デヴィッド・シルヴィアンをめぐって(前編)

David Sylvian 1958ー
David Sylvian 1958ー

アートから振り返るMr. ヴィジュアートマンの軌跡、その1(ジャパン編)

いつのことだったか、
デヴィッド・シルヴィアンの活動が滞って、随分時間があいており、
いったいどうしたものかと慮っていたのではあるが、
オンライン上で、実弟スティーブ・ジャンセンのインタビューに目が留まると、
デヴィッドとの今後の予定は、というような問いに
「彼はもう引退したんだ。もう作品を作ることはないんじゃないかな」という
まさに晴天の霹靂とはこのことで、
引退の文字を目にしてただ唖然としてしまったものだ。
正直、その実態はよくわからないまま、
それから時間だけがなんとなく過ぎてしまっている。

要するに、額面通りもう音楽には関わらないということだと
受け取るしかないわけだが、
過去のシルヴィアンの野心的な活動を、
ジャパン時代から聴いてきた人間にとっては
なんだか、事実を容易にうけいれられないままやりすごしている。
どこかで、スコット・ウォーカーのような、
隠遁音楽家の仲間入り程度に考えていたのだが、
その音楽を聴く限り、いまだ、引退の文字はにわかに信じがたいものの、
側近のスティーブからの声ゆえだけに
なまじ、デマでもないのだろう。
実に、残念であり、大いなる損失を感じている。
が、ここでは、そんな事実は、ひとまずおいて、
この偉大なるアーティストの軌跡を振り返ってみようと思う。

ポップミュージックの垣根を超えて
実験的、先鋭的なジャンルで孤高の活動を続ける
デヴィッド・シルヴィアンと言う音楽家のことを書き始めると
まずはその音楽家としての側面、
あるいは歌詞やコンセプトに置ける宗教的、思想家的側面
そしてアートヴィジュアル的側面、といった分野で
それぞれ丸々一冊の膨大な本になってしまうほど
実に示唆に富んだアーティストであることに
今更ながら驚きを禁じ得ない。

2015年に自身のSamadhisoundレーベルで扱う従来の音楽作品のvisual artを、
レーベルデザイナーChris Biggによって
自らの詞の世界とヴィジュアルを融合した
美しいアートブックとしてエディットされたのが
『Hypergraphia: The Writings of David Sylvian 1980-2014』
限定での出版の運びとなっていたが
初版はSOLDOUTになっており
残念ながら、現在入手困難な状況で自分は所有していないが、
シルヴィアン自身のサイトでは、その内容がうかがい知れる。

ここではデヴィッド・シルヴィアンのそのアート嗜好、遍歴について、
一つのクロニクルとして追ってみようと思う。

はじめにウォーホルありき

まずは、ジャパン時代から始めて見よう。
ファースト、セカンドあたりのサウンドに関しては
今となっては色々賛否の声が上がるが
メンバー以下当人たちが軽視し
歯牙にも掛けないのはしょうがないとしても
少なくとも、アルバムジャケットのセンスを見る限りは
お世辞にもクリエティブなものからは程遠い。
この辺りは、メンバーのセンスというよりは
そういう売り出し方をされてしまった事が要因であり
そこだけ見れば、いかに彼らが不本意であったか
方向性を模索する時代であったかぐらいは
容易に察することができる。

その原点はなんといっても
アンディ・ウォーホルと言うことになるのだろう。
若き日のシルヴィアンにとっては大きな指標だった。
スティーブ・ジャンセンの撮ったデヴィッドの部屋の写真では
ウォーホルのポスターを拝見できるほどだ。
インタビューではなんどもその名前に言及され
デビュー当時のデヴィッドのお気に入りは
ウォーホルの『A to B and Back Again』だった。

ジャパンのサウンドとしては
ボウイやヴェルヴェット・アンダーグラウンドといった
文学的ながらも退廃的なロックを演奏し
ウォーホルの息がかかった音楽に影響を受けてきたはずだから
そこへ行き着くのも当然頷ける。
当時のファッションセンスにも
ウォーホルカラーが如実に反映されていたはずだ。
前と後ろのツートーンヘアー、
音楽雑誌などには“鈴カステラ”なんて呼ばれていたあれだ。
うまいことを言うものだと思った。

ジャパン時代のアルバムジャケットでは
その音楽性の成熟に伴って次第に洗練されてゆくのだが、
概ね自分のナルシスティックなポートレートが主に使用されていた。
明確なコンセプトとは別に、
リーダーであるデヴィッド対それ以下のメンバーという図式が
ジャケットワークの一つのお約束ごとになっていた。
それはのちにバンド解散やメンバー間の軋轢に繋がってゆくのだが
ここではそれについては触れない。

4枚目のアルバム「Gentlemen take Poraloids」では
まるでユイスマンスの小説の主人公のように
ヨーロッパデカダンスを強く意識したような
憂鬱で病的な本人が傘をさしたポートレートのジャケットが
当時の嗜好を反映している。

5枚目のアルバム「Tin Drum」では
そのシノワズリなサウンドに呼応するかのように
毛沢東の写真の飾られた部屋で
中国人になりすました?デヴィッド自身が
写真家フィン・コステロによる惚れ惚れとする写真のなかで
不器用に飯を食っている、と言うジャケットに収まっている。
この辺りから、コンセプチュアルアートとしての視点も萌芽し
独自の美意識が随分洗練されてきたのを端的に示唆している。

その後解散ライブを収録した
その名も「OIL ON CANVAS」では
いきなりフランク・アウヘルバッハ
(英語読みだとアウアバックになるのかな)の絵が使用されるのだが
これにはちょっと驚いた。
アウヘルバッハという人はベルリン生まれで
イギリスに移り住んだ画家だから
イギリスの画家といっていいのだろうか。
でもその絵のタッチを見ると
明らかにドイツ表現主義なんかの影響が見てとれ
いわゆる厚乗りの力強いタッチである。

この絵がどう言う経緯で使われたのかはよく知らないが
ドイツ表現主義とジャパン、あるいはシルヴィアンは
そうは簡単に結びつかない。
おそらく、ボウイの影響があったのではないか、と推測する。
ボウイはアルバム『ヒーローズ』や『ロジャー』のカバーで見せた
エゴン・シーレの影響を元に
デヴィッドなりの解釈ではないかと思うふしがある。
『ロジャー』の後のボウイのツアー・メンバーだった
ヴァイオリニストのサイモン・ハウスが
『Tin Drum』にゲストで招かれていることからも察しがつく。
ちなみに膨大な絵画を所有していたボウイのコレクションの中にも
当然のようにアウヘルバッハの絵が忍んでいたわけだった。

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