勝新スタイル2『兵隊やくざ』の場合

1965年 『兵隊やくざ』 増村保造

遊女よりも友情を選ぶ、魂のホモソルジャーたちに乾杯を

勝新3部作『悪名』に引き続き、
『兵隊やくざ』も見直してみた。
これまでそれを幾度となく往復ぐらいしてるが
やっぱり面白いのだ。
そう胸の内で叫ばせたのは、
一にも二にも、この『兵隊やくざ』という痛快ムービーのなせる技、
しらなきゃ損、観なきゃ大損、
これぞ活劇、アクション大魔王!

さて、この勝新&田村高廣の天下の名コンビ、
大宮貴三郎と有田上等兵が繰り広げる
戦地でのドタバタコメディーは実に痛快極まりない活劇天国。
なんだか胸がすっとするだけでなく、大いに笑えること間違いなし。
ハラハラドキドキ、興奮いたしやした。
いやあ、至福の戦争映画、などというと誤解されるところでしょうが、
そういう縛りを抜きで見るべき娯楽映画なんだと思います。

原作は有馬頼義『貴三郎一代』。
主人公は大宮喜三郎という実に図太く鉄面皮、
戦場を戦場だと思わせない、心臓に毛が生えたこの男で間違いないが
それを支える有田上等兵から見た視点で物語は進行する。
(映画にも効果的にそのナレーションが使われている)
脚本は黒澤組の屋台骨、菊島隆三。
そしてまずは第1作メガフォンを取るのは鬼才増村保造。
これで、面白くないわけがありませぬ。
満州にて、駐屯する関東軍に、
勝新扮する大宮というやくざ上がりの一等兵が舞い込み、
有田上等兵はそのとんでもない初年兵の指導を任される、
というところからスタートいたしやす。
軍隊の世界はというと、すべては★が実権を握っている。
大宮がいくらほざいても★はひとつ。
長い物には巻かれろ、とはこういう世界では必然的に生まれるんでしょう。
それゆえ、身の程知らずの生意気ものには容赦なし、
ところがどっこい、生半可な制裁じゃあびくともしないのが
この天下不死身の大宮であります。

顔をなぐれば、殴ったほうの手が痛むのであるから
たまったものじゃないっすね。
上官だろうが、憲兵だろうが、
大宮には関係ござりませぬ、
が、そこは軍隊、手を変え品を変え出る杭は打たれ続ける。
無鉄砲で直情型大宮危うし。
ところが、そこへインテリ有田上等兵殿、
知恵と情を一心にふりそそぐもんだから、
鉄壁のコンビネーションが結成され、
いつしかふたりは切っても切れない関係へと相成り、
瓢箪から駒の腐れ縁となって、固く結ばれて、
一難去ってまた一難、逆転につぐ逆転、
まるで甲子園、夏の高校野球のように、
その日その日を勝ち抜いてゆくバッテリー、阿吽の呼吸、
「本当に、お前と言う奴は・・・」と言うセリフを
何回きかされる事になるか、
そうして逐次示し合わせて一喜一憂しながら、
珠が飛び交おうが一向に当たるはずもなく、
ついには終戦を歓喜で迎えるのであります。

兄弟仁義ならぬ、
戦場で芽生えた男と男の友情物語、
ともすれば、友情なんてあまっちょろいものではござりますまい、
こりゃあ究極の愛かもしれませんぞ。
助けた女をトラックに乗せ、
そのまま乗り込んでいれば内地に帰れるかもしれないところで、
「上等兵どの~」と女よりも自由よりも
やっぱりこの戦友の方を選ぶ『兵隊やくざ 脱獄』。
その絆の深さをみて、二人を引き離そうと
ワル上官たちが策略を巡らせるほどの7作目『兵隊やくざ 殴り込み』
シリーズも煮詰まり、8作目『兵隊やくざ 強奪』では、
満州現地で置き去りの赤ん坊を拾うはめになり、
あげくには大宮が「内地へ帰ったら3人で仲良く暮らしましょう」
などと能天気なことをいいだす始末。
てなわけで、別段ホモ映画などではございませんが、
魂のホモソルジャー、これほどまでに篤き絆をして、
そういう見方もございましょう。

それにしても、この一等兵さん強いのなんのって、
鉄砲の弾だろうがなんだろうが、
怖いもの知らず、負けません、死にません、
喧嘩と名のつくシーンでは水を得た魚のごとし暴れ回る、
そこは映画の醍醐味、刀なき十八番の太刀振舞。
軍隊生活の過酷さは想像を絶しますが、
といってさぞかしこんな兵隊いたら大変でしょうなあ、
と同情の余地まで芽生える始末。
(いるわきゃござんせんが)
規律と階級命の世界で、
これほどまでに、自由奔放に生きるなんざ
誰に真似が出来ましょう。
戦争で生きのびるよりもはるかに難しいでしょうな。
だから、このシリーズの面白さは、
反戦映画というよりは、
階級社会、ひいては、反権力映画としての痛快さに加え、
この比類なき二人の仲の良さ、
息の合った掛け合い、
ひとえにその人間的魅力につきるのであります。

