ダイアン・アーバスをめぐって

『Identical Twins, Roselle, New Jersey, 1967』Diane Abrus
『Identical Twins, Roselle, New Jersey, 1967』Diane Abrus

双子座の季節にフリークスは微笑む

知的好奇心が強く、ノリが良くおしゃべり好き
コミュ力に優れているが、二面性あり・・・・
などというのが、よく言われるところの双子座の特徴らしい。
あくまでも個人差の考慮なき、一般的な占星術の話だ。
父親は六月生まれのそんな双子座の人だった。
山羊座生まれの自分としては
全くといっていいぐらい、接点のもてない人だった。
違和感を持つほど理解し合えなかった。
情も感性もなにもかもが乖離していた。
なぜあんなにも合わなかったのだろうか?

反対に我慢強く、忍耐を厭わぬ忍耐の星。
不器用であることに変わりはないが
長い年月をかけてコツコツ地道に階段を上り詰めてゆく
そんなイメージが我が山羊座の資質、なんて言い方をされる。
まさに風のように吹き抜ける双子座と
大地にしっかりと足のついた山羊座との絶対的温度差である。
無論、そんな単純なことではないにせよ、
遠からず当たっていなくもない気がしている。

さて、ここでホロスコープの話を延々を書きつらたいわけではない。
“双子”というキーワードを元に思い巡らせていたら
ダイアン・アーバスの一枚の写真が頭をよぎったまでである。

ダイアン・アーバスは両性具有や奇形、服装倒錯者、ヌーディスト、小人etc…….
あるいはあからさまに精神に問題を抱えているような
そんな被写体ばかりを選んで写真を撮り続けた、
いわば内的トラウマを想起させる写真家である。
当の彼女はうつ病の傾向があり、48歳の時、
アパートのバスタブでリストカットをして自殺を遂げている。

そんな彼女が抱えていた心の闇が、
そう簡単に解剖できるわけでもないだろうが、
彼女の撮った被写体を眺めていると
彼女が抱えていた闇の深度が次第にたちどころに表れてくる。

そんなダイアン・アーバスのもっとも有名な写真、
代名詞といえばこの一卵性双生児の写真だと言っていいだろう。
まっすぐにこちらに向かって投げかける二人の視線に
なぜだかグッと心に訴えかけてくるものを感じる。
だが、決して心地の良い写真ではない。
プンクトゥムが突き刺さってくるのである。

この感覚はなんなのか?
キューブリックの傑作ホラー
『シャイニング』のグレイディ・ツインズの
モデルとなったと言われるのがこの写真である。
あたかも心理そのものに強く訴えかけてくる強度がある写真である。

彼女が好んでカメラを向けたものを総称して
仮に、“フリークス”と呼ぶ粗暴さを許してもらえるとしても、
双子というものがそうした範疇に入るのかは
正直よくわからない。
だが、そうしたフリークスたちに混じって
アーバスが向けたカメラの先に、この一卵性の双子がいたのは事実である。
その感性が捉えたのはなんだったんだろうか?
再び、その思いが強くつのる。

片方は微笑み、片方がやや不機嫌そうに正面を見据えている。
身体的な不遇である結合双生児とは違い、
単に外見が著しく類似した二人というだけのことであるが、
この写真を前にすると、
何やらダイアン・アーバスが生前探し求めていた何かが
ふとかいま見えてしまう瞬間に出くわす。

他者への違和感。
一見正常なものの中にある異常性と
異常だと思われる中にある正常性という相反したものを
この双子の写真は語っているのではないか、
そういう見方があるわけだが、
彼女はそうした思いの中に自分を投影していたのか、
あるいは、安らぎを得ていたのか、
自ら抱え込んだ闇との間の葛藤を
こうした異物たちを通して確認していたのかもしれない。

世にいう正常とは?
反対に異常とは?
その差はなんなのか?

そして自分が抱え込む、この違和感とは?
少なくともこの双子の眼差しが交わる先にある個体そのものに対し、
その答えが重くしかかってくるような写真である。

ちなみにダイアン・アーバスという人は
3月14日生まれというから魚座である。
魚座のイメージはというと
愛に溢れる夢見がちな、ロマンチック風情などと称される。
その鋭い感性ゆえに優柔不断
精神的にストレスを抱えやすい性質があるという。
あくまでも彼女の一面に過ぎないとしても、
彼女が負っていた精神の闇に、
その性質が影を落としていたのかもしれない。

とは言え、最後はその不幸から脱し得ず、
心の闇を抱えたまま、その写真を残し、
自ら命を絶ってしまったわけだが、
そうした危うさが、写真ににじむがゆえに
一層痛々しく、胸が締め付けられてしまうのだ。

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