長沢芦雪という画家

『虎図』長沢芦雪
『虎図』長沢芦雪

虎チックコメディ

今年も虎は頂点に立つことができなかった。
野球、タイガースの話である。
今年は春先から調子が良く、
久しぶりの美酒に酔うかとそわそわして眺めていたら、
最後の最後で定番の肩透かし。
最終試合で惜しくも優勝を逃してしまったのである。
この球団においては、優勝など、所詮、絵に描いた餅というやつか。
根っからの虎党たちの落胆の声は小さくない。
自ら放棄するかのように、
せっかくの据え膳を前にしてご褒美にあずかれない虎が愛おしい、という声もあるし
これだからファンがやめられないというマゾヒスティックな声も聞こえてはくるが、
やはり、勝負事というやつは勝たねばならない。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
だからこそ、時代は本物の強い虎を渇望しているのだ。
日々野生の虎が世界のどこかで絶滅の危機に晒されていようが
人食いトラの恐怖に怯えようが
それを射殺しようがしまいが
御構い無しのエトセトラ、
今こそ、虎視眈眈と明日の栄光の座を狙って
目を輝かせているのが虎なのである。

なに? それはあんたの勝手な思い込みだって?
まあもう少しだけ、話に耳ならぬ、目でも傾けていただきたい。
今日のペットブームの中で、確かに絶大なる人気を誇るのは猫の方だ。
ひとたび猫のキャラクターさえ打ち出せば
どこからともなく可愛いと言う声が聞こえてきて
人がわんさと集まってくる。
かくいう自分にしても猫にマタタビ、我に猫、
一にも二にも猫という生き物が可愛くてしょうがないのだから
この因果な関係性は否定しようもない。

あるいは、あれだけ人命が危機に晒される
クマの出現にさえ目をつぶって
クマのプーさんをはじめ
クマもん、リラックマ、勝手にシロクマなどといった
クマ人気も相変わらず根強い。
うさぎならばミッフィー、ネズミならミッキー
最近ならカワウソくんも川から首を出すだけで
きゃー可愛いと騒がれる時代だ。

じゃあここらで一発当てようじゃないか
それを考えようじゃないか!
そう目論む資本主義経済の猛者たちの目に、
この王者“虎”なるものの勇姿が見えないのだろうか?
そもそもトラたるもの、ネコ科であり、
ネコはネコ科ネコ族なのだから
その虎がネコ人気に甘んじているのを見るのはどうも忍び難い。

確かにトラは強い。(というか凶暴やね)
それは恐ろしい。(というか引っ掻かれるだけでおしまいやね)
そして可愛い、とは言い難い。(というか媚びたら猫やね)
ましてや親しみがない。(というか近くにいてたら大騒ぎやね)
というかもしれない。
が支那の絵師たちではなくとも
“虎”というものが人の気を惹いてきたのは
まごうかたなき事実なのだ。
まさか、トラトラトラと聞いて忌々しい記憶が蘇るとでもおっしゃるのか?

時代をさかのぼれば子供の頃。
タイガーマスクはヒーローだったし
魔法瓶といえばTIGERだった(象印というのもあったな)
大阪では別寅(べっとら)かまぼこという
由々しき食品も実在した。
(あっ、虎屋の羊羹を忘れる訳にはいかんなあ)
フウテンの寅さん然り、
そう、いつだったか「縞野しまじろう」という
こどもたちのアイドルだって持て囃されていたではないか。
日本赤十字社の公式キャラにも「ハートラちゃん」ってのがいる。
だから、ここらでドカンと
トラブームが来ないはずがないのである。

さて、だらだら引きずってきた虎話はこのへんで切り上げよう。
そこでだ、いつだったか、東京都美術館にて
「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」を観たときに
それをざまざと実感するにいたったことを思い出した。
大の猫好きだった歌川国芳さえも立派なトラを描いているし
若冲も、蘆雪も、狩野山雪も皆それぞれに素敵なトラを描いている。
中でも人気の若冲のトラはどこか可愛いが
ややもすればトラとしての威厳が弱過ぎはしまいか?
無論、あの名画伯を前に
素人が上手下手を持ち出そうと言うのではない。
あくまでも威風としての話である。
やはり、若冲といえば、鶏、
鶏といえば若冲、しょせん餅は餅屋だ。
なので、自分はあえて、長沢蘆雪のトラの方をここでは推したい。
紀州無量寺の「虎図」がつとに有名である。
この勇敢で凛々しくもどこか瑞々しいトラにうっとりする。
まるで屏風から飛び出してきそうな
そんな勢いのあるトラが描かれている。

