イジスをめぐって

『GALA DAY LONDON』1952 IZIS
『GALA DAY LONDON』1952 IZIS

愛を維持する地上の街、地上の星

千年万年の年月も
あの永遠の一瞬を
語るには
短すぎる
きみはぼくにくちづけした
くはきみにくちづけした
あの朝 冬の光のなか
パリのモンスリ公園
パリは
地球の上
地球は一つの惑星

「公園」ジャック・プレヴェール 小笠原豊樹訳

生きる為に働かねばならず
人生は思うようにはいかない。
当然誰にも泣き笑いがあり、
さあ、いったい明日はどんな一日が訪れるのか、
神のみぞ知るところだ。

人生は愛に包まれていると
美しく、微笑みたくなるものだ。
そんな当たり前のことを
さりげなくみせるのが、
写真のもつ魔力のひとつである。

いずれにしても、
あらゆる一日に、夜は訪れる。
そして朝がくる。
どんな人間も、愛を欲し、
世界中で、老若男女が恋し、愛を囁きキスをする。

そんな瞬間をいかにセンスよく切り取るか、
まさに、そんないたずらな微笑みを携えた街
そんな花の都巴里には
愛し愛された写真家は数知れない。
アジェ、ブラッサイ、ブレッソン、ドアノー。
そしてイジスという名で愛を維持する写真家がいた。

戦火の中で平和と愛を夢見たユダヤ人、
旧ソはリトアニア出身の写真家
イスラエリス・ビデルマナスは、
フランスに亡命し当初は画家を志望するも、
おそらくは生活の為に、
写真を選ばざるをえなかったのだろう。
フランスに帰化してまでそのパリに活躍の場を求め
イジスという名で、主に「パリマッチ」のフリーランスカメラマンとして活躍し
「何も起こらない場所のスペシャリスト」と称されたのだった。

かつてのパリには、世界中から芸術家が集い、
錚々たる詩人や画家の巣窟だった。
その自由な空気に恋い焦がれた芸術家は数知れず、
イジスもまた、そんな空気を嗅ぎつけた一人だった。

蜜蜂のごとく街中を飛び回り、
社会の端っこにいる、
自分と同じように、
どこか人生からはみ出したような
弱い存在に好んで目を向け、
カメラひとつで世界を切り開いてゆく。
そんな彼の一途な眼差しが、
詩人や文学者の支持を得て、
イジスは見事に花開くのである。

異邦人としての眼差し色濃く、
それらの写真は、
時代や国境を越え、様々な色に変化してゆく。
時に痛々しくも切なるきな臭さい背景をもちながら
ユダヤ人としての血を通して、
人生の悲哀を綴った彼の戦いの軌跡でもある。

イジスの写真集には、時代に名を馳せた、
フランスの文士たちが顔を連ねている。
コクトー、ブルトン、エリュアール…
とりわけ仲の良かったのが
マルセル・カルネの映画『天井桟敷の人々』の脚本家であり
シャンソン「枯葉」の作詞家でもある詩人ジャック・プレヴェールで
『Grand Bal du printemps(春の大舞踏会)』
『 GALA DAY LONDON(ロンドンの魅力)』
『Le Cirque d’Izis(イジスのサーカス)』
といった三冊の写真集が残されており、
詩と写真による愛を伝える美しきコラボレーション、
写真と詩の美しき婚姻を。
まさに愛に満ちた讃歌となっている。

言葉は胸を打ち、
被写体がより一層愛おしいものになる、
そんな粋な交感がなされているのだ。
重要な画家、写真家の周りには、
必ずと言っていいぐらい、
優れた詩人の存在があった。
それが、パリという街の魅力でもあった。

この連帯の意識に守られて、
イジスのカメラの前には、
兵士、女の子、子供、動物、大道芸人など
それら被写体になった他者との
愛おしい距離が雄弁に語られる。

写真、それはイジスにとって
愛を語るもっとも簡単な手段だったに違いない。
そんな写真家のことを
あえて、言葉に頼って
忘れずに胸に刻んでおきたいと思う。

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