アルベール・ラモリス『赤い風船』をめぐって

Le Ballon Rouge 1956 Albert Lamorisse
Le Ballon Rouge 1956 Albert Lamorisse

風に放つ白と赤の酩酊を共に。不朽のファンタジストに乾杯。

メリエスの映画にはじまって、
アルベール・ラモリスの『赤い風船』『白い馬』へ。
フランス映画史に受け継がれるファンタジーの系譜。
素晴らしきイマジナシオンに拍手。

短編ながらも子どもを通して、
大人が失ってしまった純粋な感性を
シンプルかつイキイキとしたファンタジーとして描く作品である。
人間というものは他人の心さえ読めないのだから、
風船にしろ、馬にしろ、モノや動物の心など
読めるはずもないのかもしれない。
が、子どもというのはそんな難しいことを考えずに
素直に心あるまま思った通りに行動する。
だから、風船と仲良しになれるし、荒馬もココロを開く。
ファンタジーと言ったところで、
今日のハリウッド的、あるいはディズニーなんかの
豪華絢爛な世界とは違って
いかにも素朴な絵本の世界である。

だけど何故だか胸がキュンとするし
懐かしい子どもの頃の思い出が
みずみずしく蘇ってくる愛おしい世界がそこにはある。
いや、そこにしかないとも言える。
これよこれ、忘れてはいけないのものはこれ! 
思わずそう叫ばずにはいられない。
そう、子供は風の子、風とは太古の昔から大の仲良しだったのだ。

だが、のちにヘリコプターからの空撮
「ヘリヴィジョン」という自ら考案したシステムで
得意としたラモリスが
不慮の事故で命を落とす運命をたどるとは
なんとも皮肉な結末ではあるのだが、
その思いはこの作品でも遺憾無く発揮されている。
いみじくも風船仲間たちに救い出された赤い風船のように
その思いは時代を超えてどこまでも飛び続ける。

『赤い風船』の主人公の少年は、
実はモラリスの息子パスカルが演じている。
(他に娘のサビーヌも出演している)
街灯に結ばれた赤い風船を見つけそれを手にする少年。
手を離しても飛んでゆかない。
人懐っこい風船に少年の心も惹かれて友情が芽生える。
その風船と一緒に登校し、町を歩く少年に
悪童たちがほってはおかない。
少年と風船はメニルモンタンの町を脱げまわるが
とうとう意地悪な石の礫の前にしぼんでしまう・・・
そこからがこの映画のファンタジーのクライマックス!
色とりどりの風船仲間たちが町中から集まってきて
“友達”を救い出し夢の逃避行。
妖精なき妖精のファンタジーというコクトーの言葉通り
妖精たちのいる天を目指してどこまでも飛んでゆく。

次に『白い馬』にもふれておこう。
南フランスのカマルグ湿地帯にて、
一頭の白い暴れ馬に牧童たちが手を焼いている。
そこに出くわす漁師の少年フォルコだけは違っていた。
この暴れ馬が少年には従順なのだ。
赤い風船と同じく、馬は少年の友達だ。
まさにドキュメンタリーのようなタッチで描かれる。
馬のギャロップ、美しい少年の顔
そして、美しく純朴な南フランスの景観。
一体どうやって馬を手なづけるのか?
興味は尽きないが、
モラリスのマジックにただ感嘆するしかない。

元は写真家としてスタートするモラリスが
記念すべき劇場公開第一作目の『小さなロバ、ビム』が
ジャック・プレヴェールの目に留まったことで
その一筆が運命を切り開くことになる。
まさにこの2作目『白い馬』では詩人たちにとって
一陣の風のように軽やかなポエジーの交感がかわされる。
『赤い風船』共々、いずれの作品も短編部門でパルム・ドールを受賞し
短編ファンタジーの名手ラモリスの名を世に知らしめたのも驚くことでもない。

こうしてメリエスから始まり、ラモリスが昇華させたこうした感性が
あのトリュフォーの処女作『大人はわかってくれない』にも受け継がれていったのだろう。
子供騙しの商業ファンタジーに対する答えがここにある。
ポエジーの奇跡がもたらした映画に改めて乾杯!
そしてViva Lamorisse! 

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