オーソン・ウェルズスタイル『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』の場合

Falstaff 1966 Orson Welles
Falstaff 1966 Orson Welles

映画史ひとくくり、恐れ入りますこれぞシネマのオーソリティー

すでに生誕百周年を過ぎたオーソン・ウェルズ。
映画史に燦然とその名を轟かせる巨匠だ。
もっとも知られた作品はといえば『市民ケーン』だが、
その昔イングリッシュベンチャー
「家出のドリッピー」の英会話教材でその名を耳にしたことがある、
と言う人もいるのかもしれない。

日本人にとって、ネイティブスピーカーによる音声を即座に理解し、
自らも流暢に操って応戦することはかくも困難なことで
それをなし得たいという願望は我々の永遠のテーマである。
かくいう自分もそんなもどかしさの中で生きてきた。
英語に対してのアレルギーこそないものの
その壁を越えられずにいたっている。

だから、というわけでもないが
英会話の上達請負人としてのオーソン・ウェルズが
どこかで頭をよぎってしまうのだ。
名優、名監督によるあの格調高き調子、声。
それを聞いて英語が達者になるなんて夢のような話ではないか。
自分は一度も耳したことはないのだが、
映画を通じて馴染んできた、ウェルズの演劇調の声が好きだ。
とはいえ、聞いたからって
何も英語がすぐに上達するわけでもないだろう。
なるほど、オーソン・ウェルズの映画を
なんども繰り返し見ていると
少しは英語力が身につくのでは、という錯覚に陥るから面白い。

だが、そもそもオーソン・ウェルズって誰?
なんて言われ方をしてしまうと元も子もない。
悲しくなってくる。
ウェルズそのものが過去の産物として忘れ去られていることが
何より問題で、寂しい限りである。
だからこそ、あえてオーソン・ウェルズなる映画人を
今一度、思いかえそう。
ウェルズは過去の人物でもなければ
決して英会話教材のマスターではないのだ。

『市民ケーン』はいうに及ばず、
冒頭の伝説の長回しシーンで知られる『黒い罠』
あるいはカフカの『審判』
シェークスピアの『マクベス』
そして僕がもっとも好きなこの『フォルスタッフ』
残された作品を一度でも目にした人はわかるだろう。
やっぱり、オーソン・ウェルズって映画の天才だ。

シェークスピア劇には並並ならぬ思いを持って
映画づくりに没頭したウェルズが
その『ヘンリー四世』をはじめ
『リチャード三世』『ヘンリー五世』『ウィンザーの陽気な女房たち』などを
換骨奪胎しモティーフにした
オリジナル劇『フォルスタッフ』をみていると
やっぱり天才っぷりをいやが応にも意識させられてしまう。
監督として、演出家としての手腕は
わざわざ映画史を紐解くまでもないところだが、
メジャーにそっぽを向かれ
映画資金を調達するまでの度量を持ち得なかったことが、
返す返す悔やまれる。
あの風体にあった資金をたっぷりと差し出して
好き勝手、ご自由にどうぞ、冗談でもそう言ってあげたかった。
そんなウェルズの皮肉な運命を
この『フォルスタッフ』に重ね合わせて見ることもできるかもしれない。
せっかく悪友ハルがヘンリー五世として即位して訪れたチャンス。
夢見た思惑に裏切られ、悲しく葬られる結果となってしまった男。
それがフォルスタッフなのである。

酒に女に耽溺する太っちょの不世出の大ボラ吹き。
狡猾かつ豪快な男、
それまで散々放蕩の限りを尽くしてきた
老いたる騎士を自ら演じている。
まさに、シェイクスピア劇の名物脇役は
この人しかいないという感じの、はまり役である。
しかも愛嬌たっぷり、実に可愛いのだ。
バケツを王冠に仕立ててハルと王子ごっこをふざけるシーン、
あるいは悪友ハル王子が敵陣ホットスパーと
命をかけて戦っているそのすぐそばで
「名誉の戦死で死ぬのは真っ平御免」とばかり
死んだ真似をしての命乞い。
おまけに手柄を横取りしようする浅ましいまでの男っぷり。
随所にこの巨漢ウェルズの人間味が
惜しみなく振りまかれている。
ヘンリー五世となったハル王子に色めき立つも
そりゃあ、問屋が卸しませんよ旦那ってなことで
国内追放の処分で、そのまま衰弱死してしまうのだから
いやはや、フォルスタッフさんって
どこまでも憎めない男ですなあ。

それまで悪役というか、
邪悪な役こそがウェルズの真骨頂という気がしていたが、
フォルスタッフには、そうしたウェルズの
従来の個性、魅力がたっぷり注入されている作品だと思う。

しかし、この映画、よく見ると野心的。
やっぱりオーソン・ウェルズ凄いぞってなことに気づかされる。
舞台が1400年代の中世イギリスということもあって
雰囲気がどことなくベルイマンの映画を見ているような空気だが、
ベイルマンのような晦渋な宗教観は皆無である。
シュルーズベリーの合戦でのダイナミズムはあの黒澤ばりに迫力あるし、
かと思えば所々に早送りなどの遊び心が駆使されていたり
衣装もセットも空間も、全てにウェルズのこだわりが
満載で、エンターテイメントとして楽しめる。

俳優陣も個性派ぞろい。
中でもオーソン・ウェルズの長年の理解者であり
その才能にぞっこんだったジャンヌ・モローが
ジプシー女のような娼婦ドル役で
巨漢ウェルズとじゃれ合うんだから
面白くないはずがないじゃないか。

それでもオーソン・ウェルズ以上の個性がいるわけもなく、
全てはこの俳優のための“引き立て役”だ。

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