デイヴィッド・ホックニーのこと

David Hockney『Gregory Swimming Los Angeles March 31st 1982』
David Hockney『Gregory Swimming Los Angeles March 31st 1982』

まばゆいばかりのシミュラークルなプールサイドストーリー

暑い日が続くほど、プールのことがいやがおうにも気になる。
燦々と輝く太陽からのまばゆい陽光。
そして宝石のようにきらめく水面の美しさ。
肌が纏う水の質感、網膜にみなぎるあの物質としての水・・・
そういったものが好きなので、プールそのものが好きなのだ。

とはいえ、プールにはおいそれと通えないという人もいるだろう。
ホルガー・シューカイの名盤
『Movies』収録の「Cool in the Pool』を聴いて
デイヴィッド・ホックニーのプールの絵を眺めることを薦めよう。
ホックニーといえば、なんといっても
スイミング・プールからインスピレーションを得た、
色鮮やかなアクリルで描く「スイミングプールの絵画シリーズ」が有名だ。
それはそれでまさに水と光の平面上のシミュラークル。
仮に趣味のシミュラークルワールドなのだとしても、
これほど網膜に心地よいイメージはない。
水に戯れるように、絵に戯れるのもそう悪くもない。

ただ、個人的には、ホックニーに関しては、
80年代すでにポラロイドの写真のコラージュには
とても感銘を受けてきたのだが、
その後のホックニーのあの色鮮やかなポップアートには
どこかちょっと抵抗があった。

イギリスからアメリカ西海岸への移動とともに
20世紀のポップアートの巨匠に上り詰めた、
これほど明快なホックニーの芸術そのものを
理解するには多少の年月を要してしまったわけだ。
とはいえ『芸術家の肖像画―プールと2人の人物―』に
102億もの値がつくのだから
この美術界においてホックニーの価値、
人気のほどがうかがい知れるというものだ。

今では、あの楽観性が何ものにも増して眩しく思われる。
色彩の躍動、シンプリシティ。
ホックニー讃歌こそは、まさに生きることを肯定することを意味する。
ホックニーの絵の前で、誰の眉間にシワが寄るだろうか?
存在そのものが眩しいのだ。

ホックニーはピカソに多大な影響を受けてきた画家である。
まさにピカソこそがヒーローだという。
キュビズムからパースペクティブへと向かう波動の中、
一枚一枚異なった時間と視角が混在し
それら複数のポラロイド写真を合成することで、
視覚の盲点をあばきだすジョイナーフォト(つないだ写真)と呼ばれる世界が構築される。
まさにキュビズムが生んだ写真のマジック!
それがランダムに、自由気ままに構成されるのかと思いきや
台紙の上に線を引いて、緻密な計算のもとに編み上げられるものだという。
ポラロイドを並べただけの不規則な断片とも取れる
このコラージュは今見ても斬新だ。

ホックニーはその対象的な画家ベーコン、あるいは
友好を深めたポップアートの盟友ウォーホルと同じく同性愛者であった。
ウォーホルの日記には「ホックニーは可愛い。奇跡みたいだ」
というような記述が残されているほどだ。
当時からホックニーは、カラフルなネクタイ、良質なニット、
あのトレードマークの髪型、あの大きな丸メガネといった
いかにも英国人らしいセンスのファッションをして
収まっているポラロイド写真では
同性からも大いに羨望されるキュートさ?を誇っていた。

So  What?(だからなんだというのだ?)
ということなのだが、やはり、
あの感性には同性愛者固有の繊細な美意識が横たわっている気がする。
我々のみている世界は、
まさに斯様なまでに多面的であるのだということか。

しかし、八十の声を聴いても制作意欲は衰えず
毎日30分ほど泳いだあとに、iPadを使用してスタイラス・ペンで作品を描いているんだとか。
なんとも貪欲で素敵な好奇心の持ち主である。
こんな風に歳を重ねたいものである。

プール・サイド:南佳孝

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