直情型の大宮は、喧嘩が強いだけではなく、
大のへそ酒好きの女好き、
そして字は書けないが、浪曲を披露したりする芸達者、
その一挙手一投足に、
とにかくエネルギーが充満しているのでありますが、
そのしぐさや言動に、なんともいえず可愛いところがあって、
実に単純明朗なキャラこそは
ニンゲン勝新太郎の魅力そのものでありましょう。
いっぽうの有田上等兵は、暇な時は読書などをする帝国大学出のインテリ、
戦争や暴力を憎みながら、
的確な状況判断のできる思慮深さを兼ね備えた賢者。
さすがは板妻の血を引く田村三兄弟の長男高廣ここにあり、というところ。

やはり、ヒーローはヒーローだけでは成り立たない。
悪役たちが究極の悪事でヒーローを痛ぶり、
そこを後ろでまるで女房のように支えるという物語の力学の幅が
大きければ大きいほど面白くなるのは活劇の基本。
それが戦場という、明日なき現場であるという緊張感でもって
実にスリリングにツヤと活気を与えているのであります。

ゆえにこの作品は、なんといっても有田あっての大宮、
大宮は自分をかばってくれた有田を
以後「上等兵どの」と子犬のように慕えば、
有田もまた「大宮、お前というヤツは・・・」
これまた切っても切れないその腐れ縁を覚悟して、
自分にない魅力を感じ取って
弟のような、子犬のような大宮を優しく諭し内地を目指す。
列車を切り離し脱走、戦場にあって、
まさに、生き延びるために、
脱獄、逃走、突撃、権力と威圧にあらゆる抵抗を試み、
かくして、これ以上ないこの肉体と頭脳の共同体が
軍隊という不条理な仕組みに見事勝利するのが醍醐味なのでありました。

さて、とりあえず、記念すべき、
増村保造の演出が冴える第1作から観るのが筋でしょうね。
シリーズ外、カラー版という異色作で、
勝プロ独立の作品『新兵隊やくざ 火線』は
この増村版の焼き直しで、完全にオマケですね。
途中は中だるみというか、シリーズ特有のマンネリ化はありますが、
なんならこの一作だけでも観て損はございませぬ。
ちょっと、以後の作品とは温度が違っています。
なぜなら、監督泣かせの風雲児カツシンと、
俳優泣かせの鬼の増村の対決があるからで、
その気迫のぶつかり合いが
つまらないものになるわけがないのであります。

このシリーズは、二作を覗いて、
田中徳三監督シリーズでもあります。
増村版を除いては、個人的には森一生が監督した「兵隊やくざ 脱獄」
田中版では、玉川良一、藤岡琢也といった
個性的な脇役に彩られた「新・兵隊やくざ」が
特に面白かったなあ。
ともあれ、頭で手榴弾をコツッとやって投げるシーンや、
女や酒を前にして子供のように
嬉々としてはしゃぐところや、
上等兵の安否を想って泣きが入るところ、
自分に優しくしてくれるニンゲンにはとことん情で返すところ、
ときにユーモラス、ときに駄々っ子、ときにシンミリ、
怒りに震える情感豊かな大宮貴三郎に惚れました。
悪名の朝吉、座頭市にはない、奔放なカツシンの魅力満載で、
このシリーズもまたどっぷりとはまってしまった
こちらいうなりゃ活劇やくざ、
そんなところでござんした。

VIVA 兵隊やくざ、VIVA KATSUSHIN! 

1.1965年 『兵隊やくざ』 増村保造 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
2.1965年 『続・兵隊やくざ』 田中徳三 ⭐︎⭐︎⭐︎
3.1966年 『新・兵隊やくざ』 田中徳三 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
4.1966年 『兵隊やくざ 脱獄』 森一生 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
5.1966年 『兵隊やくざ 大脱走』 田中徳三 ⭐︎⭐︎⭐︎
6.1967年『兵隊やくざ 俺にまかせろ』 田中徳三 ⭐︎⭐︎⭐︎
7.1967年 『兵隊やくざ 殴り込み』 田中徳三 ⭐︎⭐︎⭐︎
8.1968年 『兵隊やくざ 強奪』 田中徳三 ⭐︎⭐︎⭐︎
9.1972年 『新兵隊やくざ 火線』 増村保造 ⭐︎⭐︎

PS
かのバルチュス画伯も愛した勝新ですが、
なんでも60年代来日当時に、
京都で散歩中偶然目にした看板が
この「兵隊やくざ」だったようで
「このバルザックに似ている男性は誰なのですか」と
奥方である節子さんに尋ねると、
そのまま魅入られるように映画館に入ってしまった云々、
そのようなエピソードが
「グラン・シャレ夢の刻」という
節子さんのエッセイ本のなかに書かれておりました。
以後、親交を深めるこの異色の出会いのきっかけを、
我らが大宮が導いたのは、
いかにも愉快なエピソードであります!

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