上田慎一郎『カメラを止めるな』をめぐって

「カメラを止めるな」2017 上田慎一郎
「カメラを止めるな」2017 上田慎一郎

勢いを止めるな。ここから映画の未来を考えてみよう

“ゾンビ映画”というだけのジャンルに、まず、食指は動かない。
ホラーであれ、コメディであれ、
感動したり、偏愛的な情動に向かうのは
ある種、自分の中にある要素との間に
なんらかのつながりを見出す、あるいは感知するからであって、
他人からの情報を頼りに
ただ雰囲気にのっかかるということはまずないのである。
その意味では、1999年公開のフェイクドキュメンタリー
伝説の魔女「ブレア・ウィッチ」の森の中に、事の真相を求め入った3人組が
そのまま消息を絶ち、一年後に撮影したフィルムとビデオが見つかったという、
あの伝説の映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、
今見ると少々稚拙なところも窺えるが
当時、その発想にはいたく感動したものだった。
日本では、そのまた10年前の1989年に
アイドルの撮影現場で起こるホラー作品『邪願霊』が
ジャパニーズホラー、しかもフェイクドキュメンタリーの元祖的な作品として
監督石井てるよし 脚本小中千昭のコンビで制作されている

また、ジャームッシュのゾンビ映画『The Dead Don’t Die』に関心を持ったのは
単にジャームッシュの映画だからであり、
その題材がゾンビものだということに、
さほど重きを置いているわけではない、ということでもある。
ジャームッシュならゾンビ映画をどう撮るのか、
どう題材を扱っているのか、
という興味が掻き立てられるだけでの話である。
何しろ、あのイギー・ポップがゾンビ役だというから
それだけでも十分見たいと思わせてくれるに十分な話題だった。
(正直映画自体はそれほど面白くはなかったが)

同じく、昨年公開され大ヒットした
『カメラを止めるな!』という映画についても
たしかにゾンビ映画という触れ込みであったが
これまた矛盾するようだが、とても面白かった。
ただ自分として、この映画について
何を書けばいいのか、なんとなく考えあぐねて
時間が経ってしまったのは、
これまでの思考の切り口にはない何かを感じ取ったからである。

もっとも、実際の映画を見れば
単にゾンビ映画などではなく、あくまでも題材として
ゾンビという題材が映画の中に組み込まれているだけで
厳密にはゾンビ映画ではないことを理解するだろう。
言うなれば映画の中の映画、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』同様
ある種のフェイクドキュメンタリー作品
(ドキュメンタリー要素のあるフィクション映画)と言っていい。
この映画もまた低予算で製作され
評判が評判を生み、映画界にちょっとしたセンセーションを起こした
注目すべき映画である。
いわば新しい風を感じる映画であったことは間違いない。

そうした賛美の声が上がる一方で、
疑問の声も多数聞こえてくるのもまた確かなようである。
観る視点が違えば当然違った感慨にたどり着くのはやむ得ない話かもしれない。
何しろ、前半の37分に及ぶ『ONE CUT OF THE DEAD』が
そのまま、ゾンビ映画で、事もあろうに、ツッコミどころ満載の、
いわばB級を超えたC級と言っていい内容だったからで、
てっきり、その勢いで一刀両断に斬って捨てるような人間がいるのかもしれない。
だが、それはこの映画を見たことにはならないし、
評価基準にたどりついてはいない。
逆に、この前振りのゾンビ映画こそ、
この映画の価値を物語っているのが
後半の映画で証明されてゆく話なのだから
そこは当然のこととして注意深く受け止めるべきなのだ。

正直な感想をいえば、確かに面白い映画であったが
それがわが心に偏愛の印を残したのか言われれば
必ずもそうは言い切れないところがある。
何しろ、自分の持っていない要素、
普段自分が考えもしないような要素が
この映画にはあって、まずはそこに惹かれたわけだからだ。
よって、ここに書き連ねたいことは
そこからいかにして偏愛の高みにまで高じるものがあるかということである。
この辺で長い前振りをいったん切り上げよう。

この映画には、映画に対する情熱のようなものがしっかり描かれている。
まずは注目すべきはそこだ。
『ONE CUT OF THE DEAD』の監督役の人物は
実に温厚そうで、実生活ではどこか頼りないキャラを演じている。
が、ノンストップ長回しに勢いをつけるかのように
いきなり冒頭から、熱く映画に入れ込んだ熱情をぶちまける。
演出上、当然必須の流れであると思えた。
女優に対しては行き過ぎなまでの言動、
作品とともにそのテンションは上がる一方である。
そうした振りによって、この劇中作品のテンションが
非常に熱く設定されていることで、
そのネタあかしとして展開される後半が
俄然リアルに熱を帯びて迫ってくる。
言ってみれば、前振りの緩さを一気に回収してゆく展開が
見事な映画なのである。

そうした箇所を一つ一つ取り上げて説明するつもりはない。
この映画は自分の目で見て
その情熱的なフィードバックを自分の感性で受け止めるしかなく、
そんな映画だと考えるからである。
確かにコンセプトが面白く、
それゆえに、企画の勝利とも言えるが、
誰かが突出して目立つような作品でもなく、
個々のほとんど素人と言っていい俳優たちが
これまた輝きを持ちえている作品として
映画づくりの楽しさ、現場の躍動感には
素直に引き込まれてゆくところがある。

監督の、監督による、監督のための映画づくりでもなく
多分に手作り感が随所に溢れており、
そこがこの映画を安っぽいB級映画に押しとどめることもなく
とても開かれた自由な感性を前面に押しだしながら
人を楽しませるエンターテイメントとして
愛される映画づくりを率先して指し示したという意味で
賞賛されるべき映画であると思う。
ややもすれば話題先行の作品が多い中
特別に新しい映画とも革新的映画とも思わないが
少なくとも、映画の原点のような
みずみずしい感性に彩られた、映画の可能性をおし拡げる野心的な作品として、
次の展開を期待したくなる映画である。

同時に、そこに何か自分に語りかけてくるものがあるとすれば
まずは何事も先入観は捨てようということであり、
自分の声に素直に耳を傾けることの大事さである。
そこから一歩踏み出してみれば、物事というのは
案外予期せぬ方向へトントン拍子で進むこともあるのだと。
映画におけるスコトーマ(盲点)がそこにはあって、
とにかく物事は勢いという生き物は殺してはならないということなのだ。

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