ジョン・ハッセルを吹聴して

JON HASSELL 1937〜
JON HASSELL 1937〜

前衛枯山水トランぺッターここにあり

ユニークなトランペッター、個性的な、
という言い方がどこまで適切かどうかはさておき
明らかに、ジャズトランペッターのそれとは
異なるアプローチで奏でられるあの独特の音色、
一聴するだけで、それとわかってしまう音を奏でるのが
唯一無二のトランペッターとしての、ジョン・ハッセル個性であり
その最新の動向には、絶えず関心を寄せてきた。

前作『Listening To Pictures (Pentimento Volume One) 』が
なんとも素晴らしい出来栄えだったので、
80歳を超えた今も、その生存に安堵し、
ハッセルの感性に、いささかの劣化もないことは
すでに確認済みであったのだが、
今回、それに続く続編『Seeing Through Sound』を聴いて
ますます確信を持ったのは、人間というものに、
仮に、肉体が衰えがきても、その精神世界には限界など存在しない、
つまりは、永久運動をし続ける無限の生命体である、という真理のことだ。

あえてスピリチャルな次元で捉えうるか否かはさておき
その音に宿る波動に、アニミズム的要素を感じるのは錯覚ではない。
世間を見渡して、そんな霊的感性の人間が、
はたしてどのぐらいいるのだろうか?
すくなくとも、直接に出会ったことなど一度もないし、
それをあえて、この偉大なクリエーターと比べるのは失礼というものか。

この「Pentimento」シリーズは、ハッセルの長い経歴のなかで、
ひとつの集大成といってもいい要素に満ちている。
そこでは、絵画でいうところの「上書き(修復ではない)」作業によって
これまで以上に多層的な音がカラフルに彩られている。
もっとも、これには実に形而上学的な意味合いが含まれ
明確なイメージとして掲げられているわけでもない。
「以前のイメージ、フォルムを上書きし、書き換えること、
またはそのストロークの存在または出現」
つまりは、キャンバスの下にある、元になったイメージやコンセプト、
なんらかの初動の刻印が、表層の塗り替えられたイメージとして
一つの作品の中で昇華されている・・・と言った程度の、
イタリア語の美術言語からのコンセプト拝借に他ならず、
そのメタファーはもっと抽象的なものである。

ハッセル自身の解釈によれば、新しい文脈のなかで
常に音を問い直してゆく作業、というようなことを語っている。
いずれにせよ、絵画的な方法論を
一音楽家が音響のなかに持ち込むというコンセプトで、
これまでの作品が大胆に、また繊細に編み込まれ
まさに不思議なタペストリーのような
多重構造のサウンドが見事に構築されている作品である。
それはそっくりそのまま、
「様々な時代と地理的な起源から生まれた音楽の実際のサウンドを、
ひとつの作曲のフレームに一緒に収める」
という、あのマジックリアリズムの真髄に重ね合わせることができる。

方法論がどうであれ、絵画的な音、というと、
いかにも抽象的な領域を脱し得ないが、
長年親しんできたこのジョン・ハッセルのサウンドという意味では
大きな変化の様相は見られない。
たとえていうなら、マイルスの『ビッチズブリュー』の黒魔術的なジャケットで知られる
マティ・クラーワインのあの絵、そのものの世界が横たわっていると言える。
この画家は、たえずハッセルのインスピレーションの源になっており、
この「Pentimento」シリーズも、クラーワインへのオマージュとして捧げられている。
自身のレーベル「インディア(NDEYA)」は
このクラーワインの芸術性へのオマージュとして立ち上げられたのだという。

ハッセルのトランペットの音を最初に聴いたのは
トーキング・ヘッズの名盤『リメイン・イン・ライト』であった。
その音は到底トランペットの音には思えなかった。
どうしたらあんな音が出せるのか、不思議でしょうがなかった。
ハーモナイザーを使用し、数度オクターブを少し上げ下げ上げし、
トランペット特有の質感に変化を加えていることぐらいは知っていたが、
ハッセルの音が生々しく肉感的要素を持っているのは、
単にエフェクト処理がもたらす効果に依存せず、
唇の振動を共鳴させるその具合が
改めて重要な役割を果たしていることを実感するばかりだ。
いうなれば、音に直接的に魂を吹き込むとでもいうのだろうか。
まさに錬金術師である。

