であることは避けることのできない現実である。
娘は娘として、母は母として、
互いの空白を埋めることができるのか?
ラストシーン、娘は母を許すことができたのか?
何もかも失いつつある現実の前で、
過去を清算して、娘に寄り添えるのか?
観客は各々感性にヒリヒリと問題を突きつけられるのだが、
『秋のソナタ』はそんな生易しいヒューマンドラマではない。
人間の根源、深層にまで及ぶ芸術家ベルイマンの魂が
隅々にまで昇華された映画である。
スヴェン・ニクヴィストの冷徹なるカメラワークが冴え渡る。

そなたは自分の母親なり、父親と生涯にわたって
良好なる関係を結び継続してきたであろうか?
そんな思いがひりひりと突きつけられる。
やはりベルイマン作品は恐ろしい。

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