それは足利義満が一休さんに出した難問の一つ。
通称「屏風の虎退治」のトラを思い出すまでもない。
「屏風の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治してくれ」
という意地悪な義満に、レトリシアン一休さんの回答は
「ではまず虎を屏風絵から出して下さい」
と切り返し、将軍様を感服させたというやつだ。
あれが仮に若冲のトラだったら・・・
将軍様はそんな意地悪を考えつかなかったかもしれない。
「屏風の虎の頭を撫でて猫可愛がりしたいのだが如何なものか?」
そう言われでもした暁には
「ではまず虎を屏風絵から呼んで下さい」なんて答えても、
締まりのない話で終わってしまうではないか。
やはり虎は虎、猛々しくあらねばならない。

ならば、虎が猫を押しのけて
ちまたで人口に膾炙するというのは夢物語なのか。
いやいや、そういうわけではない。
所詮、デフォルメされたキャラ程度のトラに
虎の本質などあってないようなものだから。
人はなぜそんなに虎に惹かれるのか?
いや、この場合、自分はなぜと虎がそんなに気になるのか?
まずはそう問い直さねばならない。
ふと考えてみたが
中国では虎は龍と並んで霊獣扱いをうけ
百獣の王といえばライオンではなくこの虎である。
それぐらい虎というものが風土に神格化されている。
そうしたトラの霊性を意識したのは
紛れもなく澁澤龍彦の遺作『高丘親王航海記』であった。
自分はこの小説が氏の中でもっとも心に響くのである。

高岳親王とは、叔父に在原業平がいる平城天皇第三皇子で、
のちに空海に師事し、その高弟となったほどの人物である。
親王は還暦を越えて唐に渡り、一路天竺を目指すが
一説には、マレー半島で虎に襲われ、
志半ばで亡くなったのだと言う。
そうした話を元に、
晩年も晩年、すでに咽頭癌に犯され声帯を失っていた氏が
自らの姿を親王に重ね合わせ、
虎にわが身を食わせ、虎の一部となって
天竺へと向かうという夢を抱く、そんな物語である。
なんと言う美しいイマージュだろうか?

もしそれが仮に狼であっても
カラスであってもいいのだが
気高き親王の魂の埋葬に似つかわしいものは
やはりこの虎を置いて他に何があろう。
そう言う思いが自分の心の片隅にたえずあって
虎と言う存在への不思議な思い入れにつながっているのかもしれない。

だから昨今の葬儀事情で言えば
海への散骨と言うものもよく耳にするが
(宇宙への散骨と言うのもあるらしい)
自分なら是が非ともこの虎葬を志願したいと思う。
(アフリカなどでは実際に獣葬もあるらしい)

絶滅の危機に瀕するスマトラあたりの猛虎たちに
喜んでこの身を捧げよう。
ただし、生贄、人柱となると…
このあたりでいきなり小心ものの血がざわめきたってしまうのが、
なんとも恐縮いたすところであるが、
あくまでも心肺が停止した後
速やかに、と言う条件でなら
とだけいっておこう。
もっとも死人に足なし、ではあるのだが。
この『高丘親王航海記』に関しては
いずれまたゆっくりと書いてみたい。

若冲や蕭白と並ぶ 「奇想の画家」の一人長沢芦雪という人物にもどろう。
江戸中期に人気を誇り活躍した絵師円山応挙の高弟であった。
貧しい下級武士上杉彦右衛門の子として育った芦雪は
応挙の元でその才能を開花させてゆく。
しかも、師とは正反対の大胆な構図、発想で
応挙も一目おいていた存在だったという。
芦雪という人は、絵という一芸のみならず、
馬術や剣術にも長け、芸道への素養までも高かかったのだという。
それゆえかどうかは別として、
あふれる慢心と酒に溺れるほどの奔放な性格ゆえに、
三度の破門の目にあったというし、
最後は、嫉み妬みの類からか、
諸々の悪評がついてまわったつけで、
46歳で大阪において客死してしまう。
これには毒殺されたという話もあるし、
自裁を図ったという話もある。
事実はなぞにつつまれている。

そんな波乱万丈の生涯を送った芦雪だが、
残された絵の腕前には唸らされる。
とりわけ270点にもおよぶ作品を残した
南紀滞在での充実期の、
その代表が「虎図」であり「龍図」である。
中には晩年「山姥」のようなグロテスクな作風もあれば
大の犬好きであったこともあって
「白象黒牛図屏風」の横たわる大きな牛のふところに
ちょこんと佇むミニュチュアの子犬をはじめ、
現代でも人気を博すようなかわいい犬の絵も散見している。
そんな芦雪のことを想像すると、必ずも悪い人間だと思えなくなってくるし
憎めずふと愛おしさが募ってくる、そんな不思議な魅力があるのである。

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