リー・ミラーをめぐって

MAN RAY & LEE MILLER
MAN RAY & LEE MILLER

光よりまぶしい女、美をなすミューズの扇情レポート

マン・レイのミューズ、20世紀を代表する女性写真家として知られる、
マダム・マン・レイこと、リー・ミラーについて書くにあたって、
まずは写真家として知られる彼女をめぐって
いったいどの写真がリーというアーティストへ
手向けるにふさわしいかを考えてみることから始めよう。

美貌を誇った若きモデル時代からか。
とりわけ、弟子入りしたマン・レイと共同で作り上げたパリ時代の栄光。
ソラリゼーションという技法を偶然にも発見し、
その愛と芸術との間で、もてる才能を惜しみなく開花させた日々。
実際に、マン・レイの作品では
彼女をモデルにした秀逸なポートレートが何枚もある。
かと思えば、そのマン・レイを大いに嫉妬させ、激怒させたという、
ジャン・コクトーの映画『詩人の血』で石像彫刻として友情出演したスチール。
そのほかにも、軍服に身を包みヘルメットをかぶって戦場に赴いて、
死体や戦士たちをとらえた従軍カメラマンとしての勇姿、
あるいはその記録はどうか。
時には目を背けたくなるようなその生々しい人間の宿命と痕跡、
たとえば、ヒトラーの浴室で実際にヒトラーの写真ととに
バスタブには浸かって撮した有名な一枚などを思い返してみる。

そのほか、マン・レイを通じて知り合うことになる、
著名で、注目すべき20世紀の芸術家たちの魅力的な肖像の数々。
ピカソ、コクトー、エリュアール、エルンスト、ダリ、
そしてコーネル、ミロ、タピエス・・・錚々たる面子が並ぶ。
そこへ師であり、恋人であり、生涯の友人でもあった
当然、マン・レイ自身のものも含まれる。
どれもが、魅力的な眼差しを宿した視線に射抜かれていることを
再発見させられるものばかりだ。
リー自身、ポートレイトの撮影に、時間や労力を惜しまなかったという。

そんな輝かしい功績を残してきたにもかかわらず、
自身の経歴や成功に、さほど固執しない性質ゆえから、とはいえ、
写真家としての名声が、今日まで、さほど轟いてはいないというのが、
冷静にみると、不思議なぐらいである。
多くのアーティストたちを虜にしてきた、
その生まれ持った美貌と才能は並ではない。
写真はもちろんのこと、モデルや雑誌記者のみならず
晩年には料理や園芸に没頭し、その類稀な腕前も披露したというから
その才女ぶりに嘘偽りはない。
同時に、その遍歴は一筋縄では語れないほど、自由であり奔放、
波乱万丈であったがゆえに、
ひとことで片付けることのできないほど
多面性を有したアーティストであることは明瞭だ。

最後の伴侶となったローランド・ペンローズとの間に生まれた一粒種、
トニーこと、アントニー・ペンローズが綴った伝記
『自分を愛したヴィーナス』を今、ざっと読み返してみると、
あらためて、このアーティストの人生が、いかに平坦なものでなかったかがよくわかる。
ひとつの時代の中で、ユニークで、豊かでめくるめく物語がとりまく。
このリー・ミラーという才能、そして生き樣に、心奪われずにはいられないのだ。

まず、最初に彼女の人生に決定的な手ほどきをした重要人物は
シオドア・ミラー、リーの父親である。
シオドアはリーを溺愛し、彼女をヌードモデルとして写真を撮り溜めている。
それゆえ、リーの根幹には異常なまでのファーザーコンプレックスが見え隠れする。
ちょうど七歳のとき、彼女を襲うレイプ事件が起きた。
(シオドアが絡んでいたという話もある)
性病に感染していたリーは以後も心の傷を負うことになる。
そして、十九歳のときには、ニューヨークで、
危うく交通事故に遭いそうになったところを助けられたのが、
偶然にも『Vogue』の編集者のコンデ・ナスト。
それによって、人気モデルの道が拓けてゆく幸運を手にするのだが
エドワード・スタイケンによって撮影された写真が
コーテックス社の生理用品の広告にが使用されるという事態が起き
もれなくモデル業を廃業へ追いやられてしまう。
リーの波乱万丈な運命は、十代の頃から
かようにその導線が引かれていたのかもしれない。

