アメデオ・モディリアーニという画家

Modigliani
Modigliani

アプレモディ。少し愛して、長〜く愛して。

「お金よりも励ましが大事なんです」
映画『モンパルナスの灯』のラストで、
モディことモディリアーニの絵を買おうとする
リノ・ヴァンチュラ扮する画商に向けて
アヌク・エーメ扮する妻ジャンヌがそういって、
嬉しさを顔いっぱいに滲ませるシーン。
何とも切ないシーンである。

モディは路上で倒れて
すでに息を引き取っているというのに
その発見者である画商が、
本来ならその時点でジャンヌの元に駆けつけるべきところ、
死と引き換えに、きっと値が上がるだろうという
さもしい商魂からその場にいて
絵を品定めしているに過ぎないのだ。
哀れなモディとジャンヌ。

実話では二日後ジャンヌは身重でありながら
モディリアーニの後を追って身投げする。
なんとも哀しい運命の画家、モディリアーニを描いた映画である。
仲間からはモディと呼ばれ親しまれていたのだが
フランス語では“Maudit =呪われた” という隠された意味が
文字通り運命をもてあそぶことになる。

映画の方は随所にモディリアーニの絵が鑑賞できるし
その短い生涯を描いた伝記映画として美術ファンにも知られ、
ジャック・ベッケルの代表作とされているが、
どちらかというと色濃いフィルムノワールの雰囲気に満ちている作品であるが、
正直、出来そのものは悲劇にのみフォーカスがあたり不燃焼気味である。

全編フィリップ・ジェラールの男前っぷりが眩しいのだが
物語上、絶えず重い陰を背負いながら
運命に翻弄されていく画家を演じている。
フィリップ・ジェラール自身早逝の俳優で
なんとなくイメージがダブって見えたりもするが
実物のモディリアニにしても映画をそのまま鵜呑みにはできない。

モディリアーニという画家は
死後評価がグンと上がった画家ではあるけれど、
生前から十二分に才能の萌芽を見せていた。
母親のエウジェニアは10代の頃からそのことを見抜いていたという。
だから、『モンパルナスの灯』を観ずとも
もっと売れてよかったのに、と思うが、
世間の目は冷たく、貧困を余儀なくされ
生きている間に十分な評価を得ることなく
この世をさってしまった。
最初の個展で傑作『横たわる裸婦』が
猥褻物陳列の疑いをかけられるぐらいの時代だから
不当な評価もやむ得ないのかもしれないが、
いちモディリアーニファンとしてはやるせない思いがする。

とはいえ、数多くの女性に愛され
スーティンやフジタといった画家仲間や
画商ズボロフスキーや妻ジャンヌといった
良き理解者にも恵まれていたのは事実で
酒に溺れず、もう少しまともな態度で画業に生きていたなら
十分にその栄光を手にできたはずである。
その意味では仲の良かったフジタとは
全く正反対の生き様のように見える。
ちなみにフジタは『モンパルナスの灯』で
演技指導として協力しているが、その絆は深く、
「私が死んだら、モディリアーニのそばに埋めてください」
そんな思いをいだいていたぐらいである。
はるばる日本という遠方からやってきたストレンジャーを
快く受け入れたモンパルナスの芸術家コミューン。
そして優しく微笑んだモディ。

そのモディリアーニの絵は主に肖像画だが
面長で長い首、瞳のない目、ちょっと傾げた首など
一目でわかる個性に彩られており
仲の良かった彫刻家ブランクーシの作品にも似ており、
そんな彫刻からの影響だという声もあるところだが、
ひとめ見ただけで、なにやら癖になるほど
魅惑的な絵画の様相を呈しており、
いまだに大好きな画家の一人として時折うっとり眺め入るのだ。
あの大原麗子に語らせたウイスキーの名コピー
「少し愛して、長〜く愛して」あれをそっくりそのまま
この不遇の画家に捧げよう。

リュシエンヌ・ボワイエ「聞かせてよ愛の言葉を」

武満徹が聴いて衝撃を受けたという、フランスのシャンソン「parlez-moi d’amour」を歌っていたリュシエンヌ・ボワイエの生誕地はモンパルナス。当時のエコール・ド・パリの連中とも交流があったリュシエンヌだから、きっとモディリアーニともどこかで接点があったのかもしれない。古き良き時代の香りを運ぶこの曲をモディに捧げよう。

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