野坂昭如のこと

野坂昭如 1930−2015
野坂昭如 1930−2015

心はどこか焼け野原

ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、
ニ、ニ、ニーチェがサルトルか、
みぃんな悩んで大きくなった。
オレもお前も大物だぁ〜。
昔そんなコマーシャルがあった。
なんだかわからなかったけど、
子供ながらに面白いなあと思っていた。
それがあの野坂さんだった。

失われたコマーシャルの感性。
そして野坂さんはもうこの世にはいない。
時々、懐かしく思う。
この人がいない現代に一抹の寂しさを感じる今日この頃である。

『鬼滅の刃』がものすごくヒットして人気を博しているけれど
ぼくはいまいち入っていけないところがある。
全否定はしないが、なんとなく違うのである。
なにがどうはいっていけないのかを、ぐだぐだ語るつもりはないが
その向こう側にはやっぱり『火垂るの墓』なんかがあるのはしょうがない。
感性が古い、新しい、ではないなにか・・・なんだろうか。
このあたりは、生前の野坂さんの誤解に満ちた立ち位置が
陰を落としているのかもしれない。

で、野坂昭如『東京小説』を引っ張り出し読む。
ぼくの今もっとも偏愛する日本の作家、
というか、しっくりくる作家というべきか、は、
漱石でもなく、谷崎でもなく
まごうかたなきこの野坂昭如なのである。
小説家としての野坂文学は、読んでみると印象がかわると思う。

思えば、昔、テレビでみかけた野坂さんには
随分失望させられたものだった。
いい意味でも悪い意味でも、メディアに翻弄された人だった。
つまらない論争に吃音混じりで口角泡を飛ばし
挑みかかる姿は痛々しかったし、
どちらかというとトラブルメーカー的な扱いを受けていた。
たしか、あれは新潟の何区だったか、
参議院選挙に立候補したときも覚えてる。
そのときは、これほど凄い作家だとは思いもよらなかったし
ここまで自分に入り込んでくる作家だとはつゆほども考えなかった。
なのに、一度、入り込んだらその文体の魅力と相俟って、
どんどんとその世界に引っぱりこまれてしまった。

まずは『エロ事師たち』に出会って以来、
確実にぼくはその世界の、脳髄的住人になった。
なんで、そんなに惹かれるのだろう、
ということをいつかきっちり分析してみたい、
そう思いながらいたずらに時間が過ぎた。
が、ここではあまりにもテーマがデカすぎる。
いや、そっとしておきたいところもある。
どこかナイーブなのだ。

この『東京小説』は、現在から未来へかけての
トウキョウの有り様、行く末を暗示している。
いわば、とてつもなく大きなテーマでありながら、
いつになく、野坂節はクールに、どこか達観したかのように
軽やかに決めてくれる14の短編小説からなっている。
野坂文学、その文体は麻薬のように読み手を酔わせるのだが、
その世界に踏み込んでいけばいくほど、
この作家の懐の深さを発見する。
そう、僕にってはNOSAKAとはたえず発見の作家でもある。

この14編の中で、「純愛篇」と「慈母篇」が大変心に留まった。
「純愛篇」は新聞配達の少女との架空の恋物語、
「慈母篇」は身勝手な、だが、
いかにも現代的な母親の元に生まれてしまった少年の、
痛ましくも無常なる物語。
是枝裕和監督の映画『誰も知らない』を彷彿とさせるストーリーだ。

かくして、野坂昭如という作家は昭和五年十月十日生まれ。
戦時中かいくぐり、
貧困と無常のなかをたくましく生延びて来た生粋の作家。
その限りなく人間の生の営みが輝きに満ちているところに惹かれるのだろうな。

ぼくは野坂昭如である。何がなんだかよく判らないまま、現在の生業につき、ひたすら動物本能によって、これまで生きて来た。だからガマもヤモリもゴキブリも御同業であって、とても殺せやしない、腹が減ってれば、くいものをやる。どうかみなさんも、腹が減ってるぼくをみたら、一食、お恵み下さいまし。ぼくはまだ焼跡にいるのです。

「東京小説 私篇」より

ちょっと不謹慎かもしれないが、
野坂さんって人は天に召されたおかげで神格化した作家、
というわけでもなく、
召されたことで本来の才能、功績が正当に評価されるべき
一作家に戻ったのだと考える。

この小説の作家の眼差しは心なしか優しすぎるのだ。
なんとなく危険な香りがするけれども、
そこにはどこか虚勢の面があって、だからこそ、
雨に打たれる子犬のようなところが時々顔を覗かせる。
野坂さんの小説を読んでいると
時々強力なアンビバレンツな感情が襲ってくる。
焼跡闇市派を標榜していたけれど、
そんな大変な時代を生き抜いたたくましさに憧れるところもあるが
いま、この空気を吸っていることに、
とても幸せな感情と物足りない感情双方をもよおさせるのだ。
令和になったから、何でもかんでも新しいものばかり、
という訳にはいかない。
できるかぎり、野坂さんの残した原風景に目を通して行きたいと思う。

ぼくが大好きなCMだった。いまやこんなCMを作る人もいないだろうし、
なにより、こんなことをCMで歌って様になる人もいない。
それがまたノスタルジックでいいんだけれども。

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