ワリス・フセイン『小さな恋のメロディ』をめぐって

小さな恋のメロディ 1971 ワリス・フセイン
小さな恋のメロディ 1971 ワリス・フセイン

新緑の季節に、青春プレイバッカーな僕がふといたずらに降りてくる

誰にだってどうしても忘れられない、そして外せない映画というものがある。
といえば、そのなかに『小さな恋のメロディ』をあげぬわけにはいかない。
そう、ちょうど、メロディが金魚を公共の水場に解き放って眺めるシーンのように、
ただただその光景を眺めてみていたいのだ。
蓮華の花咲く野原を、どこまでも手押しトロッコで
地平線に向かって遠のいてゆくあのラストシーン。
そんな二人の姿を、ずっとずっと見ていたかったのだ。
そこは理屈じゃないのである。

11歳のダニエルとメロディが引き起こす、この甘酸っぱい感覚。
いっても、イギリスだ。あれはどうころんでも日本じゃない。
少なくとも、僕の知る日本に、あんなロマンチックな風景はなかったな。
二階建てバス、ロンドンの喧騒、
そして厳格ながらも、大人びた感じのパブリックスクールの情景。
なにしろ、11歳のガキでもタバコをふかして、
ダイナマイトを作るんだからねえ。
そして、ミック・ジャガーのポスターにキスをする女の子とくる。
子供は子供だけど、やっぱりちょっと精神年齢は上だ。

そんな群像劇が、今から半世紀も前の出来事だというのに、
いまだに、胸の奥にしっかりと挟み込まれれている。
少なくとも、『小さな恋のメロディ』をみて、
無条件で、ドキドキしたことはまぎれもなく、我が青春の一コマだったのだから。

たしか、あれはテレビの水曜ロードショーだったかでみたこの映画は、
恋というものに、いや、そんな大げさなものでもないな、
なんといっていいのか、まさにこれから体験するであろう人生そのものを
ファンタジーとしてつめ込まれたような、そんな思いに駆られて、
思わず胸がキュンとしたものだった。
「12歳の細胞に流れこんだまま抜け切れちゃいない」
とブランキーの曲『小さな恋のメロディ』で
ベンジーが歌う気持ちはよくわかる。
もちろん、現実にはなかなか味わえなかった感覚なんだがね。
ただ一緒にいたいだけで、いきなり結婚しようといいだす、
あの無謀さ、怖いもの知らずの若さ、純粋さ。
でも、だれもがそんな瞬間を、こちらも少しは生きてきたはずなのだが、
いまじゃ、遠い昔の、おとぎ話で済ましてしまうのが、大人たちの悲しさだ。

とはいえ、そんな思いをいまだにこうやって引きずっていても、
それはそれでなんだか気恥ずかしい。
あんなものはしょせん幻影さ、
いい年をして、人に堂々といっていいものやら・・・
なあんていうのは、あまりに日本人的な発想だ。
当時、この作品は本国イギリスでも、アメリカでも、相手にされなかったが
ここ日本で火がついた。
まさに「メロディーマジック」だ。
そんな日本人の感性を、バカにできない。
そもそも、なにも卑下することなんかじゃない。
この映画、いくつになっても、忘れがたいと思う感情は、
自分自身が自分自身でいつづけられている、ということの
ひとつの証なのかもしれない。

メロディもダニエルも、実に胸躍らせるに十分な可愛さがあったが、
大人になって見返してみると、やんちゃ坊主のオーンショーがなかなかいい。
ぶっきらぼうで粗忽なんだけど、本当は寂しがりやで、友達思い。
最初に、ダニエルの母親の運転する車に、図々しく乗り込んだはいいが、
家庭の事情を知られたくないばかりに、去勢を張って金持ちの家の前で降りたりする。
かと思えば、なんの不満もないような中流家庭のダニエルに
かまってかまって友達になろうとふりまわしたりする。
ダニエルとメロディにおいてきぼりをくう、寂しさ。
そんでもって、メロディとの間をからかって
喧嘩したりもするが、最後は粋な計らいを自ら率先してかって出て
二人の仲をとりもって、結婚式の真似事をしたあと、
大人たちを振り払って、トロッコに乗せて彼らを祝福するのだ。
なにもかもが素敵な時間が宝石のように詰め込まれている映画である。

リアルタイムではなかったけど、70年代、
そんな想いとともに大人になっていった自分を
今、記憶を手繰ってふと愛おしく思い出すことができるのも、
この『小さな恋のメロディ』のおかげなのだ。

小さな恋のメロディ ― オリジナル・サウンドトラック

映画と匹敵するぐらいこのOSTが大好きで聴いてきた。
この映画をより素敵にしているのは、間違いなくこのサントラの魔法メロディにちがいない。
ビー・ジーズにとっても、代表作の一枚に数えられる名盤だ。
「メロディ・フェア」は忘れがたいナンバーだけど、
ダニエルとメロディの初デートに流れる「若葉のころ」もいいな。
そして、もうひとつのビッグネームCSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」。
世代を超えて、いいものはいい。
そう受け継がれてゆくだけのものがここにはある。
けして、素朴なだけじゃない。ここには真理がきこえてくる。
ジュリーガルシアのペダル・スチール・ギターをフィーチャーした
『Déjà Vu』に収録されているバージョンもすごくいいんだけどね。

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