リンダ・ハッテンドーフ『ミリキタニの猫』をめぐって

ミリキタニの猫 2006 リンダ・ハッテンドーフ
ミリキタニの猫 2006 リンダ・ハッテンドーフ

我ら猫族の鏡、路上に生きるジミーに微笑みを

猫フェチはいざ知らず
この世に猫をモティーフにした文学や絵画は無数にある。
どうでもいいことだが、【猫】という漢字と【描く】という漢字は
それぞれケモノへん、てへんに【苗】はおんなじだから
実に見た目がよく似ている。
だから猫を描くということはそれ自体で
至極ナチュラルに馴染みうる感覚だ、という気がするのだ。
そのことをちょっとだけ踏まえておいて欲しい。

さて、この世に五万といるネコ好きでも
ニューヨークの路上で猫の絵を描き、
その絵を売って生計を立て
しかもそれが日系人で、となると極力限られてくる。
あの忌まわしき911テロ事件を覚えているだろうか?
その年の元日、貿易センターの傍らでいつもと変わらぬ光景があった。
ひたすらに絵を描き続けていた画家と
とある女性リンダ・ハッテンドーフとの出会いが
この不思議なアーティストを世に知らしめることになる。
まさに猫が取り持つ運命の出会い。
あたかも迷い猫のごとく家に招き入れてしまったリンダ。
それは911の忌わしい出来事への回答だという。

ミリキタニことジミー・ツトム・ミリキタニ、
本名を三力谷勉(漢字で書くとなるほど納得する)といい、
カリフォルニア州サクラメントに生まれた日系人で
一度郷里日本の広島での生活を経由し、
いうなれば、帰米(キベイ)者として
「優れた日本の芸術を世界に紹介する」という大志により
再度海を渡った気骨ある人物である。
そのドキュメンタリー映画『ミリキタニの猫』が
多くの人の心を鷲掴みにした出来事となったのである。

両国に渡っての戦争、そして収容所生活、
その先には市民権放棄に至る道があり
挙句にはホームレスとしての生活を余儀なくされたが
それでもミリキタニは志を捨てはしない。
このミリキタニなるアーティストには実に不思議なパワーがある。
一体なんだろうか、このたくましい生命力は。

そもそもアメリカで日系人が
強制収容所に収容されていたなんて話は
この平和の国日本では、まず聞こえてはこない裏情報である。
あちらではどうなんだろうか?
あたかも触れてはいけないこととして
そんな負の遺産に関心を示す人間はおそらく稀なことに違いない。
もちろん、自分を含め、こんな日系人がいることすら誰も知らなかったわけだから、
この映画を観てなんだか救われた気持ちになったものである。

人生の過酷さ、数奇な運命に翻弄されたひとりの人間とはいえ
われわれがその重みにつぶされることなどないのだ。
むしろ、その人生を楽しむかのような
反動的に生き延びてきた人間ジミーの、なんともユーモラスで、
けれども決して日本人というハートを忘れない、
そんな野良猫のようなジミー・ミリキタニというアーティスト魂に
心底微笑まずにはいられない。

人生はその人の数だけ物語がある、
とはよく言われるところだが
ジミーはひとりでいくつもの物語をもっている。
そして92歳になるまで好きな絵を描き続けた。
この映画は彼の人生をすっかり変えたかもしれない。
晩年に、ようやく時代の慈悲なる光が差し込んだだけで
なにやら、こちらがホッとする気分だ。

ジミーはその後、来日もし、ゆかりある人々との交流も持った。
また、ヒロシマの平和の祭典にも顔を出した。
けれどその精神の根底にある、サムライ魂を継承するかのような、
一本のスジの通った信念のようなものは変わらない。
少々身なりが小綺麗になったぐらいか。
この物語は死後も終わらないだろう。
絵は残るし、ジミーの軌跡は
この映画を通じでたくさんの人間に勇気を与え続けるだろう。

絵もそうだが、この人の挙動をずっとずっと観ていたいと思う。
こういうドキュメンタリーっていいなと心から思った。
ジミーは自らを「グランドマスター(巨匠)」と称し胸を張った。
その言葉に嘘はない。
生き方はアウトサイダーだが、
彼はいわゆるアウトサイダーアーティストではない。
日本画の訓練を受けたというその腕前には確かな筆使いがある。
晩年まで「雅号雪山」という屋号を通し、日本絵画への造詣を示した。
とはいえ、伝統的な日本絵画でもなければ
気鋭なアバンギャルド画家というわけでもない。
優しさの影にはジャンルや手法に収斂されず、
ひたすら己の美学を追求したプライドだけが滲む。

猫だけではない、花鳥風月、虎や龍
そして観音様まで現れる宇宙。
それらをボールペン、クレヨン、色鉛筆と
手に入る道具で好きな画道に生きた。
卑屈な線、色彩はどこにもない。
それでいいのだ。
それが路上アーティスト、ミリキタニの真髄だ。
真の自由が何かを知っているのだ。
まさに、猫のように潜在的自由を武器に
あらゆる困難に打ち勝ちながら生き延びてきた
ミリキタニの人生は僕らが失ってきたものへの郷愁を掻き立て
原点回帰へと魂を誘ってくれるのだ。

そんなひとりのアーティストに、
日本人としての誇り、ソコヂカラを見る思いがした。

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