成瀬己喜男『晩菊』をめぐって

晩菊 1954 成瀬己喜男
晩菊 1954 成瀬己喜男

残菊の候

頃合いのほどはちょうど残菊の候、
季節柄、成瀬己喜男の名作『晩菊』について
書き進めようと思う次第。

成瀬といえば『浮雲』が代表作にして最高傑作との大筋の評価はあるが
掘ってみればみるほどに、なかなかの良作が
他にも目白押しの名匠なのはいうまでもない。
個人個人の好き嫌いをためらわずにいえば
この『晩菊』なんかもあの『浮雲』に
負けじ劣らぬ傑作然としているのがわかる。

もっとも、どっちが傑作か云々は置いておいても
なかなか味わい深い作品という意味で、
こういう作品にもっとスポットが当たって欲しい、
そういう思いが込み上げてくるだけなのである。
この名作を彩るのが、多くの作品の脇で支えてきた大女優杉村春子であり
ちょっと地味な話ではあるものの、
ちょうどアラサー中心の登場人立場ばかりで
これから人生の晩年を迎えようかというあたりの人間にとっては
リアルに響いてくるところがオツなのである。

このあたりのやりとりは、ある程度年を重ねないと、
その本当の良さがわからないかもしれないと思うし、
林芙美子ものを多く扱ってきた名匠の演出には
それ相応の経験値がなければ楽しめないものなのかもしれない。

元芸者のおきんは金貸しで、金だけが頼りの締まり屋の中年女。
かつての仲間たちへのとりたても容赦はない。
家には聾唖のお手伝いさんをかかえての悠々自適の独り身だが
なんだか、心のうちは少し寂しい。
かつてはそれなりに浮き名は流したようで、
それには、思い出したいような、出したくないような
そんな恋愛事情もあると見える。
ちなみに、原作林芙美子のきん像からすると
もう少しいい女だったのかもしれない。
というのも、原作にあるきんは、日本のマルグリット・ゴーティエとよばれるが、
それはアレクサンドル・デュマの『椿姫』の高級娼婦のことであり
映画化の際にはあのガルボがゴーティエを演じていることからも
その美貌の程はイメージできるところだ。
だがここでは、役者としての杉村の技量を採ったのであろう。

林芙美子の短編は、きんの元へ上原謙扮する、
かつての恋人田部が会いにくるエピソードだけだが
映画では、かつての芸者仲間がくたびれた中年の味を醸しながら、
人生の哀愁をくっつけて映画化している。
この辺り、脚本の水木洋子のなせる技で、
一本の映画としての幅を持たせるのに成功している。
どちらかと言えば、若き日には美貌で鳴らした
細川ちか子の方が、原作のきんのイメージには近いかもしれない。
本作では、一人息子が結婚して手元を離れるそんな寂しい身を好演している。

ハイライトは、なんと言ってもかつての恋人田部との再会シーンである。
杉村春子のときめき具合が実にいいのだ。
正直なところ、相手の男はいい男である。
そこから年月をへて、多少はくたびれているが、
おきんにすれば、そんなことはどうでもいいのだ。
味気のない日常で、ときめく自分が愛おしいのだ。
ほてった顔を氷で冷やしながら、
女中にまでその恥じらいを隠さない姿は
良い歳をしていても中身は乙女そのものである。
こういうさりげない描写が実にうまいのである。

しかし、相手の男がいただけない。
単なる金の都合をつけたいがために
昔のよしみで思い当たっただけだ。
それを理解したあとに見せるきんの覚め加減に
杉村春子の真髄を見るようだ。
つまりは現実と理想。
それを決して取り違えたりはしない女である。
年季が違うのだ。
しかし、そこはどうしても女心というものがある。
時間を経ても、かつての恋心だけは失いたくはないのだろう。
かりにも元芸者、女の意地がある。
そうした思いがこの『残菊』の味である。

誰しもが持つ思い出。
その思い出にどっぷり浸かるでもない、
ただ一瞬でも、そのときめきを胸にいい思いをしたい。
それだけなのである。
しかし現実というものは残酷である。
所詮、カネなのである。
こういう締まり屋、ちゃっかり屋というあたりの役をやらせれば
右に出るものはいない。
それが杉村春子という女優である。
小津安二郎の映画でも、何度もそれを見た。
天下一品の芸がそこにあるのだ。

ここに、成瀬が杉村を起用した理由があるのだと思う。
昔、それなりの美貌で浮名を流したが
今はもうそういう思いとは縁遠い、
それだけの人形のような女ではまずいのである。
何か、後ろ髪を引かれる思いを残しつつも
現実をしっかり見るからこそ、強く、そしてたくましく生きられる。
やはり役者というのはそれだけ人生が滲むのもである。

原作にあった主人公が好きな与謝野晶子の一句に
そんな女の哀愁がにじむ。

―人の身にあるまじきまでたわわなる、薔薇ばらと思えどわが心地する

今はお金しか信じられるものはない。
けれども、私の人生、それなりに良い人生だったんじゃないかしら?
そうよ、私だって薔薇のような、あんな美しいときがあったのよ。
そんな中年女の哀愁がたまらない映画なのである。

Last Night When We Were Young:Madeleine Peyroux

「21世紀のビリー・ホリデイ」こと、マデリン・ペルーが、プロデューサーラリー・クラインと再び組んでの通算9作目アルバム「アンセム」より「Last Night When We Were Young」。若かった頃の関係性を思い返し、孤独な想いからノスタルジックな気分を歌う切なくも美しいジャッジーでスローバラードは、かつてシナトラやジュディ・ガーランドなども歌った古い名曲。ここでのアレンジは、モダン、というのでもないし、もちろん古臭くもなく、すべてがマデリン風味になってしまう魔法の一曲に酔う。

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