デイック・ブルーナのこと

DICK BRUNA WORKS
DICK BRUNA WORKS

ミッフィーはママの味

銀縁の丸メガネに白いヒゲ。
まずはこの幸福の記号を頭に思い浮かべてみる。
それは世界中の子供達に愛され
日本でも絶大な人気を誇っているミッフィーの生みの親
オランダはユトレヒト生まれのグラフィック・デザイナー
デイック・ブルーナ、その人のトレードマークというわけだ。

一見子供が描いたような
一筆書きのような一本の線で描かれるこのうさぎ、
口にはバッテンのあるあのうさぎ、
ブルーナの代表作にて最大の大ヒット
永遠なるシンプリシティであるところのミッフィーが誕生して
はや60年の歳月が過ぎるのだ。

偶然にもブルーナ氏は卯年生まれ(1927年)だというから
すでに約5サイクルも回ったってことなんだなあ。
還暦を迎えたミッフィー。
この単なるシンプルな線のうさぎちゃんが、
何の魅力もなくして、こうまで生き延びれるわけもない。
こうして大人子ども分け隔てなく愛され続けているのをみれば、
“ありがとう”や“ご苦労様”と言った単純な言葉にだって
とても重要な意味があるんじゃないか、
だから心に響くし、なくなることなくずっと使われづづけているのだ、
などと自ずと考えさせられてしまうってわけだ。

そう、シンプリシティとは、
日々の繰り返しの中に意味が生じるものだということを
このミッフィーに教えられる気がしている。
それぐらい、シンプルなもの、
シンプルなモノには力があるってことなんじゃないかと。

そういうと、なかにはあんな簡単な絵、誰だって描けるよ、
という人がいるかもしれないが、
それは全く見当違いもいいところである。
カタチもそうだが、線ひとつとっても
長い年月の間には少しずつ変遷しているのだから。

つまり、生まれたままのミッフィーは
もはや過去にしか存在しないということになる。
無論、彼は絵本作家であり、グラフィックデザイナーであり
アーティストと呼んでみても差し支えない人だ。
その人の手から生まれ落ちた線が、
窮屈なままの世界に閉じ込められつづけるはずもない。

時間とともに
少しずつ少しずつ、微妙な息遣いが反映されてゆくのだろう。
これを熟成と言い変えればいいのだろうか。
単なる子どものための絵本を作るデザイナー、
というだけでは片付けられないというのが
このディック・ブルーナという人物の奥深さである。

ブルーナの仕事の中でも重要なものに
ペーパーバックシリーズがある。
出版社を経営する父親の元でこの世界に足を踏み入れた彼は
初めの頃には野心たっぷりに
モダンで斬新なデザインを志していたのが見て取れる。
それはそれで素敵でこの上なく素晴らしい仕事だと思う。

見ただけでパッと楽しくなる世界。
端的に世界観を表現している。
そうしたものにはすぐに目がいってしまう。
僕はこの手のものに即反応してしまう人間だ。
画家を目指していた時期もあるブルーナにとっては
憧れのマティスやレジェの影響がみられるデザインでもある。
ときにはレイモン・サヴィニャックの影響も垣間みられる。
誰だって、最初から達観した大人びた技術や感覚で
作品を生み出すわけではないのだ。
シンプリシティをモットーにだなんて、
初めからそんなクールに臨めるデザイナーなんて
僕には信用が置けない。

そのことはいたって自然である。
しかし、ブルーナの仕事をよく見れば一貫したスジが通っていることがわかるだろう。
それは魅力的なまでに滲むヒューマニズムとでもいうのであろうか。

例えばブラックベア。
子ぐまの毛のタッチを表現するために
紙を手でちぎった紙を使用したり
真っ黒いクマの目だけを赤にしてみたり。
どうしてクマの目が赤くなくちゃいけないのか? と尋ねてみれば
それは毎晩夜遅くまで本を読みすぎているから、だという。
なんとも気が利いているな、
洒落た発想じゃないか、そう思うのである。

ミッフィーにしても、単純な花の絵一つとっても
トレーシングペーパーの上から時間をかけてなんども描く。
その下の紙に筆圧でついた“跡”を
再びゆっくりゆっくり時間をかけてなぞってゆくのだという。
そして出来上がった原画を
今度は透明なフィルムに焼き付けて
色との組み合わせを模索する。
その色も、赤・黄・青・緑、
それにせいぜいグレーとオレンジが加わる程度。
いたってシンプルでわかりやすいトーンばかり。
全てが究極の中で生まれるデザイン。
シンプルなものをじっくりと考察しながら
洗練されてゆくデザインの真骨頂があるのだが、
僕にはなかなか難しい。

