市川雷蔵スタイル『陸軍中野学校』の場合

陸軍中野学校

未だ輝く雷蔵サンダー、音もなく表情もなく色褪せもなく

映画産業隆盛期、衰退の道を辿った大映に
カツライスと呼ばれる二大看板があった。
まさに活劇の王道、救世主だった。
カツは勝新、ライスは雷蔵こと市川雷蔵。
絵的にも性格的にも対照的な二人だったが、
ライバルでありながらもとても仲が良かったらしい。
勝新にはそれこそエピソードは事欠かないが
今までなんども書いてきたから、ここでは割愛する。
歌舞伎役者から映画俳優へ、そのクールな2枚目として
多くのファンに愛された市川雷蔵について、今回は書いてみたい。

雷蔵といえば、円月殺法という、必殺の決め技をもつニヒルな剣士、
「眠狂四郎」のイメージが強いが
実は幅広く演技をこなせる柔軟な俳優だった。
であるが、自分が好きなのはむしろ
『陸軍中野学校』シリーズの方である。
実在するスパイ養成学校である『陸軍中野学校』の
ニヒルなスパイ三好(椎名)二郎を演じている。
まるでエリートサラリーマンみたいな感じで、
国防の使命を背負ってスパイを遂行する冷徹な男だ。
この『陸軍中野学校』は勝新の三部作
『悪名』『兵隊やくざ』『座頭市』と同じく、
大映の人気シリーズとして、名高い。
増村保造による『陸軍中野学校』がヒットすると
『陸軍中野学校 雲一号指令』1966 森一生
『陸軍中野学校 竜三号指令』1967 田中徳三
『陸軍中野学校 密命』1967 井上昭
『陸軍中野学校 開戦前夜』1968 井上昭
と次々に続編が制作された。

おきまりのパターンだが、
流石に大映でスッタフは一流揃い、固める脇も充実している。
中でもやはり増村版『陸軍中野学校』を語らねば話は始まらない。
雷蔵のクールネスがその役柄と見事リンクしている。
血の通わない冷血スパイで、使命のためには
女房さえも葬ってしまう、そのニヒルさがたまらない。
が、最後ナレーションで
「私もスパイだった。私の心も死んだ」とあるように
そんなクールガイの内なる葛藤の陰がにじむ。

世界を救うため、という大義を振りかざし、
スパイに必要ないろはが徹底的に教え込まれてゆく。
変装、暗号解読、拷問責め苦はまだしも
そしてダンスから女の肉体を繰る教義まで
女をくどくことさえもその秘技の中に組み込まれるというのだ。
加東大介演じる草薙中尉の指令のもと
軍籍も戸籍すらなくなっても野望を抱いた先鋭の十八人の将校たちが
こうして次第に人間性を失いつつ、
スパイとして使命に燃えてゆくという流れだ。

映画としては極上の面白さだが、
ひとつ嫌なことが頭をよぎる。
オウム事件のことである。
麻原を始めとする13人もの死刑が執行された
戦後最大の洗脳集団として悪名高きあのオウムである。
麻原は別としても、残りの弟子たちのことが気にかかった。
つまり、弟子たちがやったことは、
たとえ麻原の洗脳によるものであれ、非道なことで、
死刑に値するほどの事件ではあったが、
よくよく考えれば、国家のためだと戦争に借り出した
日本の歴史をひもとけば、いくらだってあったことだろう。

こうして、スパイを育成せんがために、
有能な若者たちを騙して洗脳し、
自由を剥奪し、仲間を自決に追い込み、
恋人までを殺してしまわねばならないという話を前に、
これらが映画であることはさてき、
所詮お国の為だと都合よく戦争に借り出した支配欲は
あらゆる洗脳の手にステロタイプに組み込まれているものなのだ。
そんなことに改めて気づかされる思いがし
ただただ愕然とした気分になったものである。
要するに、これは人間の負の縮図でもあるのだと。

正義という名目で繰り返された悲劇。
失われた多くの命。
やはり戦争は罪深い。
だが、罪深き世界だからこそ、またぞろ映画として
格好のドラマを生み出してゆく舞台となるのだ。
そんな構図が『陸軍中野学校』には十二分にある。
だから面白い。

スパイとして、市川雷蔵ほどお似合いの役者もいまい。
雷蔵といえば2枚目で、配役としても完璧なまでに
この役を演じきっているが、
その表情には脱ぐい去れない人間の孤独や、
死の陰が支配し
儚さや虚無をぬって生きざるを得ない傀儡としての宿命を
快楽の極みとして描き出している。
その美しい表情にうっとりしながらも、
そのどこか儚い物語を前に畏怖しそうになってくる。

『陸軍中野学校 開戦前夜』の一年後
37の若さで帰らぬ人となった雷蔵。
そのまた一年後に大映は倒産。
まさにひと時代の終わりにいた伝説の役者といっていいだろう。
音のない稲光が時代の亀裂としてそこに刻印されている。

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