その後、憑かれたようにイーノとの環境音楽シリーズ
『第四世界の鼓動』や『ON LAND』といった
過去のアンビエントの名盤ものにハマってゆく。
同じくEGからリリースされたソロ
『Dream Theory In Malaya』や
『Aka-Darbari-Java / Magic Realism』のもつ
独特なアニミズム的世界に、すっかり魅了されてしまったものである。

それだけではない。
ロイド・コールやスティーナ、アニ・ディフランコ
ジャクソン・ブラウン、KDラングなど
80年代からは、歌い手の背景に沿うカタチで
絡んでゆくあの独特のトランペットサウンドが新鮮で
しばしこの前衛サウンドが絡んだ音を求めて耳にすることになる。
中でもデヴィッド・シルヴィアンのファーストソロ『BRILLIANT TREES』では
あのエモーショナルかつ肉感的なトランペットサウンドが
新たな活路を見出したと言えるほど、メロディとの共存関係を繰り広げ
心底心奪われしまった。
そうして様々なジャンルのミュージシャンからも引っ張りだこで
一聴するだけでそのトランペットの音の正体が
わかってしまうハッセルという音楽家は、いったいどうやって、
この個性的なサウンドへたどり着いたのか?

最初に師事したのが現代音楽の鬼才シュトックハウゼン。
1960年代にはラ・モンテ・ヤングやテリー・ライリーといった
ミニマル音楽に傾倒し、
その後1970年代にはインド古典音楽の発声法にヒントを得て
あの独特なトランペット演奏にたどり着く。
同時に、60年代後半から70年代において、
ジャズ界に革新をもたらした、エレクトリックマイルスのサウンドに
呼応するものであるといえる。

それらを、民族音楽と電子音楽を融合させた「第四世界」サウンドコンセプトによって
無国籍アンビエントの開祖であり
今尚トップアーティスト、サウンドクリエーターとして
テクノ、トランス、ブレークビーツと言った
ラップトップミュージック世代との交流を経ても、
全く色あせず、従属することなく自由であり、
あらゆるジャンルを横断しながら、第一線で、時代を超え未来へと向かい
影響を与え続けている。

このトランペッターをリスペクトしてやまないのは、
ハッセルの第四世界の鼓動が、まさしく一枚のタブローのように、
普遍的な価値を提示しながら、
時代やジャンルに容易に分断されるようなものではないことを
改めて体感するからである。
そこには、エレクトロニクスに容易に逃げ込まない、
真の身体言語としての確固たる音があるからなのだ。

ジョン・ハッセルの親和性を認識できる10枚のアルバム

Terry Riley: In C 1968

Cコードで作られた53のフレーズを
マリンバやリード楽器等の即興演奏によってくりひろげられる
41分53秒のミニマル音楽へのハッセルの参加が、はたして
どういう役割を果たしるのかは定かではないが
少なくとも、ミニマルミュージックにおいてこのアルバムの重要性、価値は大きい。
以後のハッセルの活動に多大な影響を与えていることは明らかである。

VERNAL EQUINOX 1977

いみじくも「春分」を意味する『VERNAL EQUINOX』は1977年にリリースされた、
ハッセルの記念すべきファーストソロアルバムである。
イーノとの共演を果たす前、パーカッションにナナ・ヴァスコンセロスと
アメリカ実験音楽巨匠のデヴィッド・ローゼンブームによるシンセサイザーとで
つくりあげた「第四世界」サウンドエッセンスがここにある。
フィールドレコーディング的要素とエレクトリック・ジャズ
およびアンビエントエスノの混交に
ハッセルの音響処理をほどこされたトランペットサウンドが絡む。
実験的でありながらも、まるで絵画のように艶かしい
アトモスフェリックな空間を創り出している。
イノベータージョンハッセルの門出がここに凝縮されている。

Dream Theory in Malaya 1981

最初にこのアルバムを聴いた時の衝撃は忘れ難いものだ。
民族音楽とアンビエントの融合とはいえ、
ひとことで言い表せない世界、つまりは「第四世界」的な音に満ちているのだが
これが実に心地よいのだ。
マレー半島にわたり、マラヤのセノイ族とのフィールドワークで集められた
現地の音がコラージュされており、
不思議な森の迷宮に迷い込んだかのような酩酊感が襲う。

