ヴィム・ヴェンダース『パリ、テキサス』をめぐって

Paris,Texas 1984
Paris,Texas 1984

さすらい道入門

これまでなんども見てきたヴェンダースの「パリ、テキサス」。
我が人生で忘れがたい10本の映画から漏れることはないだろう。
この映画を改まって見直すのって、二十年ぶりなんだよな。
今でも、この映画に再会したいと思うことが時々ある。
孤独を感じる時、自分の境遇がこのままでいいかどうか
頭を悩ませるような時、自信を失ってしまうような時・・・
すなわち、どこかへ旅立ちたい思いからである。
もっと言ってしまえば、人生から逃げ出したい、そう思うような時、
僕の頭にはこの映画のハリー・ディーン・スタントンが脳裏をかすめる。

やはり、これは小さなモニターで観る映画じゃないと思うのだが、
なかなかそうはいかない。
あれほど感動して,ずっと体内に感覚が残っているというのに
年月を経てみ直すと
いろんなところが抜け落ちているのに気づく。
もちろん自分の視点もずいぶん変わっているというのもある。
まさにトラヴィスの記憶のようにあいまいで、
あるときから一気に現実にひきもどされるような、
そんな思いがする、そんな映画である。

モハベ砂漠にぽつりたっている記憶喪失のトラヴィスが
息子とともにようやく探し当てた妻を
最後ヒューストンのホテルの一室によび出しておきながら、
わかれわかれになっていたジェーンとシェーン母子の再会を
窓の外から確認だけして
自分は再びどこかへ去ってしまうまでの二時間弱のドラマが
当時のぼくの人生にとって、どれほど大きな影響をあたえてきたか
いまみるといっそうそういう思いがしみじみとつのってきて、
熱いものがこみあげてくる。
なぜかあの砂漠に立っていたのが
自分だったかのような気さえするのだった。

ジョン・フォードの映画へのオマージュであるかのような
広大なアメリカのロケーション。
クライマックスの奇妙な「のぞき部屋?」での
感動的な再会と対話。
ゆっくりと確かめあいながら結ばれる
息子と父の心のふれあい・・・
そして、テーマである「彷徨」へと回帰するエンディング。
すべてが色あせず,やはりこの映画は
ヴェンダースの最高傑作であることは、何十年たっても疑いようがない。

それにしても、今は映画の重要なタームの一つにさえなってしまった
「ロードムービー」という言葉を、もっとも強く意識した映画が
思い返せば、この『パリ,テキサス』からだったような気がしている。
それはたんに地図上の、どこそこからどこそこへ
といった空間移動のみならず、
魂の移動,彷徨という意味をふくんでいたのは間違いない。
『さすらい』や『まわり道』『都会のアリス』といった
70年代からのヴェンダースの主題は
まさにさすらうこと、探しもとめることにあった。
その集大成が『パリ,テキサス』だったように思う。
残念ながら、次の『ベルリン天使の詩』を最後に、
ぼくのなかでWWとの真の映画体験は終焉してしまった気がしていた。
この『パリ,テキサス』を超える作品に出会えなくなって以来、
ぼくのなかではWWに対しては、
ジェーンを失ったトラヴィスのように
いまだそれがなんなのかを、ずっと探しつづけていかなくてはならないのだ。

このあとに見た『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は
ある意味その答えなのかな、とも思っている。
ヴェンダースという作家は、時代の嗅覚にすぐれているし
もちろん才能もある。
とりわけ、音楽への愛情とまなざしにおいて、
映画史のなかで、もっとも敏感な作家の一人なんだと思う。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』にでてくる音楽も
そのミュージシャンたちもとても魅力的だ。
でも、だからといって、ぼくはこの作品が
ヴィムの真の復活だなどとは思っちゃいない。
この手のものは、ヴィムなら感性で撮りあげてしまう。

ヴィムはややもすれば、その音楽愛におぼれすぎてしまう感があって
たとえば『ランド・オブ・プレンティ』においても
そういう色合いが強く反映されている。
確かにサウンド・トラックとしては、
これほど優れたコンピレーションはないと思う。
レナード・コーエンの唄はハートにぐっときたけど、
エンディングに使うのはあまりにもずるいと思う。
『ミリオンダラー・ホテル』然り・・・。
でも、少なくとも映画における音楽が
ちゃんと機能していたのは『ベルリン・天使の詩』までで
以後、WWはなにかを失ったかのように
映像と音楽がバラバラに相互主張しながら
どこか消化不良の映画を量産してきた気がするんだな。

もっとも、WWを今日までずっと追いかけてきたわけじゃないし
やはり初期から『パリ,テキサス』への流れへの思いが
ぼくには少し強すぎると言っていいのかもしれない。
『パリ,テキサス』でばっちりはまった
ライ・クーダーのスライド・ギターが
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』でのキューバ音楽に
すんなりとけ込むのはある意味自然なことだ。
とは言え、映画と言うものは、それほど脳天気なものじゃない。
やはりそこが映画の難しさ、恐ろしさだ。
ヴィムならきっとどこかで気づいているんだろうと思う。

そういっても、ヴェンダースはぼくにとっては
未だ重要な作家であり続ける。
常に一定以上の良質な映画を撮り続けることの難しさ。
映画作家は職業作家ではない、という思いで見れば擁護したくもなる。
それは『東京画』で笠智衆や厚田雄春を収めた
ロビー・ミューラーのカメラにやどった、
ヴィムの魂のようなものが、三つ子の魂百まで、
といった映画への愛を信じさせてくれるからだ。
実際『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』や
『ソウル・オブ・マン』といった音楽ドキュメンタリーですら
確かにすばらしい。

しかし、彼が尾道で見た景色が写真に収め
小津への憧憬を示しながら
そうした映画の息遣いを感じることができたことを思い出そう。
ヴェンダースは、あの小津を師として
この『パリ,テキサス』へ至ったのである。
家族のあり方、優しさ、思いやり、
それら。漠然としたものが、直接的なものではなく、
どことなく遠回りして、他人行儀でありながらも
自分自身の問題として収斂しされてゆく『パリ,テキサス』の先を
僕は、僕で考えてゆかねばならないのだ。
もう一度、原点に戻らねば見えてこない風景。
そしてこうつぶやいていた。
とまらずに、歩き続けよう、心の師よ!
僕もまた歩き続けるしかないのだと。

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