デヴィッド・シルヴィアンをめぐって(後編)

david sylvian
david sylvian 1958-

英国人クリエイティビティ、遥かなる美の変遷(ソロ編)

さて、ジャパン時代には、あくまでもアート嗜好の強い
美意識にこだわりのあるミュージシャン
といった域に過ぎなかったデヴィッドが
ヴィジュアルアートを強く推し進め始めたのは、
解散後からだといっていい。
ソロファースト『Brilliant Trees』のリリースあたりで
まず、一冊の写真集『Perspective』を発表する。
これは主に、身内の人間やレコーディング時に関係した
仲間内を撮影したポラロイドを合成して
一枚の絵に仕上げると言うもので、
言うまでもなくデヴィッド・ホックニーの亜流である。

どこまでオリジナリティと言うものを意識していたのか
おそらくは“私家版”といったものだと解釈できる。
ジャパン時代に自ら歌った『Gentlemen Take Polaroid」を
地でいってしまった恰好なのだろうか?
なお、同時期に撮られたビデオ作品
『Preparation For a Journey(邦題『美しき予兆』)のなかで
自身の当時関心の中心だった主に京都という都市を舞台に
ポラロイド写真についての言及もされている。
その頃から同時に始めたというドローイングとともに
作曲からのプレッシャーの開放、
創造性への新鮮なアプローチ、
そう言った意図もあったらしい。

このころのデヴィッドは
写真家で恋人であったユカ・フジイとともに常に行動していたから、
その影響が色濃く反映されていたように思う。
ユカ・フジイと言えば、当初はミック・カーンの恋人だったが
よくあるような横恋慕話で、
バンドの関係性にもヒビが入ったとも言われているが
それ以後二人がビジネスパートナーとして
その関係性を保っていることからも
自身のアート嗜好にも大いに影響を与えてきたのは間違いない。

さて、そのファーストアルバムからのシングル「Red Guitar」では
写真家アンガス・マクベインの写真の構図を元に
オランダの写真家アントン・コービンと組んだPVを発表しているが
当時、シルヴィアンの嗜好性を如実に反映した雰囲気に満ちている。
それは、フランスの詩人ジャン・コクトーの世界観と
見事に合致しするのだ。
『詩人の血』というコクトーの映画などの空気感に近いといえようか。
コクトーがシルヴィアンに与えた影響は
ビジュアルだけではなく歌詞の中にも見受けられる。
「Red Guitar」の「difficurities of Being(存在困難)」
と言うフレーズなどはその痕跡だ。
これはコクトーのエッセイ『La Difficulté d’être』からの引用である。
そのほか、のちにフリップとのユニット『First Day』での「Jean The Birdman」では、
これは日本語訳で「鳥刺しジャン』という
まさにコクトー自身が重ね合わせていたイメージを拝借している。
その他、当時の自分のレーベル名OPIUMは
コクトーのエッセイ『OPIUM(阿片)』からつけたものである。
当時のシルヴィアンには、このようにコクトーのイメージが
そこかしこに散見するのである。

同時に映像への関心も高まっており、
『Nostalria』という曲にみられるように
ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーのイメージが
曲やPVの中にも引用され始めたころでもある。
また、セカンドアルバム『Gone to Earth』では
ラッセル・ミルズの鉱物的でシンボリックなドローイングが使用される。
グルジェフやその弟子ウスペンスキーといった神秘主義思想からの影響を通して
自然回帰の兆候が曲のタイトルなどに現れはじめる。
ラッセル自身はブライアン・イーノや
4ADレーベルのアーティストのジャケットで知られ
ジャパンのベスト版『Exorcising Ghosts』が最初である.

ラッセル自身、音楽に造詣が深く
同じく美術家大竹伸朗とDOOMというユニットをやっていたこともある。
デヴィッドとも息があったのだろう。
『Pearl & Umbra』 というラッセル名義のアルバムでは
デヴィッドがゲスト参加しているほどだ。
また、1990年代には共同で『Ember Glance – The Permanence of Memory』
というインスタレーションを発表。
東京の寺田倉庫でお披露目しているし
そのよしみで作曲家武満徹その大竹伸朗と親睦を深めている。
なおロバート・フリップ、トレイ・ガンと三人で組んだユニットでの活動アルバム
『Damage』ではその大竹伸朗のドローイングが使用されている。

1993年にはそのロバート・フリップと組んだ
『Redemption – Approaching Silence』
というインスタレーションを東京四谷のP3にて発表するのだが
これはおそらく、『Gone to Earth』時ににゲスト参加し
以後も関係の続くロバート・フリップの影響下で
ロシアの思想家グルジェフの思想が色濃く反映されていたはずだ。

