アニエス・ヴァルダ『冬の旅』をめぐって

Sans toit ni loi 1985 Agnes Varda
Sans toit ni loi 1985 Agnes Varda

汚れた果てたアフロディテ、荒野に果てる

今年の冬はいろんな意味で厳しい。
まして、野宿するなら覚悟が必要だ。
雨露夜風は凌げても、
身を切る寒さから身を守るのは容易ではない。
人は言うまでもないが、
その覚悟無くして、猫たる生き物は務まらない。

野良猫と飼い猫ではおのずと寿命が違うもの。
生活環境の酷さゆえ、野に生きる猫が
圧倒的に寿命が短いのは当然の摂理である。
それでも、さすらうことは生き物の本能であり
そこにあたかも達観を呈しているかのごとく
何食わぬ顔つきで徘徊する野良猫を見ると、
思わず駆け寄ってスリスリしたくなるのが人情である。
けれども、さすらいの猫たちは、決して人になびかない。
なびいたところで、なんの解決にもならぬことを知っているのだ。
たった一つの意志、つまり、絶対の自由という権利を
何人にも奪われはしないといった風に。

地図上、歴史上に散見する、
いわばさすらう宿命を背負った民族たちからすると
夢見るような、ばかげた空想にしか映らないだろう。
だれも、そうした不遇の日々を望みはしない。
屋根があり、雨風雪をしのぐ温室育ちの人間には
決して理解できるはずもないさすらいへのあこがれは
人間が勝手に作り出したメロドラマに過ぎない。

アニエス・ヴァルダの『冬の旅』
(原題は「屋根もなく、法もなく」で、
最初の邦題も、いつしか『さすらう女』へと変更されている。)
そうした現実を決して美化することなく
ひどく厳しい現実をさらけ出す。
旅とさすらいを同じ目線で語って良いものか?
そうした矛盾が暴きだされはするが、その主張はあまりに非情である。
18歳の少女モナが、そのさすらいの果てに
ひとしれず命尽きる映画である。
女路上生活者として生きた数日間、
出会うさまざまな人間を通し回想しながら
彼女の人間像に触れようとする。

ときはワインの収穫祭の真っ最中である。
一人の少女が倒れている。
南仏の輝ける太陽は、色褪せた冬の装いで
あまりにも鈍く厳しい。
これはモナの自由としての代償だ。
彼女は誰にも愛されはしなかったし、
また、誰も愛すこともなかった。
気ままに働き、社会と距離を保ち、周縁を歩いた。
孤独と現実を噛み締めながら、
ひたすら何にも取り込まれず自由だけを望みながら、
何もない人生をさすらい続けなければならなかった。
そんな人生が長く続くわけもない。
だから、映画を見る感性はその運命のなりそめや
彼女の心情を各々の感性で埋めあわさねばならない。

ヴァルダは決して、それを感傷的に扱ったりはしない。
だから、ここには一切ドラマ性といったものものがない。
実話に基づいた映画でありながらも
あるがままに運命によって投げ出された
18歳の少女の運命をカメラというクールな視線だけで
あたかもドキュメントのごとく追うだけだ。

暴力(レイプ)、無関心、反発、飢え、寒さ。
彼女を待ち受ける現実は実に過酷だ。
そのことだけがひしひし伝わってくるが、
彼女自身のことはほとんど明かされはしない。
あたかも冷たい冬の海からやってきた不運なアフロディテのように
孤独のなかで、ある種の崇高さを携えながら。
だから間違っても共感など芽生えようもない。
ここにどんなメッセージがあろう?
しかし、逃れ得ない何かが重くのしかかってくる。
それは社会や共同体の中で
かろうじて息を潜めて生きている多くの人間たちの
心にじんわり染み込んでくる何かだ。
真冬の荒野に、ただあらゆる現実を捨て去り、
ひとり立ってこそ、得られるであろう何か・・・

決して誰も同じラインには立てないが、
この理想の温もりに確かさを覚えきれない人間たちにだけ響く、
不穏な気配だけが、彼女の運命を通して
自身へと覆いかぶさってくるのだ。
実に美しくも残酷で、恐ろしい映画であった。
アニエス・ヴァルダの描く映画には、こうした
人間が日常で何気なく見過ごしたりやり過ごしたりする現場を、
あたかも絶対の他者として提示するといった姿勢が
終始貫かれている気がしている。
観客はその傍観者を余儀無くされるのだ。

それにしても、モナを演じた
サンドリーヌ・ボネールという女優の
肝の据わった女優魂には驚かされる。
史上最年少の若さで、セザール賞最優秀女優賞に輝いた
その演技力もさることながら
女浮浪者として、まさに身体を張った演技は
演技を超えたある種の崇高ささえ漂う。
文字通り、実力俳優への道を歩き出した
このフランス映画を代表する女優の軌跡は、
まさに1994年のジャック・リヴェット
『ジャンヌ/愛と自由の天使』『ジャンヌ/薔薇の十字架』における
ジャンル・ダルク像で決定的なものとなる。
堂々、この永遠のヒロインを演じうる技量を持ちうる女優は
このサンドリーヌをおいてだれがいよう?
そんな風格が漂っていたのを思い出す。

その後、彼女は2007年に『彼女の名はサビーヌ』で
監督デビューをも果たしているが、
これは長きにわたる不当な扱いの果てに、
精神病院へ収容されてしまった
一つ違いの自閉症の妹についての
厳しい現実を正面から捕らえたドキュメンタリーでありながら
同時に、姉として、ひとりの人間として抱える闇に
向き合わざるをえなかった、ひとつの戦いの記録でもある。
その強さこそが、この女優の真の核なのであろう。
そうした意思が、強さともろさの同居するモナの運命に
色濃く反映されているのが
このアニエス・ヴァルダの『冬の旅』なのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です