Fourth World, Vol. 1: Possible Musics  HASSELL/ENO 1980

イーノのアンビエントに、さらなる瞑想的な音が加筆された、
新たな音の担い手、それがジョン・ハッセルだった。
二人のコラボレーションは、まさに二人の匠によって音の錬金術を生成する。
単なるBGMというわけにはいかない、リズムとアンビエントが絡み合ったなかで
有機化合物としての音の広がりは、場所を超え、時空を超えて
不思議なトランス状態へ導くのだ。
パーカッションには『VERNAL EQUINOX』からの付き合いである
ナナ・ヴァスコンセロスとセネガルのアイーブ・ディエン、
そして、ギターにマイケル・ブルック、ベースにパーシー・ジョーンズが参加。
非ロック的なトリートメントによるアンサンブルは、複雑なハーモニーを奏でる。
そして瞑想へ誘われる音のループへと埋没してゆく。

Aka Darbari Java 1983

ジャケットの棚田がそのままアルバムの空気感を伝えている。
マイルスの『ビッチズブリュー』で知られるMati Klarweinの作品だ。
副題にあるマジック・リアリズムとは、ハッセルの言葉借りるなら
「様々な時代と地理的な起源から生まれた音楽の実際のサウンドを、
ひとつの作曲のフレームに一緒に収める」ということだ。
これは、ホルガー・シューカイが提示したラジオコラージュとも共通する概念であり
音楽的にファンタジーを吹き込むアカデミックな手法だ。
ハッセルのソロのなかでも、もっともミニマル色の強いアルバムになっているが、
イーノの片腕、ダニエル・ラノワの参加が関与しているのだろう。
非常に洗練された音響が施されていて、心地よいミニマルミュージックを奏でる、
もっとも聴きやすいアルバムの一枚だ。

Power Spot 

ECMからリリースされた唯一のハッセルのソロ。
プロデュースにはイーノ。
ジャズでもなければ、現代音楽でもない。
北欧的なジャズをメインに、多少はワールドワイドな実験的な音も受け入れてはいるが
ありそうで、ありえない組み合わせともいうべき、不思議なアルバムである。
とはいえ、突拍子もない音楽というわけではなく、レーベルカラーに
無事おさまってしまうのだから、ECMのその許容量も半端ではない。

Voiceprint : 808 STATE Jon Hassell  1990

ロックをはじめ、ポップミュージックでの歌物へも
自由に絡んでゆくハッセルのトランペットの音は、
クラブ系やトランス、テクノ、どんなジャンルにも
対応できてしまう柔軟さを兼ね備えている最強のサウンドである。
808stateと絡んだ本作はそのことを如実に証明している。

Remain In Light The Talking Heads 1981

ニューウェイブ〜アフロファンクロックとしての流れの中で
一つの金字塔を打ち立てたと言っていいこの『REMAIN IN RIGHT』への参加は
以後、ハッセルがポップミュージックやロックの潮流のなかで
コラボレーターとしてその個性と可能性を広げてゆく、
一つの契機となったアルバムだと記憶されている。
ハッセルの参加は『Houses In Motion』一曲のみだが
やはり強烈な一撃を放っている。

BRILLANT TREES David Sylvian 1983

シルヴィアンのファーストソロにおけるハッセルのパートは
単にゲスト参加という枠組みを超え、このアルバムのハイライト
新たな命を吹き込んだと言ってもいい輝きを放っている。
とりわけ、タイトルナンバーでは、シルヴィアンのヴォーカルに寄り添うように
重なりを持つハッセルのトランペットが
アンビエントトラックで聞かれる以上に官能性を持った響きに満ち
シルヴィアンのトラックに色を添えている。
以後、多様なボーカリストとの共演の礎がここからはじまったと言えるだろう。

Listening To Pictures (Pentimento Volume One)  2018

イーノは、『77 Million Paintings』を通し
コンピューターグラフィックとプラグラムよってライト・ペンディング(光の絵画)と
サウンドを融合させる試みを行ったが、
ジョン・ハッセルは、それを実際の絵とコンセプトによって
絵を聴く音楽体験を持ち込んだのが本作であり、
クラーワインへのオマージュとして捧げられている。

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