トミー・ウンゲラー『すてきな三にんぐみ』のこと

「すてきな三にんぐみ」トミー・ウンゲラ
「すてきな三にんぐみ」トミー・ウンゲラ

善悪の彼岸にある絵本、心盗まれて

幾つになっても絵本はいいなと思う。
でも、絵本ならなんでもいいというわけじゃない。
素敵な絵と出会えるか?
素敵な言葉が聞こえてくるか?
理屈じゃない。
複雑でもなんでもない。
ただただ感性を開いて、心と目をひらけばいいだけだ。
トミー・ウンゲラーの名作『すてきな三にんぐみ』という絵本も
またそういう絵本だ。

悪くて怖い三人組。
絵本ながらどこかフィルムノワールの雰囲気すら漂う。
でもそれだけじゃ絵本にはならない。
彼らも人間。
ある時子供ティファニーちゃんをさらって目覚める。
これまで集めてきたものじゃ満足しなくなる。
奪った金銀財宝でお城を買って
今度は、貧しく、悲しく、身寄りのない
捨て子や孤児たちを集めてきて一緒に暮らす。
強盗から慈善活動家への見事な転身。
ティファニーちゃんはある意味、彼らの救世主だったのかもしれない。

目にお前にいる人間が、はたしていい人か、悪い人なのかなんて
判断する基準なんて、実にかたよったいい加減なものだと思う。
人間の内面には複雑で、いろんな要素が絡み合っているのだ。
物事はそんな単純には察しえないということ。
だから、物事はまず動機というものに関心が集まる。
なぜ、そんなことをするのか、したのか?
仮に動機を知り得たところで、その闇の深さに全てが現れるものでもない。
かくも人間は複雑だ。

それがいいことであるか、悪いことであるかはその際関係ない。
そこから、物事の、その人物についての、相対的な考察が始まるだけだ。
この三人組がはじめに強盗に入る動機にはふれてはいないが
その後の慈善活動をみると、強盗するにはなんらかの事情があったのだろう。
もちろん、強盗がいいことであるはずはないのだが、
ティファニーという女の子を介して、彼らの本質がひょっこりでてきたのかもしれない。
反対に、慈善的人間であったとしても、
何かの拍子に、悪が全面に出てしまうこともまた、ありうるのが人間なのだ。

いずれにせよ、そうしたものごとの二面性、
単に話の裏表のみではない、というこの人間がかかえる内面性の多様性、複雑さを
小難しい哲学などではなく、だれにでもふと問いとして入っていける形をとる、
そういうものが絵本であり、
この『すてきな三にんぐみ』の面白さがある。

モノから心へ。
所有から施しへ。
そこにある心の多様性。
物語の見事な展開が豊かな色彩、コントラストで浮かび上がる。
アンゲラーの娘さん、フィービーちゃんに捧げられているこの絵本。
なるほどひねりが効いている。
やっぱり楽しい。
そして豊かだ。
やっぱり絵本っていいな、そう思わせる。

ウンゲラーは児童文学作家、イラストレーターで
活躍の場をアメリカに移した風刺画家・デザイナーとしても有名だ。
(フランス語圏ではアンゲラー、その他英語圏ではウンゲラーと発音する)
ちょっとエロティックで、子供にはわからない感性のものもある。
でも、ウンゲラーは決して子供の目線に降りて
媚をうるような、そんなタイプの作家ではない。
あくまでも、大人の目線で子供に語りかけるそんな作家だ。
そこが憎いところである。
だから、大人になってウンゲラーの絵本を読み直しても
今なお感動がある。
どこまでもイマジネーションが広がっていく。

ではなぜ、ウンゲラーの絵本が
大人の感性にも訴えかけるような
そんなシニカルかつ本質をついたような
世界観を有しているのか?
それはウンゲラーがアルザス人として
生まれたという事実があるからだろう。

アルザスはフランス内に位置しながら、
元はドイツ領だった、という経緯がある。
つまりはフランスとドイツの紛争地であったわけだ。
正式にいうとウンゲラーはドイツ系フランス人なのである。
戦争の度に蹂躙されてきた民族の痛みをかかえ
ドイツ人でもフランス人でもない、
特定の民族意識に固執することのない、
独自のアイデンティを抱え込んでいるからこそ
他者に対する痛みを本能的にかぎ分ける能力に
長けているのかもしれない。 

パンと蜜をめしあがれ:クラムボン

古今東西、素敵な3ピースバンドはいろいろあるけれども、
絵本に出てくるようなバンドといえば
真っ先に、この人たちのことが浮かんでくる。
宮沢賢治の童話のキャラクターをそのままバンド名に名乗るクラムボン。
でも、彼らの音楽をじっくり聞いていると、
実に高度な感性をもち、ありきたりのポップソングじゃないことがわかってくる。
不思議なバンドであるが、こころに響く永遠のファンタジーを奏でる特別な音楽だ。


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