黒木和雄『龍馬暗殺』をめぐって

龍馬暗殺 1974 黒木和雄 ATG

ええじゃないの。うっしっし既成概念粉砕龍馬伝・・・ナリ

毎年年末がくると、にわかに幕末ブームとやらが訪れ
ひいては龍馬関連の話題がどこからともなくわいてくる。
日本人の歴史好きにはたまらない幕末のヒーロー坂本龍馬。
その人となりが魅力的なのは理解するが
個人的には龍馬に対する思い入れは、
ちまたの人たちよりも若干薄いかもしれない。
というのも、歴史上の人物に関しては
事実を超えたところで、おのずと個人的思い入れだけが
走りがちになり、実の龍馬像というものから離れて
別の次元で語られることがあるからである。

しかし、そんな心配はさておくも、
幕末の志士、改革者龍馬としての魅力は
それを伝える人間のさじ加減によって、
大いに左右されることは
司馬遼太郎の描く龍馬をみてもそうだ。
いわば「司馬史観」崇拝、というやつか。

無論、虚構と史実とは異なるものであり、
英雄讃歌、英雄美化だけの風潮だけで
史実に近づけるわけもない。
はたして、ほんとうの龍馬像、これいかに?

いまだかつて、龍馬という人物に確信を持ったことは無いが
龍馬に対する関心が全くないわけではない。
龍馬に関する文献を目にすれば、
なるほど、その先見性、改革への意志、
どれをとっても文明開化黎明期における
開拓者にふさわしいものだと納得するのであるが、
そこで自分としての龍馬にいかにして向き合うか?
という、いささか大袈裟な命題が
絶えずつきつけられる気がしないでもない。
そこでこの『龍馬暗殺』という映画を観た。
これが実に素晴らしかった。
無論、これは史実とは別の、大いなるフィクションだ。

時は、安政3年11月13日〜15日にかけての
まさに怒涛の幕末の暗殺劇を凝縮した形だ。
いわゆる近江屋事件を、低予算ATG制作、
ドキュメンタリー畑の黒木和夫監督が
豪華な俳優陣を引き連れメガフォンを撮った異色作である。
前衛でありながらも、決して個としての龍馬の魅力を損なず、
そのまま原田芳雄の魅力と相まって
この不朽の英雄伝に、一転アウトローが醸す、
人間臭さを大いに巻き込んだ群像劇へと標榜させている。

こんなに、龍馬ってワイルドなんだっけ?
いや、ここまで人間臭くてよかったんだっけ?
思わずそう呟く輩もいるだろう。
原田芳雄演じる龍馬が、
のっけから雨の中、傘をさし素足にブーツ、
その上ふんどし姿のプリプリのケツを見せて
近江屋の土蔵へと駆け込む姿は実にキュートだ。
黒澤の『七人の侍』で見せた、あのミフネ演ずる菊千代の
野生味あふれる“ケツ風情”とは、
また一味違うふんどしスタイルで
実に、オスならではのフェロモンをふり巻いている。
その後、ロマンポルノ路線で人気を誇った
中川梨絵扮する遊女幡と戯れ、
慎太郎へと気移りした桃井かおり扮する恋人妙に
いたずらっ子のように茶々を入れるといった、
極めて女にだらしない龍馬を浮き彫りに見せるあたりは
まじめな龍馬ファンなら眉をひそめるかもしれないし、
そのことでこれ以降のストーリーに
のめり込めなくなってしまうかもしれない。

けれども、もともとこの龍馬は
歴史的事実を忠実に追うようなものではなく
むしろ、既成の龍馬像を打破してしまうだけのインパクトが
随所に滲み出すことで、新鮮な緊張感を充満させてゆく。
「侍たちの内ゲバ、日常茶飯事・・・ナリ」など
時折挿入されるテロップに味があり、
次には「近視でのぞきが得意ナリ」と
龍馬のなんでもない“素養”までが晒される。

黒木作品の片腕とも言える、伊福部門下松村禎三の
ワビサビに抒情が見え隠れするサウンドトラックの彩りとともに、
どこか表現主義的前衛さを強調するのはコントラストの強い、
粒子の粗い16mmのモノクロフィルム映像である。
そして、手持ちカメラで追う人間龍馬の、
どんな龍馬伝よりもいきいきとした風雲児っぷりを
無駄に美化することなく収めることに成功している。
撮影は成田闘争を身を以て刻印してきた名カメラマン田村正毅である。
熱を帯びた人間たちをここまでクールに、しかも大胆に
あたかも生き物を捕獲するように収めるカメラワークが
なんとも素晴らしいのだ。
龍馬をはじめとする志士たちの人間味あふれる戯れ、
あるいは、ええじゃないか運動の群集劇には、
あの三里塚闘争の人々の
あの祝祭的な躍動さえ重なって見えるから面白い。

