アラン・レネ『二十四時間の情事』をめぐって

HIROSHIMA MON AMOUR 1959 ALAIN RENAIS
HIROSHIMA MON AMOUR 1959 ALAIN RENAIS

わすれ敵は今日だけの恋人

8月6日は広島原爆投下の日。
三日後は長崎である。
何回目の夏だろうか?
夏だけはかくも律儀にやってくる。
セレモニーや報道も目に入る。
それぞれのヒロシマ、ナガサキがある。
が、個人にとって、なぜだかしっくりくるものが少ない。
正直、ひとつもない。

広島には縁もゆかりもない人間だし、
しかも、過去の話だ。
とはいえ、この国に生まれた以上、単なる一日とは考えられない。
といって、何ができるでもない。
あえて、黙祷もしない。
それだけで済まして、また日常に戻るのが怖いからだ。

そんななかで、あるときから、
この日は何かを思い出し、何かを考えるために、
自分なりの答えとして
原作マルグリット・デュラス、監督アラン・レネによる
『ヒロシマモナムール/二十四時間の情事』を観る、
ということだけを毎年、一つの行為にして繰り返している。
むろん、誰のためでもない。
正義のためでも、恨みの思いからでもない。
祈りでもない。
ただヒロシマを忘れないためだ。

ヒロインのエマニュエル・リヴァが
祖国フランスでのヌヴェールという場所を忘れまいと誓ったように
ぼくもまた広島の惨劇を決して忘れないために
決して風化してはならないという個人的な思いだけで
この映画を見る、ということを課しているのだが、
実はそれほど深く抱え込んでいるわけでもない。

それはまず、この映画を最初に見た時から
すごく琴線にひっかかり
大好きな映画であることも大きい。
ただ、これを反戦映画だと思ったことは一度もない。
デュラスのテクストもなんども読んだ。
一年ごとに観てもいまだ色々発見があり
あまり深刻なことを書くつもりもないので、言っておくと
ヌヴェール時代の若き頃のリヴァには
少々演出上無理を感じたものだが、あれはご愛嬌だ。
これはドキュメンタリーでもなく、紛れもない映画なのだ。

サシャ・ヴィエルニのカメラによって映し撮られた
まるでフィルム・ノワールのような
陰影を持った当時の広島の街並みが
不穏な空気感に包まれながら入ってくる
ジョヴァンニ・フスコの素晴らしきスコアとともに
終始目に焼き付いている。
時には原爆投下のドキュメントフィルムや
日本の反戦映画の撮影風景が挿入される。
その意味ではヒロシマは遠いながらも
どこかで近しい街として自分の中にも写りこんでいる。

世界で唯一の被爆国であり、そのご当地広島を介して、
遠くフランスで同じように戦争によって
愛が引き裂かれた女と
地元広島でまさに家族を失った経験を持つ男が
偶然に出会い、そして情事を重ねる中で
これから引き裂かれようとするすれ違いを
それをたった一日の出来事でまとめあげるという、
デュラスの脚本の素晴らしさを
改めて痛感することになる映画でもある。

「広島で何もかも見たわ」という女に
「君は広島で何も見ていない」と返す男。
女は遠い異国の被曝した事実は知っているが
本当のところ、何を理解しているわけではない。
無論、瞬時に全てを奪われてしまった犠牲者たちに
いくら言葉尽くしても
我々日本人だというだけでは何も理解などできないのだ。

そうした他者との違和感、ズレ、距離感。
理解し合うことの難しさ・・・
そうしたものの表層に男と女の戯れがある。
『二十四時間の情事』が優れた映画であるのはそこなのだ。

冒頭でも書いたように、
自分はただ、戦争の悲惨さを実感することもできないし
広島という街、あるいは悲惨な体験を経てきたものたちへの意識の共有もできない。
だが、それは無関心いうことにはできない何かがあるのだ。
岡田英次扮する男はそのことを感知している。
だから、女との別れを嘆いているわけではない。
その間に流れる決して理解し合えないものに出会い
その思いを広島という土地で受け止めるしかないのだ。

僕は観た。『二十四時間の情事』をすべて観た。
何年にもわたり、くりかえしくりかえし観てきた。
いや、結局僕は何も見ていないのだ。
そう、この『二十四時間の情事』、この映画ですら、
何も見てはいないのだと。

だからあえて僕はここに記しておこう。
どんなによくできた戦争映画やリアルな映像より
『二十四時間の情事』が心に響くのだと。

Hiroshima Mon Amour:Ultravox

 映画とは関係ないのだが、
イギリスのニューウェーブバンド
ジョン・フォックスが在籍していた頃の
オリジナルメンバーでのULTRAVOXが出した2ndアルバム
『Ha ha ha』に収録されていた曲が「Hiroshima Mon Amour」。
映画ではなくデュラスの本にインスパイアされた曲だと思うが
まさにニューウェーブらしい曲調で
今聴いても素晴らしいほど不穏な空気に満ちている。

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