今ならコンピューターで一瞬でできることを
手間暇かけてじっくりと仕事をする。
これがあの人気者ミッフィーの秘密なのである。
それが60年以上の長い年月続いているのだから、
やはり感嘆の念を禁じ得ない。

かくいう自分は、ミッフィというものを、かつて
今ほど気には気に留めてこなかった。
はっきり言えば、スルーしていた、といっていいかもしれない。
あまりにシンプルすぎるものは
日常においても、つい見落とされがちである。
物事を見る目が洗練されていないと、えてしてそうなるものなのかもしれない。

曲がりなりにもデザインの仕事をするようになって、
初めて気がついたことは多い。
デザインというものを最初からわかっていたら、
まったく違ったのだろう。
だから、そういう仕事をするようになったのは偶然ではない。
こういう仕事をしていくうちに
初めてデザインの本質に出会い始めたのである。
蛇の道は蛇、だったのである。
それはある意味、幸運な“目覚め”であったのかもしれない。

つまり、それはこの世のいろんな仕組みだって、
自分が知らないことが星の数だけあって、
一見何の変哲もないことの裏側を知れば知るほど、
奥深さを知ることになるのとおんなじことだと思う。
知らないまま過ごすのと
その奥義を知ってすごすのとでは
自ずと人生に反映される豊かさにも差が出てくる。 

無論、その逆もあるだろう。
知らなくてもいいことを知ってしまって
頭でっかちになる場合もある。
だから、カタチがシンプルだからとか、
複雑だからとかいうことは、重要ではないのだろう。
その一本の線が引かれるまでの工程やプロセスが
とても気になるし、それを知ってさらに驚愕することもある。
そう思った瞬間から、新たな世界の広がりに出会う。

ことの本質をあまり難しく考えすぎて、
どんどん逆の方向へ進んでしまうのは本意ではないが、
やはり、年齢を重ねると経験というものが活きてくる。
ディック・ブルーナの仕事をみていれば、
絶対に愚かな方向に向くはずはない。

長年乗り馴れた古めかしい自転車を漕いで
約三百年も前に建てられた建物の中にあるアトリエに通い、
日々かくなる仕事を飽きもせず繰り返す。
アシスタントなんて使わずに、すべて一人でこなすのだという。
朝は行きつけのカフェでコーヒーを飲んで
8時にはデスクについている。
そんでもって、昼には家に戻って奥さんと昼食会。
「あなたにとってアトリエが家みたいなものね」
そんな規律のなかの贅沢な時間を許容する街、
そんなブルーナのいるユトレヒトに、いつか行って見たくなった。
帰ってきたら、もっと人に優しくなれるような、
人として豊かになれる場所、そんな気配がするのだ。

ある人が、電車に乗り遅れて
たまたまディック・ブルーナの描いたブラックベアーのポスターが
目に飛び込んできたおかげで
次の列車を待つことへの苦痛が和らいだ、
というようなエピソードを、
わざわざブルーナの元に手紙で送ってきたのだと言う。
それを幸福な体験として、後生大事に持っているような
そんなデザイナーの仕事ぶりの前には
大それた仕事を成し遂げたいという欲望などより、
少しでも日々を大切に生きるために
何かを学びたい、そんな謙虚な気持ちになってくる。

Paperback Writer:The Beatles

手紙ついでに、ビートルズの曲の中で、大好きな一曲について触れておこう。
それがこの『ペイパーバック・ライター』
名盤『リヴォルバー』に収録されているこの曲、
ポール自身の夢だったのか
小説家志望の男がいかにして、自分の作品を売り込むか、
という架空の話だが、それを手紙の調子で書いてみたという曲。
ポールのベースとリンゴのドラムの疾走感がいい。
そして何と言ってもコーラスとエコーが洒落ている。
途中「Frère Jacques」というへんてこりんなことをハモっているが
これはフランスの童謡で歌われるフレーズの一節を
隠し味的に忍ばしてあるのだとか。
イギリスでは『Are you sleeping?』
日本では『ぐーちょきぱーでなにつくろ?』として
それぞれ子供向けに替え歌で親しまれているものを
こんなところにはさんでみる遊び心。
なんだか洒落ていて、ご機嫌なナンバーだ。
この曲をミッフィーとディック・ブルーナとそれを愛する人たちに贈ろう。

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