また、そのアルバムからのシングルカット
『Taking The Veil』ではシュルレアリスムの画家である
マックス・エルンストのコラージュである
『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』と言う作品に
インスパイアされていたりするし、
シングルカットされた『Silver Moon』のPVでは
イギリスの写真家ビル・ブラントの写真がモティーフになっていたり
その前後『Alchemy: An Index of Possibilities 』というシングルでは
イギリス人の画家アマンダ・フォークナーのドローイングが使用されていた。
様々な方面からのヴィジュアルアプローチを
その感性にしたがって直感的に取り入れるのが
スタイルとして、シルヴィアンの意識において確立されているのがよくわかる。
こうしたアートと音楽が密接に繋がっているミュージシャンとして
その活動にもっとも熱が入っていた時期でもあった。

続く『Secret Of a Beehive』では
4ADレーベルのジャケットで知られる23 Envelopeの二人
イギリス人グラフィックデザイナーヴォーン・オリヴァーと
写真家ナイジェル・グリーソンを起用し
いかにもクリエティビティを喚起するデザイン性へと回帰している。
これを“ロンドン的”といっていいのかどうかはわからないが
晴天の日が少ないロンドンの空気感にフィットするムードは、
耽美的な美意識が深く浸透しているようにも見える。
鉱物的なイメージとでも言えば伝わるかもしれない。
そのままの雰囲気がナイジェル・グリーソンの手にによる
『Orpheus』のPVなどにも反映されている。 

その後ジャパンの事実上再結成アルバム
『RAIN TREE CROW』では藤原新也の写真集
『アメリカンルーレット』からのモハベ砂漠の一枚を使用し
99年リリースにおける『Dead Bees on a Cake 』では
同じくその藤原新也のドローイングを、
また、その翌年にリリースされたベストアルバム
『Everything and Nothing』では
藤原新也の写真「眉毛犬」を使用している。
これらはコンセプトアートというよりも
シルヴィアンの友好関係と嗜好性が反映されているのだろう。

2006年には香川県の直島で開催されたアート・プロジェクト
「直島スタンダード2」に出展したインスタレーションでは
「When Loud Weather Buffeted Naoshima」という曲で参加。
直島に滞在し風の音や鳥の声、波の音など
本人が自らフィールド・レコーディングした様々な音がコラージュされ、
完成した曲が入ったIpodが貸し出され
その曲を聴きながら島を歩くというコンセプトが実現した。
相変わらず、幅広いアート活動を継続している。

またインストだけのベストアルバム『Camphor 』では
有名ミュージシャンやセレブリティを撮り続けている
音楽写真家ケヴィン・ウエステンバーグの写真を使用。
『Blemish』のジャケットでは
今までにないテイストの日本人イラストレーター
福井篤のドローイングを起用し
これまでにない新境地を開いたと言えるだろう。

『Blemish』発表後の2004年のワールドツアー『Fire in the Forest』では
ヴィジュアルに高木正勝を同行させて、音と映像の美しい融合を試みている。
また自らのレーベルSamadhisoundよりリリースしたベストアルバムでは
クリスタマス・クラウシュという女性写真家のポートレイトが使われているが、
これまでのデヴィッドにはなかったテイストで
ちょっとゴスロリータチックで危険な匂いのする写真である。
相変わらず、柔軟で多面的な嗅覚を発揮している。

こうしたデヴィッド自身の
アートへの飽くなき関心の細部にまでは届かないが
ざっとその履歴のみ書き連ねて見ただけでも
その感性が捉える視点には
単にサウンドクリエーターのみならず
常に時代とアートそのものへ鋭敏にアンテナを張り巡らせてきた
表裏一体型の稀有なアーティストであることを如実に証明している。

デヴィッド・シルヴィアンのアートワークをめぐる10枚のアルバム

TIN DRUM 1981

曲の内容、雰囲気に合致して、毛沢東の肖像に、
イメージコンセプトとしてシルヴィアンが人民風アイコンとしておさまっている。
ラストツアーに同行し、写真集も出しているフィン・コステロによる
フォトジェニックなアルバムジャケットである。
音の充実度を如実に反映したジャパン時代のラストにして
結成五年にして、成長した四人の個性がみごとに上り詰めた
ジャパンの名を決定づける最高傑作になった。

