ジャン=フィリップ・トゥーサン『浴室』をめぐって

LA SALLE DE BAIN 1989 John Lvoff
LA SALLE DE BAIN 1989 John Lvoff

あなたも今日から浴室男になってみませんか?

その昔、パリ郊外に一軒家を借りていたことがあり、
その際に感じたことの一つに、
バスタブが長い、と言うことだけを不思議に記憶している。
日本のバスタブは膝を折り曲げて入るぐらいのサイズ だから、
やはり、あちらの人が日本にくると窮屈に感じるんだろうな、
などと感じたものだ。

そのバスタブに、住む、と言うか
バスタブをお風呂とは別の使い方をする主人公の物語。
それがベルギー人の作家トゥーサンのデビュー作『『浴室』だ。
ちょっと比較の対象が見当たらない面白い小説である。

カミュやアロン・ロブ=グリエといった
いわば不条理文学の影響下にある作家ではあるのだが
彼らより、より親しみやすいのがトゥーサンの新しさである。

雨の日、アパルトマンから窓越しに
「水槽の中を歩いている」人たちをみつめる主人公。
日常をちょっといびつな詩的感性でとらえ直す作家なのかもしれない。

しかし、なにか特別な事件が起きるわけでもない。
パリに住む男が、ヤドカリのように浴室という空間を偏愛し
きまぐれに出たり入ったりする、ただそれだけの話である。

彼女もいるし、あっけらかんとセックスもする。
テニスもすればイタリアに旅行に出かけたりする。
母親や恋人の説得にも応じず、
浴室に対する固執をやめないだけで
とくに危険な人物でもイカレた変わり者でもない。

ちょっとばかりナルシズム傾向の強い
マイペース型人間といえばいえなくもない。
ひょっとすると、パリ中には、この手の変わり者ぐらいなら
珍しくないのかもしれない、そう思わせるのがトゥーサンの上手さだ。

完全なる引きこもり人間ではないものの、
現代人がかかえる他者との距離の置き方が
独特であり、そのあたりは病的というより、
自意識が強固な人間ではある。

そもそも、浴室じゃなくても
押し入れでも、倉庫でも、なんでもいいのだ。
間違っても安部公房の『箱男』のように
人間の帰属性を問いかけるような話しではない。

なんなら、今日からだって誰しもが“浴室男”として
デビューすることが可能なのだ。
ただし、この日本でそれをやろうとしても
浴室が狭いので、心地よさを期待するのは無理かもしれない。
といって、わざわざ浴室にお湯をはって、
優雅さに浸ろうとしたところで、
面倒臭ささと、いったい何をしているのか、
というような自己問答の板挟みで
すぐにでもやめてしまうのではないかと思う。

そもそも、そういう話を小説に書いてしまうトゥーサンの作家性に
惹かれてしまうのである。
1988年にジョン・ルヴォフによって映画化されていて、
それなりに面白い作品にはなっていたが
こちらとしては野崎歓訳で味わう文学の方が好みである。
が、その世界観は一応共有されていて、なかなか甲乙付け難いものがある。

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