浅野忠信スタイル『FOCUS』の場合

FUCUS 1996 井坂聡

漆黒の闇にある太陽、声の焦点はどこだ?

浅野忠信という俳優が好きだ。
なぜ好きなのか、そんな直球の思いを
理論立ての説明で詳しく語れるほどの自信はない。
よって、大した含みもないままに
ウダウダと思いを垂れ流すように書くしかないのだが
映画というものへの取り組み方が、少しばかり
既存の日本の俳優たちの中でも
共感できる部分が抜きんでているような気がしているのが
自分にとっての浅野忠信という俳優なのだ。
そもそも役になりきるという職業的意識からではなく、
役とともに生きる、演じることを粛々と実直に敢行できる姿をのぞかせ
その自然なまでのオーラの中に、強さという魅力を放ち
その中で、確実に何かを突きつけてくる稀有な存在として、
自分は当初からその視線を注いできたのだ、といったところである。

もっとも、本当のところどうだかはよくわかってはおらず
実際、浅野忠信の何をどう知っているでもないというのが本音なのだ。
簡単に斬って捨てるような作品がない、というのも事実だが、
そんな適当な解釈を絡めようが絡めまいが
彼の評価はすでに認知の上で出来上がっており、
一人歩きしているのもまた事実である。
ざっと好きな作品を順番に並べることもできるのだが、
逆説的に自分が好む映画に、なぜか浅野忠信がいて
ハッとする演技を見せてくれる、そのことの方が遥に心躍るのである。

いるだけで、自然に好意の眼差しが向けられ、
自ずと、作品を傑作たらしめているような気がしている作品。
それはデビュー作である青山真治の『HELPLESS』を皮切りに、
石井聰亙の『夢の銀河』、石井輝男の『ねじ式』
あるいは最近では深田晃司による『淵に立つ』など、
普通ではない人間を、トリッキーな演技に依存することなく、
演じ切ってきたのを目の当たりにしてきたことで認識している。
そんな姿のどれもがやはり印象深いのだが、
ここでは、そんな浅野忠信を最初に見入った作品、
同時に書きたい衝動が煽られる作品、
井坂聡による『FOCUS』について、フォーカスを当ててみたい。

オタク風の盗聴マニアが、マスコミの取材によって
当初はオロオロしながらも、一つのきっかけで
スイッチが入ったように暴走をおっぱじめる、
若者の潜在的狂気を見事に演じている作品としてとりあげてみたい。
作風はドキュメンタリータッチでもあり、
その中の主人公金村という男の生の感情が
実にリアルに爆発してゆくあたりが恐ろしくも面白い。

テレビ、あるいはマスコミというものの愚かさを
シニカルに描いた作品でもある。
盗聴そのものが別段、いいことだとも悪いことでもないのだと主張する、
ひたすら趣味として愛好しているだけの男がいて、
そこにマスコミが面白半分に食いつき、
言葉は悪いが、食い物にするといった格好で、
そんな展開が途中まで胡散臭く進むのだが、
青年金村はそうした強引なテレビディレクターの指図に
イライラし、信用できないあたりまで進んで来る頃には
決定的な事件が起きる。
拳銃の取引が盗聴の網にかかり、
テレビはそれをスクープとして煽ろうと持って行く。
盗聴マニアとしてはその先のことにはさして興味がないので、
むしろ、あからさまに躊躇しているにもかかわらず、
強引なディレクターの行動で瓢箪から駒、
ついに禁断である銃を手にしてしまう。

そうして、事態の決定的なトリガーを引くことになってしまう。
ここからの盗聴マニアたる金村の壊れっぷりと
その壊れ加減を目の当たりにして、
ディレクター達は思いもよらぬパニックに陥って慌てふためく。
ホラーではないが、このサスペンス感が
B級っぽくもスリリングににじむのがみどころだ。
まさに人間がかもす狂気の錯乱ぶりが面白いし、
盗聴された声のポリフォニーによる音響も
実に効果的に挿入されている点では、
したたかなまでの現代性を放っている。
ただ、きれるだけのオタク的人物像ならば、
そこまで面白いと思ったかどうか。
浅野忠信は人間が抱える未熟な精神の乱れ模様を
リアルなまでに露呈する。
ハラハラはさせられるが、どこかで理解できる自分がいる。
何よりも、注目すべきは、その未熟な人間の前で醜態を晒すのが
マスコミという嘘で彩られた世界の住人たちの
不条理感までをあぶり出すことに成功している点である。

井坂聡の記念すべき、処女作だが、
それ以外の作品を見ていないので
その作家性までは深く見通せはしないが、
十二分に野心的な映画に仕上がっている。
その中で、美しい日の出をカメラに収めようと提案する金村に、
まさにランボーの詩の一節、
あのゴダールが『気狂いピエロ』で引用した
「永遠とつがった海」が被ってくる。
このラストシーンの海岸に止まった車内で
完全に常軌を逸脱した盗聴マニアとクルー一行が乗るその密室での
実にあっけない幕切れがまた衝撃的だ。
それ以上でもそれ以下でもない終焉。
黒いバックに流れる波の音を聴きながら思わず唾を飲み込むエンドロール。
そこで雲の隙間から漏れる一筋の光のように
エポの「夢の後についてゆく」が流れてくる。
この余韻が実に素晴らしい効果で結んでいるのだと思う。
若き浅野忠信の持つ情動的な揺れを
スリリングに構成した野心的な映画として記憶しているのだ。

物事、用意周到に生きてようとしても
事態は予想もつかない展開に進展してゆく。
映画で期待するのは予定調和などではない、
先行きのわからぬ、理解の範疇を刺激し、
それを凌駕してゆく展開こそ求めるものである。
浅野忠信の俳優としての道のりは、ゆるやかに未来を見据えながらも、
不確定でありながらも、かくも確固たる成長を伴って
以後この日本映画という土壌において開花してゆく。
その確かな足取りを追うまでもなく、
『FOCUS』の盗聴マニアの狂気に孕んだ不穏な気配こそは
そんな実に気になる才能の萌芽をみる代表作として、
今、改めて記憶に焼き付けておきたいのだ。

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