OIL ON CANVAS 1983

ジャパンがらみのアルバムの中では、
唯一、既存の絵が使われているのがこのライブ版『OIL ON CANVAS』で
タイトル通りフランク・オッフェンバックの『油絵』が使用されている。
ドイツ表現主義的な力強い筆圧が特徴的な作品であるが、
ただし、内容はライブアルバムという形状にしては随分抑制が効いており、
スタジオでのミキシング処理によって
本来のダイナミズムよりは、様式美の方に重きを置かれているのは
当時のシルヴァアンの指向性を如実に表しているのだろう。

GONE TO EARTH 1985

ヴォーカルサイドとインストサイド2枚組の大作。
ロバート・フリップやビル・ネルソンとの交流が始まったのもこの時期だ。
デザインのラッセル・ミルズとの付き合いは、
ジャパン時代のベスト盤『Exorcising Ghosts』からであるが
このソロ2ndでアルバムでは、さらに明確なコンセプトのもとにデザインされている。
当時グルジェフ思想に傾倒してたシルヴィアンの、
ネイチャー回帰的なコンセプトをビジュアル化した
シンボリックなデザインが印象的だ。
B面のインストナンバーに特にその傾向が色濃く行き渡っている。

Alchemy: An Index of Possibilities 1985

この頃、シルヴィアンはインスト曲にも力を注いでいた。
アルバムの「錬金術」では、
改めて、トランペッタージョン・ハッセルをメインに迎え
イギリス人の画家アマンダ・フォークナーのドローイングイメージにあるような
第四世界的なサウンドを構築している。
ちなみに、当初は、当時にはよくあったカセットテープでのリリースであった。

Secrets Of The Beehive 1987

ソロ3枚目にして、シルヴィアンの濃密な世界観が凝縮されたアルバムで
ソロのなかでも、もっとも詩的メタファーに満ちたコンセプトが強い。
ここでは、4ADレーベルの専属デザイナーヴォーン・オリヴァーが
「23 Envelope」の仲間であるナイジェル・グリーソンの写真を使って
タルコフスキーの映画にも通じるイメージを喚起するような雰囲気が漂っている。

Rain Tree Crow 1991

実質上、ジャパンの再結成であるRTCのアルバムでは
藤原新也による『アメリカンルーレット」からMojave砂漠の写真が使われた。
シルヴィアンが、その写真集をみて、音楽との共通点を直感したのだという。
以後も、藤原新也の作品とは付き合いが続く。
アルバムの内容も、かつての楽曲よりもより自由なフォームで、
インプロビゼーション中心の楽曲で、より抽象性がましているが、
その方法論をもとに、最終発を狙ったが
たった一度きりの再結成で終わってしまった。

Damage 1994

攻撃的で、アグレッシブなフリップのギターサウンドに
シルヴィアンのボーカルが絡む
ふだんのソロにはみられないロック的要素に満ちた
ロバート・フリップとのコラボのライブ盤。
ラッセル・ミルズと親交の深かった大竹伸朗が初めて
そのジャケット・ワークに登場する。
『Ember Glance: Performance of Memory』で知己をえた二人に関係が
ここから続いてゆく。

Blemish 2003

日本人アーティストとの相性がよく、
しばしばコラボレーションを重ねてきたシルヴィアンが
福井篤によるイラストレーションを使用した
このようなタッチのイラストを使用するのは珍しいことだ。
ギターにデレク・ベイリー、エレクトロニクスにクリスチャン・フェネスを迎えた本作は、
イングリッドとの破局を如実に反映した
ジャケットのイメージ以上のヘビーなプライベートな混乱が
音として昇華されている。

Snow Borne Sorrow: Nine Horses 2005

スティーブ・ジャンセン、バーント・フリードマンとのユニットは
どちらかといえば、スティーブ色の強いエレクトロニカの延長上に、
北欧の空気感に包まれたサウンドストラクチャーとして構成されている。
アルバムジャケットは、ヴォーン・オリヴァーらとのデザイン集団
「V23」のメンバーであるクリス・ビッグによるデザインで
カバーアートには、ツーソン生まれのアメリカンアーティスト、ウエス・ミルズによる
コンテンポラリーでミニマルテイストのドローイングが使用されている。

SLEEP WALKERS 2010

盟友スティーブ・ジャンセン、坂持龍一を始め、
高木正勝や、フェネス、バーント・フリードマンといった
世代を超えた自由な交流のもとに発表された
シルヴィアンの近年における充実したコラボレート曲のコンピレーションである。
アルバムジャケットには、これまでのシルヴィアンにはみられなかった
官能的、倒錯的なムードが漂うクリスタマス・クラウシュという
ポートレート作家の写真を使用している。


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