フンデルトヴァッサーをめぐって

大阪市環境局舞洲工場
大阪市環境局舞洲工場

真っ直ぐな心で曲がりくねった生活を曲線の楽園と名付けよう

直線は神への冒涜であり、不道徳である。
「建築における合理主義に対するカビ宣言」より

梅雨に乗じて、かたつむりのことを考えている流れで
渦巻きの楽園に満ちたオーストリアのアーティスト、
フリーデンスライヒ・レーゲンターク・ドゥンケルブント・フンデルトヴァッサー
この百水こと、フンデルトヴァッサーの絵のことを思い返していた。
そんな彼のカラフルで祝祭的な絵に惹かれるのはいうまでもないが、
そういえば何年か前、ウィーンのガウディとも言われる
フンデルトヴァッサーによる外装デザイン作品で知られる
大阪市環境局舞洲工場を訪れていたことを思い出した。
流石に、中の様子までは忘れてしまったが
外装の素晴らしさはいうまでもなく
記憶の襞にはっきり刻印されている。

環境局舞洲工場というのは
単純にいえばゴミ焼却場である。
街のゴミ焼却場が、知る人ぞ知る、
アート心をくすぐるスポットであることを
快く思っていない人がいたり
未だなんの興味も持たれずいるのは残念なことだが
フンデルトヴァッサーの絵や思想を好むものにとっては
これほどのスポットを訪れない手はあるまい。

よくもまあ、お役所たるものが
このような突飛な発想を受け入れたものだと思う。
その過程や工程については何も知らないが
総工費は610億円、デザイン料6000万円とも言われ
当時は税金の無駄遣いと揶揄されていたらしいが、
いい意味で、時の大阪市の功績を称えたい。
もっとも、ゴミ焼却場は暮らしになくてはならないものだから、
別の思惑で容認されたのかもしれない。
とはいえ、その合理性を考えてみれば
ゴミ焼却場がアートなスポットである必然は
どこにもないのだから、やはり、異質なことなのだろう。

フンデルトヴァッサーという人は
人と自然とをアートで結ぶ
エコロジストである美術家であり、
ドイツやオーストリアを中心に
世界各地にその思いを込めた建築物が残されている。
もっとも知られているのは、
祖国オーストリアのウィーンにある
『フンデルトヴァッサーハウス』と呼ばれる公共住宅である。
オーストリアの文化遺産にもなっており
市民から愛され、今も世界中からの観光客も絶えないスポットだ。

色とりどりの外壁に不規則な窓、曲線や植物が
あふれんばかりに這うような建物は
目新しさという概念でもないし、伝統という縛りもない。
芸術というよりは、まさに人間の生命の根源に対応する
かのような親和力を持った建築物だと言える。
いつか一度は訪れてみたい場所である。

直線を嫌い、合理主義的建築を批判しながら
自然との共生を建築に持ち込んだ発想には素晴らしいものがある。
その意味では芸術家であると同時に、
思想家か運動家と呼んでも差し支えないかもしれない。
それが日本の大都市大阪のゴミ焼却場で見られるのだから
それに歓喜せずにはいられない。

その他にも、キッズプラザ大阪の「こどもの街」や
赤坂のTBS南口玄関には「21世紀カウントダウン時計」
というモニュメントも残されているのだが
残念ながらフンデルトヴァッサーの意匠を
必ずしも汲んでいるようなものでもないように思える。

フンデルヴァッサーが日本でもなじみが深いのは
かつて、日本人女性と結婚していたこともあり(離婚している)
それで「百水(フンデルト=100、ヴァッサー=水)」
という屋号を持っていることからも窺い知れるところだが
「美しくて、無駄がない」として、
日本の風呂敷に惹かれ商品化にまで至っているほどである。
来日の際には日本式旅館に宿をとり、浴衣と畳の生活を愛好したようだが
にわかに近代化を遂げた日本の現代建築が
フンデルトヴァッサーの関心を惹いたとは思えない。

「北齋、広重などの浮世絵画家をみて、
日本の美につよく心を動かされた」彼はいう。
「日本は、どのようにわたしたちがこれから暮らすべきかを、
過去にすでに示している。」と
そんな大量消費社会である日本の未来に
警鐘を鳴らしていたぐらいである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です