ぐうの音もでない日本映画への強度愛
今ほど、日本人であることを強く意識させられる日々はない。
いい意味でも、悪い意味でもだ。
執拗に全体主義にあまんじ、
法的拘束なくとも、自ら自制心をもって
それ以上に厳格に、行動規制を作り出してしまう国民性。
かとおもえば、礼節や美意識を保守することで
秩序にそって他人をおもんぱかり、まじめに生きる美しい国民性。
それはたえず危険で背中合わせであるがゆえに、
あらぬ分断までを生じさせてしまっている。
どうやら、僕らはやはり世界でも特異な民族であるようだ。
それが今回、パンデミック騒動で露呈したといっていい。
なにより独自な文化、生活様式をもって歴史を生きてきた。
アニムズム、もののあわれ、武士道精神・・・
そしてそのなかの生死感を含むにいたるまで、
それは誇りであり、当然アインデンティティーそのものでもあるはずだ。
だからこそ、もう一度、その原点に立ち返って
この国に忖度なく、先入観をとぱっらって寄り添ってみて、
その中で生きる意味を考えてみたいのだが、
そのまえに、僕が愛する日本がこれ以上、
様々な不純さによって汚染されていく現状が
なんとももどかしいがゆえの日々が続いている。
だからこそ、とるべき道はおのず限られてくるのだと思う。
突飛なことは何もない。
野暮もなし。
できることは、まず、自分で覚悟を決めることだ。
嫌なものは嫌、ダメなものはダメ、
そして、いいものはいいと声高に叫ばねばならない。
今一度、誇りを認識すべき時なのだ。
そして信じる道を生きよう。
ただそれだけのことである。
自分を培ってきたこの日本の土壌に生まれ落ちた理由を
もう一度丁寧に洗い直す時期が来ている。
文化、風習、そして思想などを盾に
声高に叫ぶのは、なにも隣人を排除したいがためではない。
むしろ、排除されつつあるものを守りながら、
正しい道を模索する、それを新たな道標に掲げたいだけである。
そんなこともあって、まずは文化面に目を向けてみる。
いま、こういう時代だからこそ、大切にしなければならないものがたくさんある。
映画にしろ、アートにしろ、音楽にしろ、
自分が今まで好きだったもの、知ってはいたが、さほど気にかけてこなかったもの
あたりまえに見過ごしてきたもの、
全てをひっくるめて、ここで襟を正してみようと思う。
大げさなことではないはずだ。
奇をてらうことでもない。誇張するまでもない。
素晴らしき日本の鑑を再発見、再認識してゆこうというわけなのだ。
そんな思いから、まずは、日本映画の魅力に目を向けてみよう。
小津、黒澤、溝口、成瀬、木下・・・
巨匠達はいざしらず、僕が好きで魅了されてきた
素晴らしき日本映画のソコヂカラを
いまいちど、じっくりあじわってみたい。
特集:国宝級邦画を集めて。この指ほまれ。
- トウキョウ、モナムール・・・小津安二郎『東京物語』をめぐって
- 善悪の彼岸にて、人間の本質に懐疑が踊る、これが証文・・・黒澤明『羅生門』をめぐって
- 暦限り、命がけの不遇の不義密通者たちへの鎮魂歌・・・溝口健二『近松物語』をめぐって
- 恋愛に平安なし。地獄の門を潜るのは誰?・・・衣笠貞之助『地獄門』をめぐって
- ハレルヤ。この晴れなき、ぐずぐずメロドラマのまぶしさよ・・・成瀬巳喜男『浮雲』をめぐって
- 任侠かアートか、ミュージカルか? これぞおふざけ楽しやエンタメ映画の流れ者だ・・・鈴木清順『東京流れ者』をめぐって
- 切腹、満腹、ご立腹。究極の恨み武士道を斬る・・・小林正樹『切腹』をめぐって
- 『ケダモノ』はただものならぬ映画にこそ映えるもの・・・川島雄三『しとやかな獣』をめぐって
- ゲームの落とし前はちゃぶ台返しで・・・森田芳光『家族ゲーム』をめぐって
- リアルな悪を俯瞰する、あくなき欲望・・・今村昌平『復讐するは我にあり』をめぐって
- むかしむかしあるところに…愛という名のおばけ語り・・・大島渚『愛の亡霊』をめぐって
- 嫌味なく、闇をノワールに覆えるモダニズムとは?・・・市川崑『黒い十人の女』をめぐって
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