ダニエル・シュミットのこと

Daniel Schmid - Le chat qui pense 2010
Daniel Schmid - Le chat qui pense 2010 Pascal Hofmann & Benny Jaberg

真夏の夜の夢、夢か現か幻か ? シュミッドナイト回想録

そういえば、先日8月5日は
スイスの映画監督ダニエル・シュミットの命日だった。
すっかり忘れていたので、ここで後追いで書いておこう。
今からもう16年も前のことである。
時が経つのも早いわけだ。
死因が咽頭ガンだったために声がつぶれてしまい
痛々しい姿の晩年だったのを覚えている。
とはいえ、シュミットの映画は
いつだってすこぶる雄弁で優雅な夢物語として心にある。

最初にみた『ラ・パロマ』の毒気にやられてからというもの
80年代以降のシュミットの映画はほぼリアルタイムで観てきた。
オペラ、サイレント映画、ノスタルジー、
夢、空想、魔法、いびつな美意識、
そんなキッチュな映像に酔いしれてきた。
もうあの夢のような、それでいて
なぜか懐かしい気さえおこさせる映像の魔術を
時代の空気が入り混じったあのバロックな世界の新作を
堪能することはできなくなってしまったが
ユーロスペースや、アテネ・フランセといった
ゆかりのあるの映画館では
何度となく特集が組まれてきたことからも
コアなファンの支持が相変わらず根強いことを物語る。

そんなわけで、ぼくがいかにこの映画監督を嗜好してきたか、
映画史上においてもたいへんユニークな作家性をもった
このシュミットという映画作家のことを書くとなると、
なかなか落としどころが難しく、
ついダラダラと書いてしまうことになる・・・

そういえば、生シュミットを二度目撃したことがある。
一回目は日本とスイス合作の『書かれた顔』の来日時、
ちょうど、アテネ・フランセでのゲストで
そこに呼ばれた一人に出演者の舞踏家大野一雄さんがいて
大野さんが話をはじめた話がなんだか感動的だった。
「シュミットさんはですね・・・」
そのときの内容を実はほとんど忘れてしまったのだが、
大野さんはマイクがオフである事に気づかず
あの鬼気迫るエネルギーでシュミットを賛美したことだけは
ずっと覚えているのだ。
あの日のことは忘れようもない。

次はちょうど映画の学校に通っていたときに
ゲストでシュミットが招かれ『ラ・パロマ』の上映会のあと
質疑応答の機会があり、勇気を出して質問した事。
多分映画製作に関することだったはずなのだが、
緊張のあまり手をあげておきながら
これもなにを聞いたのかさえ忘れてしまったというのも
なんだか恥ずかしいのだが
もうあのつぶれた声になっていたシュミット本人と
最後言葉を交わせたという記憶だけははっきりと残っている。

それでだけいい。
いや、決してよかったなどとは思わないが、
ぼくはシュミットの映画の本質からして、
記憶は曖昧な方がいいと思っているのだ。
いつも現実ではない虚構の世界に遊んだ映画監督であり、
そうしたマジックがシュミットの十八番だったのだから。
むしろ、好き勝手にあとは自分で夢の部分を
想像力で加味すればよいではないかという、
いささか開き直りにも似た感慨を抱いている。

もっとも、作品そのものが
こうして何度も鑑賞できる幸運があるからだ。
もういちど、あのシュミットワールドで、
映画の醍醐味を味わいたいと思えば
真っ先この手元にある『ラ・パロマ』を再生しよう。

そうだ、あれはヴェンダースの『アメリカの友人』にも客演してたっけな。
若かりし頃のシュミットが、パリの地下鉄に乗っていて、狙撃される役だ。
でも、ぼくにとってのシュミット体験は
なんといっても『ラ・パロマ』における
イングリット・カーフェーンとぺーター・カーンという強烈な個性の
強烈な映像を観た事に始まっている。

そこから始まった夢物語は
シャンパンの泡から、船の波の飛沫にオーヴァーラップする、
そんなシーンが忘れられない恋愛映画『ヘカテ』であるとか、
歴史の倒置がなされた『デ・ジャ・ヴュ』の、
現代から十七世紀の舞台へと時空が交差させ、
17世紀の革命家イエナチェのめぐるその謎の死をめぐる物語、
あるいは、スイス山中の古いホテルで
少年期を過ごしたシュミットの回想による『季節のはざまで』。
また、オペラ好きシュミットが、
老いたオペラスター、音楽家たちのホームで、
この上ない人間の顔をとらえたドキュメンタリー『トスカの接吻 』。
そして、玉三郎、武原はん、杉村春子らの顔および声、
あの大野一雄の舞をおさめた貴重なドキュメンタリー『書かれた顔』に至るまで、
数々の断片が、すぐにも所々入り交じって立ち現れてくる。

不思議に、シュミットの新作がまた観れるような気がして、
古い作品に手を伸ばしてしまうのだった。
何度もそうつぶやいたものだ。
本当に、シュミットさんは死んだのか?
叶うことなら、老いたイングリット・カーフェーンとぺーター・カーンを
もう一度スクリーンへ呼び戻してほしかった・・・

そんな折、2010年には
パスカル・ホフマンとベニー・ヤーベルクによって制作された
『ダニエル・シュミット 思考する猫』というドキュメンタリーでは、
イングリット・カーフェーンはじめ、レナート・ベルタ、
ビュル・オジエ、そして蓮見重彦らの声と
シュミット作品を通してシュミット愛が語られる。
蓮見氏の言葉を借りれば、「死んだものに美しく死に化粧をほどこす人」。
なるほど、時は残酷だが、スクリーンには
永遠の夢、決して死なない永遠の命が刻みこまれているというのが唯一の救いだ。

さて、これが大好きな『ラ・パロマ』のワンシーン、
コルンゴルトのオペラ『死の都』を歌うイシドールとヴィオラ。

『ラ・パロマ』への思いはまた改めるとして、
ここにダニエル・シュミットのフィルモグラフィー載せておこう。

  • 主人の蝋燭を節約するためにすべてを暗闇で行うこと(1970)
  • 今宵かぎりは… (1972)
  • ラ・パロマ (1974)
  • 天使の影(1976)
  • ヴィオランタ(1978)
  • カンヌ映画通り (1981)
  • ヘカテ (1982)
  • 人生の幻影 (1984)
  • トスカの接吻 (1984)
  • デ・ジャ・ヴュ (1987)
  • アマチュア (1990)
  • 季節のはざまで (1992)
  • KAZUO OHNO (1995)
  • 書かれた顔 (1995)
  • ベレジーナ   (1999)

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