高峰秀子スタイル

高峰秀子

ナルーズな女、高嶺の女優ひでこ礼讃

官能的映画『お嬢さん』で知られる
韓国のパク・チャヌク監督が、
一番好きな映画としていたのが、
成瀬巳喜男の『乱れる』で、
その主演女優高峰秀子のファンだという。
その証として、映画のヒロインを秀子と命名。
なんだか嬉しくなってしまう。
映画が良かっただけに、
そのエピソードを聞いて我が事のように嬉しかった。
分かる人には分かるのだなと。
そういえば、レオス・ カラックスもそうだっけな。
おそらく、そんな映画関係は多いんじゃなかろうか?

かくいう自分も高峰秀子、通称デコちゃんの大ファンである。
好きな女優さんは他にたくさんいるけれど、
やはり、ちょっと格が違うのだ。
もの凄い美人でもないが、凛とした気品がある。
そのくせ、銀幕を離れると、意外にも家庭的、庶民的。
そのギャップもまた素敵だ。
いうなれば、飾らない、至ってナチュラルな女性像。
もちろん、会ったこともなければ、なんの繋がりもない。
数々の映画と残されたエッセイなどからの請負、
イメージだけの妄想にすぎない。
いや、妄想なんかじゃなくて、実際そういう人らしい。
それはエッセイなんかを読めばよくわかる。

残念ながら、すでにこの世の人ではない。
天国でいろいろな俳優さんたちと、再会したかな?
何しろ、子どもの頃からの、
根っからの映画人、女優さんだから、
きっと話は尽きないにちがいない。

そんな中で、やはり、成瀬巳喜男の高峰秀子、
というのが、自他ともに認める、
最大のスクリーンパートナーだったのは間違いない。
そのフィルモグラフィーをみると17作品、
なるほどと唸るような名作品が立ち並ぶ。
なかでも『浮雲』。
離れたくとも離れられない男と女の機微を、
名優森雅之とのコンビで熱演した姿は、
いまだ日本映画史に燦然と輝く恋愛映画の金字塔だ。
徳田秋声の『あらくれ』でみせた、
暴れ馬のような気性の荒い役から、
『乱れる』の忘れがたい未亡人、
『女が階段を上がる時』のバーのマダムなど、
微妙に揺れ動く女心の情感を、
成瀬巳喜男のむだのない演出で、
そのホンに欠かせざる華として、
長らく共犯関係を結んだ監督と女優。

普段は、一緒にいると息がつまるほど
面白みのない監督だと悪態をつくが、
それでも、一番気の合った監督、好きだった監督として、
高峰さんの中には刻まれていたのである。

今は影も形もない千石の三百人劇場での、
評論家佐藤氏との対談の中で、
そんなエピソードを披露している。
成瀬監督が、最後、病に伏して入院していたのを見舞ったとき、
もう一本高峰さんと映画を撮りたいと言ったという。
しかも、セットは白か黒バックで、何にもなし。
これほどまでに信頼されていた監督と女優さんの関係に、
傑作の種明かしを見た思いがした。

残念ながら、夢は叶わなかった。
個人的にも大好きな一本は、といわれれば、
林芙美子の『放浪記』を挙げる。
のちに成瀬作品のコアになる、
原作林芙美子、脚本水木洋子ものの代表作で、
最初に出会ったのが、この『放浪記』であった。
高峰さん自身のお気に入りでもあるらしい。

文豪林芙美子の出世作だから、
他にも映画化、舞台化の触手を伸ばしはしたが、
これが一番じゃないかと思う。
それは高峰さんも同じらしい。

林芙美子という女流作家は、お世辞にも佳人ではなかったし、
可愛いといった女子的雰囲気も皆無な、
いわゆる昔風の典型的田舎(広島)の文学少女である。
そこに苦労が生活臭とまじりあって、
垢抜けないが、なんとなく鼻につく、
あの成り上がり感をどう演じるか、
そんなイメージ作りに苦労したのだという。
綺麗にとられちゃたまりませんわ、
などとストレートにいうのも、
名カメラマン玉井氏への皮肉である。

それぞれ技術をもったものたちのせめぎ合い。
そうした細部へのこだわりもあるが、
その勝ち気な女優魂は、
なんとなく、文壇をのし上がった林芙美子にも通じるところで、
人生の酸い甘いを、文学にはない魅力で描き込んだ名作だ。

共演の宝田明のシーンで、何度やってもOKが出ない。
宝田さんは、先輩でもある高峰さんに
どこが悪いんだろうか、と頭を下げ聞いてみる。
だが、高峰さんは冷徹にいってのける。
「教えてなんかやるもんか、自分で考えな」
そう突き放された宝田明は随分高峰秀子を恨んだという。
が、のちに、それが先輩女優の優しさだと気づく。
以後の俳優人生、あの一言があったから、
自分は俳優を続けてこられたのだと。
職人気質な素敵な話である。

四歳のころから、子役としてこの世界に身を置いて
数々の巨匠たちのもとで、
映画とはなにか? 演技とはなにか?
を熟成させてきたのその術を、
言葉で説明しても意味はない。
自分が、その映画の役のなかで
監督の意図、物語の流れを把握して
瞬間にその技を切り返さなければ
長年銀幕の看板女優は勤まらないのだと。
そうした意地をさりげなくクールに、
どんな相手であれ示したにすぎないのだろう。
ぶれない一本の柱をもっていた女優さんらしいエピソードである。

 そんな高峰さんは、58で銀幕とおさらば。
このあたりの気風のよさ、
いさぎよさも彼女の生き方として現れている。
あまり気乗りのしなかった『浮雲』のオファーに、
適当に吹き込んだセリフのカセットを吹き込んで、
それをプロデューサーに渡したというが、
そんなのお構いなしで、始まった撮影の産物があの傑作である

この後に控えた結婚で、業界とおさらばする、
だから最後ぐらいは頑張ろう、
その覚悟で、望んだことが、
好結果につながっただけだと謙遜するが、
結局は、それからも約十年、
女優の座を守りつづけることになる。
「だって旦那の給料じゃ、とてもやっていけなかったんですよ」と。

そのパートナーは映画監督、脚本家であった松山善三氏。
有名女優とほぼ無名の監督。
確かに当時の二人の経済状況には、
歴然たるものがあったに違いない。
とはいえ、以後その関係は人が羨むほど
なかなかのおしどり夫婦として有名だった。
そうしたスタンス、生き様が生涯変わることがなかった。
どこまでも地に足のついた人、
それが高峰秀子の魅力なのだと思う。

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