ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.25

セシボン、素敵な夏を取り戻したい

あれほどすったもんだあったオリンピックも
なんとか無事に閉幕を迎えようとしている。
(パラリンピックは残っているが、ひとつの区切りとして)
なにはともあれ、開催され、スケジュールが消化されてきたことを
あの当初に掲げたおもてなしの精神の盛り上がりに乗じて、素直に喜びたい。
叩けばいくらでも埃はでよう。
だが、一番ほっとしているのは、勝った負けたはさておき、
一年間の空白の日々と、先の見えぬ情勢のなか、
集中力を切らさず待ち望んだアスリートたちではないか。
彼らは、その悶々たる思いを、めいめい競技にぶつけ
結果、メダル以上のものをかち得た真のアスリートたちとして
その記憶を掛け替えのない思い出として
このトウキョウで、胸に刻み込んだことを願う。
日本がコロナに打ち勝った証しを世界に堂々発信し、
共感を呼んだ、などとは口が裂けてもいわないが、
少なくとも、物事が前へ進んだことだけは信じたい。

とはいえ、とりまく不穏な空気は相変わらずで
人々を混乱させ、まだまだ予断を許さぬ気配に満ちている。
アフター五輪には、問題は山積みで、この先の動向は未だ読めない。
すくなくとも、国民がひとつの筋道にそって
足並みをそろえ、収束に向かっているようには到底思えない。
今年もまた、開放的な夏はどうやら臨めそうもなく、
相変わらず、祭りや行事、イベントには制限がかかっており
良き日本の伝統や文化、産業が憂き目にあっている。
日常を取り戻す、という当たり前のことが幻想であることを
これほどまでに痛感することはない。
文字通りの平和で健やかな社会は訪れるのだろうか?
しかし、嘆いてばかりじゃ素敵にはなれない。
そもそもがそういう波動の人間はつまらない。
もはやすべては個の内側から、勇気をもって変えてゆくしかない。
「楽観主義は人類のアヘンだ」とはミラン・クンデラの言葉だった。

そんな気の滅入る空気に支配されないための素敵な出来事を
おのおのが見出し楽しむしかないのである。
そのことを、お題目として唱えるだけである。
戦後76年目の夏。
せっかくゼロからここまで来たのだ。
あともどりするやつらはこの際ほっておこう。
いつだって、まっさらな心をとりもどして、
希望ある未来へ、歩みだしてゆこう。
それが生きる意味、人生なのだ。

La vie c’est la vie: Henri Salvador

特集:自由と博愛とセシボン、夏の記憶

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