瑛九という画家

瑛九夫妻
瑛九夫妻 1952 玉井瑞夫

瑛九の眼差しは魂の永久運動を感光する

EI-Qこと瑛九という、ちょっと変わったペンネームの画家がおりましたとさ。
主に抽象画から版画、印画紙の特性を生かしたフォトグラムまで
まるで光のごとくわずか48年の生涯を駆け巡ったアーティストである。
いわゆるフォトモンタージュというという
マン・レイが試みた前衛的手法を新たに再構築したような世界を垣間見れば
瑛九もまた“光”に魅了された男であったことを理解するだろう。
もっとも、その作風を見ていると、
思わず影絵の男と言っていいのかもしれない。
どこかで観た風景ともいうべき物語が展開されている。

一般的に前衛や抽象と呼ばれると、どうにも構えてしまうこともあるが、
瑛九の場合、ほーとかうーむ、ではなく、
ぼーっと佇むだけで、まったくもって無防備にさらされた
魂の原風景という感がする。
深遠だけれど、ふつふつと沸き起こる情熱を受けながら
無音の語りに耳を傾ける、そんな点描画の数々。
それは瀧口修造好みの未完のパッションでもある。
氏曰く

それは「通りすぎるもの」が残す翅の幾辺、血のかげりのようなものの証拠、ほとんど指紋に近いもの、そういったものではなかったのか。すくなくとも瑛九には、抽象化されてしまわないようなもの、されることを好まないようなものがあるのだ。そして芸術家として陥りがちなこの時代と生活の罠を微笑しながら通り過ぎていったのではないか。
「通りすぎるもの・・」瀧口修造 
「余白に書く」みすず書房より抜粋

なるほど、彼もまた、この画壇という空間を
足早に駆け抜けた、風のような画家だったのかもしれない。
50を待たずしてコトリ、彼の首が西をむいたのは、
偶然ではなく、宇宙の風穴に吸い込まれでもしたのだろう・・・・

写真家玉井瑞夫が残したフォト・エッセイの数々に
静謐な美しさとその優しい人柄が宿っており、
この画家の生前のみずみずしさを言い伝えている。

とにかく、当時の僕は彼の絵より、彼の人間的魅力にとりつかれ、瑛九のまわりには、そ んな同類項がたくさん集まっていた。我々は、仲間同士で話す時も、他の人に話す時も、ずっと年上で大先輩の瑛九のことを、 「エイキュ-」、「エイキュ-」と気やすく呼んでいた。彼は我々を完全な仲間にしたので ある。彼は仕事のことでは、友人に対しても実に厳しい人であったが、それを離れると非常 に柔和で、愛情が深く、子供には子供の、犬には犬の高さで接する人であった。
玉井瑞夫『瑛九逝く』より 

出棺前、彼の友人たち、
瑛九を師と仰いだ若き日の池田満寿夫などが、
彼のデスマスクをスケッチしたという。
その人となりまではよくしらないが、
写真を見ると牛乳瓶の底のような分厚いメガネをかけ
玉井氏によれば「レンズのゴミなどまったく気にしなかった」というし、
出かけるときも作業服のままといった、
いわば外見にはほとんど無頓着、
絵ひとすじだったこの画家の姿に頬が緩む。

無名の職人瑛九よ、その魂に永久なれ。

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