よって『龍馬暗殺』は龍馬三日間のドキュメントでありながら
俳優原田芳雄としてのドキュメント性をも
あぶり出しているとも言える。
それがたまらない魅力となっており、
その原田芳雄のワイルドなアウトローぶりが
龍馬のカリスマ性と絶妙に交叉しながら堪能できる映画でもある。

また、ここぞという気合の一刀鋭い殺陣は
あの黒澤組の殺陣師久世竜によるものであり、
脚本には演出家・蜷川幸雄とコンビで知られる清水邦夫が
実に生き生きとした人間ドラマを描いて見せている。
そこに、龍馬の首を狙う刺客としても描かれる、
シンタこと、僚友中岡慎太郎とのからみが
より人間龍馬を際立たせることに成功しているのだ。

この映画で、もっとも頰が緩むのが、
右太と争い、肥溜めに溺れる慎太郎、
その後、白塗り化粧を施した二人が
木陰で恋人のように眠っているシーンだ。
龍馬が大木の五時眠るその横で
乙女のごとく添い寝しているのが慎太郎である。
いったい誰がこんな画を想像するのであろうか?
この石橋蓮司扮する中岡慎太郎もまた、
この『龍馬暗殺』においては
龍馬に負けぬ存在感をもって終始対峙しているが、
ライバルにして、同志、敵にして味方の、
そのなんともいえぬキュートな関係性を
そのワンショットが見事に捉えてみせているのだ。

竜馬との現実論と理想論をやりあうシーンなどでは
アドリブのよる丁々発止が繰り広げられたというが、
実に呼吸のあった演技でのリアルな関係性を練り上げている。
その上で、このふたりに割って入る刺客右太を、
まさに原田芳雄フリークであった当時の松田優作が、
これまた怪演といっていいほどのキャラクターで
添えられているのが本作の別の見所でもある。
おどおどしながら、絶えず龍馬につきまといながら、
それでも容赦なく人を斬ってしまう凶状をさらすのは、
あの人斬り志士岡田伊蔵をモデルにしているからか。
とはいえ、憧れの原田芳雄の前では、
流石の野生児松田勇作の青二才ぶりがまた可愛く思えてくる。
あの五社英雄『人斬り』で伊蔵を演じた
迫力あるかつ勝新に比較しても、実に線が細い刺客だ。
だが、その身丈とはうらはらに
子犬のようにつきまとい、戸惑う空気感が
ややもすればラディカルな映像を絶妙に緩和している、
それがまた、この映画の魅力だ。

そのほか、桃井かおりはやはり桃井かおりではあるが、
それ以上に、異彩を放つ中川梨絵の秘めたる狂気が眩しい。
あるいは、鈴木清順組での、どこか抜けた野呂圭介までが
どこか凛々しいまでの緊張感を保持しながら、
龍馬に絡むあたりは、実に新鮮ながらも
不思議で妖しいまでの気配が漲っている。

かくして、幕末における志士たちの倒幕運動と
「ええじゃないか」民衆運動をないまぜにして
これまで語り尽くされた感のある龍馬像を
バッサリ解体するほどの新しい龍馬伝を描いてみせた野心作に
さすがは骨ある岩波映画製作所出身の底力、
黒木和雄のその片鱗がうかがいしれる。

おそらく、長年の龍馬好きの中には、
拒否反応があるやもしれぬ龍馬像かもしれない。
この映画から龍馬を断じることなどできるわけもない。
しかし、ある意味、その龍馬の魅力が
改めて再発見しうる作品になっているとも言えるのだ。
こんな龍馬が見たかった・・・
などというのが、一般の龍馬ファンへの邪道だとしても、
史実とは別の、フィクション空間における、
龍馬=原田芳雄のキャラククター像が
まさに改革の志士たる名を損なうことなく、
その以前の人間龍馬を躍動させうる、
実に魅力的で、エポックメイキングな時代劇、
思わずそう呟かずにはいられない映画であった。

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