植田正治をめぐって

ボクのわたしのお母さん 1950 植田正治
ボクのわたしのお母さん 1950 植田正治

永遠の砂丘少年

いまだにいたずら心はありましてね、河原で石を拾ってきたり。レンガのかけらとかもね。……自宅の黒いテーブルの上にいろんなものを置いてそれを撮ったり、コラージュをやったり、写真の上に描いたり、そういうことを最近はやることが多いんですよ。

植田正治『独特老人』より

世界と言わず、日本の名所観光にさえ、それほど興味はないが、
一度は行っておきたいのが鳥取〜島根の山陰地方。
とりわけ、鳥取砂丘、出雲大社あたりを
ぶらり気ままに旅してみたいものだ。
それこそは妖怪愛に満ちた偉大なる漫画家水木しげると
独創的でモダンな写真家植田正治を育んだ土地、
ということに最大のリスペクトを持って
日本の風土がもたらした恩恵ゆえの
創造的トポスをこの目で触れ確かめてみたい気がしている。

そんなことをふと思いながら、
鳥取砂丘といえば、真っ先に植田正治の写真を思い出す。
それぐらい切っても切れない関係性にある。
境港の履物屋に生まれた写真家植田正治は、
この砂丘と愛すべき家族をモティーフに
随分と素敵な写真を撮り残してきた人である。

「砂丘は巨大なホリゾントである」
自身そう語るように、まさに砂丘は植田正治にとって
恰好のスタジオになった。
その世界は日本の風景そのものであり、
ノスタルジックでありながらもモードを感じさせ
今尚一向に古びたりはしない。

80年代以降の写真は
とりわけ広告媒体を通して目にすることが多かったせいか
洒脱でモダンなイメージが浸透していくのだが
ルネ・マグリットを彷彿とさせるシュルレアリスティックなイメージや、
スタイリッシュな抽象性を帯びたコンポジションといった
砂丘シリーズよりは、もっと昔に撮られた
植田自身の家族をモティーフにした何枚もの写真の方が
はるかに心奪われるのだ。
とりわけ「ボクとわたしのお母さん」という一枚の写真には思い入れがある。

お母さんの着物の袖を引っ張る子供達。
お母さんの微笑み。
それを愛おしげに見守るカメラ。
このコンポジションこそが植田正治の根本にある、
永遠の少年性のようなものの原点のように感じるのだ。

海外においても植田調と呼ばれる
モノクロームの中の自由なコンポジションは、
確かに、洗練されたモードの美を映し出している。
もちろん、そうした側面にも随分刺激的だが
やはり、それ以前のヒューマンで
植田正治の意志を存分に反映した親和力をもった写真に
素直ににっこり微笑んでしまうのだ。

よく言われるところのオブジェ性を感じる写真を
数多く残してはいるが、
風景や人物そのものから滲み出る哀愁、
実験的でありながらも、
被写体や鑑賞者に寄り添う愛おしさが、
カメラという道具を通して抽出されるのだ。
そこにあるのは、決して高尚なる写真家の目などではない。

新しいもの、楽しくユーモアを感じさせるもの。
それらをブレることのないみずみずしい目と
オブジェとして、道具としてのカメラを通して
追いかけた永遠のアマチュアリズム。
そして永遠の少年性。

それこそが植田正治の写真に宿る精神性そのものだと思う。
そんな植田正治を育み、そして生涯にわたって魅せられたその山陰の風土に
いつか、尊敬と親しみをもって訪れてみたい。

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