そして、単身渡ったパリでスタジオの門を叩いたのがあのマン・レイであった。
もともとマン・レイという人はけして弟子などとらない、
という気質のアーティストだったが
押しかけてきた弟子志望が、よりによって
若きとびきりの美女ときたものだから、
そんな頑固者の信念を一撃で曲げるぐらい、なんでもないことだった。
当然、二人は、師弟関係を超えて男女の仲になってゆくが、
これはこれで、一筋などではいくはずもない。
何しろ、マン・レイには当時、キキという
れっきとした情熱あふれる番犬、いや恋人がいたのだから・・・
そこへ、出し抜けに現れたよそ者の存在が
無風でやり過ごされるはずもなかったのだ。
喧嘩や口論は日常茶飯事であり、三年ほどでその関係は終焉を迎える。
もっとも、リーとマン・レイの友情は生涯続いた。

しかしぞっこんだったのは、実はマン・レイの方だったのである。
リーの才能と、とりわけ男関係に本能のままに従う女に胸を痛めるナイーブな男。
さすがはセンシティブな乙女座の男だ。
残された手紙には、マン・レイのその純粋な思いが綴られている。

あなたのことは、あやしいまでに愛してきた。嫉妬に苦しむまでに愛してきた。
あなたに愛を注ぐあまり、ほかのものにはまるで情熱を注げなくなった。

要するに、リーは恋愛の束縛を嫌う自由な女である。
マン・レイはそのきまぐれに、翻弄され、狂乱状態にすらあったという。
その後も、リーの奔放な性癖はとどまることを知らない。
エジプトの大富豪、アジス・エルイ・ベイとの結婚生活。
カイロでの生活に飽き飽きした暁には
つづいて、イギリスのシュルレアリストで画商のローランド・ペンローズ、
そしてピカソとの三角関係・・・。
嫉妬はなくとも、並の男だったら気が狂ったかもしれない。

さて、最初に掲げたテーマにもどろう。
リーの写真のなかで、どれが一番ふさわしいか、である。
やはり波乱万丈のリーの生涯において、
マン・レイとの邂逅は一つの事件でもあった。
少なくとも、マン・レイにとっては、真のミューズの降臨であった。
そんな二人の関係において、若い頃の熱はさておき
自分は、やはり、晩年の二人を捉えたこの一枚が好きだ。
1975年、ロンドンの現代美術研究所で催されたマン・レイ回顧展での
アイリーン・ツィーディによる二人の仲睦まじく見つめ合う写真だ。
よって、ふさわしいというよりも、この関係性に
リー・ミラーの本来の輝きを見るのは自然なことだ。
マン・レイは翌年に、リーはすでにガン宣告を受けその翌年に他界しているが、
まるで天国での再会に向けてのひそひそ話のようにもみえる。

結局、リーは恋多き女というよりは、自分に忠実に生きた自由な女である。
だから、結婚や男女間の恋愛という概念に縛られて生きはしなかった。
ひたすら、好奇心と行動力が彼女の推進力だった。
そして、マン・レイを通じて、写真家として成長をとげ、
パリ時代にはマン・レイ名義の仕事でさえ、
その大部分がリーによる所業という話もあるぐらいで、
二人の関係は多くの実りをもたらしたのは間違いない。
リーは結局、二十近くも離れたマン・レイに
どこか父親の面影をみていたのかもしれない。
(マン・レイとシオドアには共通点など見受けられはしなかったのだが)
お互い、歳をとり、若き頃、あれほどまでに狂おうしい想いにかられた二人だが
それぞれに、愛と人生の遍歴を重ね、たどり着いた境地をみると、
芸術家とミューズのロマンチックな夢想だけが
後世にわたって一人歩きするだけなのかもしれない。
こうして芸術家というのは、己が生み出した芸術以上の作品、
すなわち、愛を育もうとする生き物なのだ。

The Velvet Underground & Nico “I’ll Be Your Mirror” (Warhol film footage)

男のようにサバサバしていたリーと、実はちょっと女々しいところのあったマン・レイの関係性において、このヴェルベットアンダーグラウンドの名曲「I’ll Be Your Mirror」のように、リーは自ら進んで鏡になるようなところはなかったが、むしろ、マン・レイこそはリーにとっては自分を映し出す鏡のような存在だったといっていいのだろう。そんなことをふと考えていると、このヴェルベットアンダーグラウンドのファーストほど、二人に似つかわしいアルバムはない。「ビーナス(VENUS IN FURS)」や「ファム・ファタル」が歌われているからだ。
ちなみに、このニコのバックスステージフィルムはウォーホルが撮った映画作品の一部である。自ら前髪をトリートする貴重なショットだ。ニコはもともとモデル出身で、この当時は特筆すべき美貌で、実に映えるわけが、ウォーホルにしてみれば、“女”としては全く関心がないわけで、リスペクトはあれど、いわば宣伝の道具だった。ニコはニコで、あのアラン・ドロンと浮き名を流すほどの女である。二人の間には非認知のアリという子供がいるのだが、ひょっとすると、年恰好からして、ニコのまわりでチョロチョロしている子供がそのアリかもしれない。

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