アイリス・アプフェルについて

「アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー」2015 アルバート・メイズルス
「アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー」2015 アルバート・メイズルス

ファッションのみにあらず、丸くて大きな人生の虹彩学

アイリス・アプフェルという人がいる。
ご存じだろうか?
1921生まれというから
今年めでたく百歳を迎える老女である。
がしかし、なんとも若い。
気持ちがいつまでもみずみずしいウルトラおばあちゃんである。
いや、あえておばあちゃんなどという必要はない。
そもそもが失礼な言い方だ。
なんにしても可愛くてかっこいい。
誰しもこんな風に歳をとりたいが、なかなかまねはできない匠の域である。
まさに、風のように颯爽と生きてきた人だ。
そんな匠はニューヨークという街にみごとに映える、
いうなればファッションリーダー兼アイコンというわけである。

そんな長い彼女の経歴にもかかわらず、
存在を知ったのはつい数年前のことだ。
たまたま見たファッションデザイナー、ドリス・ヴァン・ノッテンの
ドキュメンタリー映画『ファブリックと花を愛する男』で
ドリスとは実に対照的なまでにインパクトのある彼女が
冒頭でそのドリスを称えるコメントで登場するのを目撃したことが最初だ。
そうして、インプットされた関心が、彼女のドキュメンタリー映画
『アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』へと行き着く。
ちなみに、今度はドリス自身が彼女の映画に登場する。
感性の波動はそうやって相通じていることを伝えている。
テキスタイルデザイナーからインテリアデザイナーをへて
実業家でもある彼女の生き生きした日常がさりげなく映り込んでいて、
なんとも気持ちが晴れやかで豊かになる映画である。
一にも二にも、アイリスの個性のもつ豊かさゆえのマジックだと言えようか。

なんといってもあの強烈な個性
大きな丸い眼鏡がトレードマークなのだが
その奥に実に聡明な眼をもっているのがわかる。
チープなものと高価なものを感性に沿って組み合わせる。
異質なもの同士を組み合わせる感性、
ときには極彩鳥のようにあでやかで過剰に思える装飾品纏ってみせるが
まったく嫌味を感じさせないコーディネートでうっとりさせる。
組み合わせ、閃き、ウイットの天才だが
一見派手な世界に見えて、そのどれもがとてもナチュラルだ。
個性的でありながらも優雅さと気品を決して忘れない。
ひとつの独立した魂としてのたたずまいがこれほど素敵に思えるのは
彼女の人生の歩みがそれだけ深みをもって刻印されてきたからに他ならない。

夫であるカールとの仲睦まじい関係。
仲間やスタッフ、関係者への信頼とさりげない思いやり。
人としても一流のオーラが漂っている。
100才まで生きることすら奇跡なのだが、
この人生の豊かさはなんだろう?
それは神の祝福を受け、同時に神の意にそっていなければ
けしてなしえない人生哲学が宿ってこそ、である。

そんな彼女のメッセージはいたってシンプルだ。
まずは人生を愛すること。
好奇心を持つこと、そして楽しむこと。
で、ものごとに固執しないこと。
ファッションは個性であり言語だが人間社会の縮図でもあるのだ。
長年連れ合った伴侶をすでになくし、
ひとりになってしまってはいるが、
彼女の視線の先は、すでに遠くて近い未来を見据えているのがよくわかる。
覚悟の定まった諦観の美学。

アート史のみならず、政治や社会にも精通する見識の高さ。
そして何より物事を見抜く力に秀でている。
私はケチなのよ、とさりげなく冗談を飛ばす。
が、それこそが人生哲学でもあり、
値切ることがマナーなのだと言ってのける。
言い値で買うような素直な客になら、
もっとふっかけておいた方が良かったと店主が落ち込むのだ。
だから、そこをあえて交渉するのが駆け引きのエチケットなのだと。
いかにもアイリスらしい美学である。

そして、なぜ子供をもたなかったのか、という問いには
すべてをもつことは不可能だと答える。
彼女が選択したは、インテリアでありファッションであり、
そして夫カールへの愛だ。
それだけで十分彼女は生かされてきた。
そうしたここちよいまでの潔さが彼女の魅力になって人を魅了し続けている。

彼女は人生を否定しない。
物事や社会を決して貶めたりはしない。
だから、反抗の美学等のとがったファッション哲学は見当たらないのが
ニューヨーカー、都会人の誇りのようだ。
どこまでもクールで、聡明な100歳の重みは
あたかも大空を渡る虹がもつ重量感に似ているような気がした。
貴女は風のドレスをまとい、色とりどりの光線を纏った虹である、と。
それは重くもなく、軽くもない。
彼女の人生哲学に、重さの単位は存在しないかのようだ。

最後に、監督アルバート・メイズルスについて、書いておこう。
フレデリック・ワイズマンらと並んでアメリカ・ドキュメンタリーの祖といわれ
『ホワッツ・ハピニング!ザ・ビートルズ・イン・ザ・U.S.A.(1964年)』
『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター(1969年)』等で
その名を知られている。
いみじくも、アイリス・アプフェルに向けたまなざしが遺作となったことも
このドキュメンタリーを感慨深いものに仕上げていると思う。
年齢を重ねた人間にしか描けない映像の深みがさりげなくにじんだ
良質のドキュメンタリーといえようか。

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