リチャード・バルビエリをめぐって

Richard Barbieri 1957-
Richard Barbieri 1957-

つまみの調合師、英国のアルチザンを讃えよう

スティーブ・ジャンセンをとりあげて、この人を無視するわけにはいかない。
実力のわりに、なんだかとても地味な印象が、
どこか拭いさりきれない英国のバンド、ジャパンのなかでも、
これまたひときわ地味な存在が、
キーボーディスト、リチャード・バルビエリ、その人であった。

とりわけ、初期ジャパンにおいては、
その扱いはいつも、デヴィッド、スティーブ、ミックといった
人気者の影に隠れて、存在感も薄く、
もうひとりのロブ・ディーンと合わせ、
熱狂的な人気の盾になっていたほどである。

おすぎだったかピーコだったか、
“リッチは新宿のオカマよ”
などとといういじわるな記事を載せていたのを、
なんとなく覚えているし、
リチャードは一人暗い目をしている、
などと書いてあった記事もあった。
バンドのイメージ戦略ゆえの、無理強いメイクに、
どこかで違和感を抱えていたのかもしれない。

要するに、音楽性や個性を度外視され、
典型的な日陰のメンバー扱いで、
片付られてしまっていたのである。
それが、バンドの成熟度にともない、
急激に洗練された音作りをするようになり、
日に日にエレクトロニクスへの比重が高まるにつれ、
バンド内におけるリチャードの役割にも
明確な個性が露見し始めるようになったのである。
アルバムには収録されなかったが、
始めて曲を書いた「The Experience Of Swimming」
という楽曲にはそのあたりの片鱗が伺える。

その後スエーデンの「Vanity Fair」という、
新人バンドのプロデュースをはじめ、
ジャパン解散後、アグレッシブに活動を重ねてゆく。
いち早く、盟友スティーブと組んだ「ドルフィン・ブラザーズ」から、
公私にわたるパートナー、スーザンとのプロジェクト、
一枚だけで終わる「オイスターキャッチャー」
リーダーであるデヴィッドのソロアルバムにも顔を連ね、
そのツアーにも同行し、
主にそれ以外のメンバー間での
ある意味相互補助のような活動を経て、
八十年代をなんとか生き延びたリチャードは、
長年の職人技が外部のバンドやミュージシャンたちにも、
ようやく認められたとみえ、
1993年からはポキュパイン・トゥリーで、
名うてのメンバーに混じって、
堂々とパーマネントメンバーに抜擢された。

かくして、ジャパンのメンバーのなかで
一番地味だったリチャードに光が当たったのである。
ジャパン以外のバンド(プロジェクトは除く)に、
初めて所属したという意味では、
このリチャードが、一番長くそのバンド活動を継続するという、
皮肉な結果になったというわけだ。

ちなみに、このポキュパイン・トゥリーというバンドは、
第二のピンクフロイドと謳われるほど、
プログレ色が濃く反映されたバンドだが、
ジャパンにはないダイナミズムを感じさせ、
時にはサイケデリックな曲調に、
ダークな世界観ながら、
アンビエントからトランスと言った、
スペイシーな雰囲気作りには、
リチャードのシンセの音色が多分に貢献し、
堂々の存在感を示していたと思う。

それは、おそらくリチャード自身のバックグラウンドに、
プログレの下地があったからではないかと思う。
ジャパンのメンバーが、どちらかというと、
ボウイやロキシーミュージックの影響下にあったのに対し、
このリチャードには、当初から明らかに、
プログレ嗜好が見え隠れする。
ピンク・フロイドのキーボーディスト、リチャード・ライトをはじめ、
元ハットフィールド・アンド・ザ・ノースの
デイヴ・スチュアートなどの影響も感じる瞬間がある。

けれども、ジャパンではそれが抑制されて、どちらというと、
フレーズをガンガン弾きまくるキーボーディストというよりは、
一音一音の音色にこだわるという作業が、
求められだということも
関係しているのかもしれない。

それでも、パフォーマンスや雰囲気は、
別段ジャパン時代と変わることもなく、
淡々とプレイする、
長い時間をかけて気に入った音色を求め続けるといった
あの一定の職人気質を保ちながら、
地道に活動を継続し現在に至っている。

リチャードは、これまで、
四枚のソロアルバムを発表しているが、
それらでは、すべて一貫性のあるサウンドカラーを、聴く事が出来る。
そちらは、まさにジャパン解散後の進化系としての、独自の世界観を、
トランスアンビエントポップのトラックメイカーとして、
進化させている。

リチャードというと、どうしてもアナログシンセの名機である、
プロフェット5の巧みな使い手として、
すぐさま名前が上がるほどのミュージシャンだが、
まさに一聴するだけでわかってしまう、
“ならでは”の職人気質のような音を
手動で捻出するのがスタイルである。

そのなかでも、やはり、代表的なサウンドと言うと、
ジャパンのスタジオラストアルバムである、
『Tin Drum』のなかの「GHOSTS」を挙げないわけにはいかない。
この曲は、確かにジャパンの楽曲の中でも、
もっとも重要な曲に違いなく、
シルヴィアン自身も、ライブでは何度も取り上げている。

しかし、この曲を聴く限り、
とてもヒットチャートに上るような楽曲には思えないのだが、
当時のイギリス人はこの曲をヒットチャート五位にまで押し上げた。
まさにイギリス人のセンスの底力を、
見せられた思いがしたものだった。

そんな楽曲のなかのシンセパートは、
他ならないバルビエリでしか出せない、
まさにプロフィット5ならではの音色だ。
まるで水墨画のような、
あたかも幽玄の美がここには表現されている。
それらをバックに、あのシルヴィアンの声がかぶさってくるとき、
ジャパンの個性の完成と限界をみたのかもしれない。
この曲は、紛れもなく、リチャードのカラーなしには成立しない。
ミックのベースも、スティーブのドラムもない、
この音空間は、まさにバルビエリの真骨頂である、
プロフィット5の独断場であり、
そんな魅力を持ったナンバーのクレジットでさえ、
リーダー格のシルヴィアンが独占してしまったことに、
真の解散理由があるのだとしたら、
全く持って残念な結果としかいいようがない。

もっとも、そうした バンド間のエゴは、
ロックバンドの宿命だとも言えるし、
のちに続く地道なまでの歩みをみていると、
縁の下の力持ち、といったポジションで、
バンドなり、プロジェクトを支えるのが、
このリチャードのようなミュージシャンには、
生きる道だったのかもしれない。

そんな未来を予言する、プロフィット5の達人を、
この地味なサウンドメイカーを、静かに讃えたいと思う。
それにしても、それぞれメンバーのミュージシャンとしての成長ぶりは
ジャパン時代とは比べものにならない進化をとげているのだが
ジャパン時代から、ほぼなにもかわることのない姿勢で地道に作り上げてきた
このバルビエリの世界観こそは、ジャパンカラーを
もっとも大事に継承しているような気がしてなんだか、安心するのである。

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