山口小夜子のこと

山口小夜子 1949 - 2007
山口小夜子 1949 - 2007

キル・ザ・蒙古斑。わがボブカットエレジー 

なにはともあれ、お盆の季節がやってきた。
亡くなった先祖たちや、身内の顔を思い浮かべながら、
懐かしく思う気持ちがおのずと湧いてくる。
いろいろ、感慨はあるが、ひとことでいえば、
日本人として、生まれてよかったと思う。
クールに、ただそれだけだといっておこう。

そんな日本人のなかで、
ぼくにとっての日本を体感させてくれる人について書いてみよう。
日本人離れした感性と同時に
なにより特徴的な切れ長の目の美しき黒髪の大和撫子、
これほどまでに日本的な美意識を感じさせるモデルが
他にいるだろうか、そう思わせる
その名も伝説のモデル山口小夜子。
彼女が亡くなったのが2007年のこの時期だから、
ちょうど干支がすでに一周以上回ったことになる。

その彼女に影響を与えたのは
サイレントムービー、バプストの『パンドラの匣』で知られる
元祖オカッパヘアー、ルイーズ・ブルックス。
これまたカルト的な女優のひとりだが、
若き小夜子の部屋にはその写真が
ところせましと貼られていたという。

文化人類学者山口昌男によれば、
「ルル」というのは舞台芸術のジャンルで人気を博し、
女の道化師として、日常のモラルに抗った、
いわばアナーキないち体現者のことだという。
岸田理生原作、演出佐藤信の舞台『忘れな草』で
いみじくもルルを演じた山口小夜子の根底には
そうしたアナーキズムが脈々と受け継がれていたのだろう。

そうして資生堂のコマーシャルやポスターで
目にしてきたこの妖しき東洋の美。
山本寛斎に見いだされ、パリコレでさっそうとランウェイに登場するや
ニューズウィーク誌で、世界トップモデル6人のうちのひとりに選ばれたほどの、
トップモデルの最後が孤独死という、
ちょっとショッキングな記事が当時躍ったものだが
故人の尊厳のためにもそこにずかずか入って
どうのこうのと書くつもりは毛頭ない。

当時は鈴木清順の『ピストルオペラ』など
映画への出演も増え、身近に感じていた存在だけに
そんな彼女にはたして何があったのか気にはなる。
そのあたりは生前の彼女同様
ミステリアスなイメージがつきまとうのも確かであるが。
遺作となった『馬頭琴夜想曲』の監督木村威夫の
「あの方なら、悠々と三途の川を渡っていくんじゃないの」
という言葉には
現場でせっした人間ならではのリアルがにじむ。

そんな彼女のことを思いめぐらせながら、
パルコ出版からでていた山海塾とのコラボ写真集『月・LUNA』をながめていた。
舞踏というこれまた特異な被写体にまじってもなんら遜色なき存在感。
長い付き合いで、83年『小夜子』でも
彼女の美しさの際立つ写真集を撮りあげた横須賀功光は、
この企画でのイメージに当惑するあまり、
20キロも痩せたというから、
まさに魂と魂のぶつかり合いのような、
そんな壮絶な思いが込められている写真集であろう。

衣装を纏うことは生きることそのものなのだと
生涯「着る」ということにこだわったモデル、
それが山口小夜子の本質だが
そんなモデルという枠をこえて
「ウエアリスト」と自ら称して様々な表現パフォーマーとして
晩年にかけてはまさにアーティスト志向をたかめていった
彼女の経緯をみていると
まさに唯一無二な存在だというのもうなづける。
『山口小夜子 未来を着る人』という写真集が
河出書房新書から出版されているのだが
その辺りのことを偲びながら、
その写真、言葉を感慨深く眺めている。

また、写真家高木由利子とのコラボレーション、
トンがった蒙古斑を共有する時代の寵児たち32人のインタヴューを通し
美意識を再確認してきたプロジェクト「蒙古斑革命」からも
溢るるばかりの表現へのこだわりが伝わってくる。

演劇もダンスも朗読も音楽も、それぞれの役を『纏い』、踊りを「着て」言葉を「着る」、音楽を「纏う」という観点でとらえると、私の中で違和感無く表現に結びつけ流ことができるのです。この感覚は、幼い頃から好きだった着せ替え人形遊びと同じように無心になれる状態です。わたしにとっての表現とは、この無になる状態、むしろ自分自身を解放できる唯一の手立てとも言えます
「小夜子・再考」「DUNE」2004年春号より

そんな彼女のドキュメンタリー映画『氷の花火』が
2015年に公開されているのだが、
残念ながら見逃しており、いつかその機会をと
思っているが楽しみにしているが実現していない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です