ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』をめぐって

『ぼくの伯父さん』1958 ジャック・タチ
『ぼくの伯父さん』1958 ジャック・タチ

スクリーンで逢いましょう。ぼくの伯父さんフォーエバー。

この東京に、母方の血筋の伯父さんが住んでいる。
まごうかたなき血を分けた伯父さんではあるが、
近からず遠からず。
とくに親しい関係性を保っているいるわけではないが
それでもどこかでつながっているのは
不思議なところでもある。

もっとも、実際の伯父さんよりも
ぼくには身近につながっている“伯父さん”がもう一人いる。
長身でソフトハットにパイプを咥え
チェスターコートから蝶ネクタイをのぞかせ
寸たらずのズボンを履いてこうもり傘を手に持って
自転車に乗っている、というのが
ジャック・タチの代名詞である
「ぼくの伯父さん」ことユロ氏の外観である。

妹の亭主はホース工場を営み
モダンな住まいに住んで何不自由なく暮らしている。
彼ら親族は、このふ〜らりふらり風来坊の身内のことが
何かと心配になって、
やれ見合いだの、就職だのを斡旋し、
少しでも“まとも”になってほしいと親心を出す。
が、肝心のユロ氏は相変わらず、何事も器用にはこなせない。
そのことを理解しているのが、彼らの一人息子のみである。
もっとも、不器用を器用にこなしているかに見えるのが
伯父さんの伯父さんたる所以で面白い。
まさに“芸人”である。

そんな裕福な家庭アルぺル家で、
少年ジェラールはユロ氏がくるのをひたすらたのしみにしている。
まさに、少年にとっては、年上の夢先案内人なのだ。
それはモノではなくココロを満たしてくれる存在であるからに他ならない。
ユロ氏はどんな文明の利器にも勝る、そんな存在なのである。
子供は建前などより現実そのものを支持する生き物なのだ。

モダンな邸宅に住まう妹夫妻の生活に浸透したある種の特権、
それゆえに、この映画が機械文明や物質主義への批判
という見方もあるけれど
今見ると、ユロ氏が奏でるそのスラップスティックな挙動全てが
時代ののどかさを伴って見事に息づいている。
それは反体制などという物騒な響きではなく、
むしろ無関心、何処吹く風ゆえの軽やかさであり、
そのことが、未だユロ氏への親愛の情が揺るがない
ただ一つの理由なのかもしれない。

それにしても縁もゆかりもない、
ただスクリーンを通してだけの関係でしかないというのに
どうしてこんなに親しみがわくのだろうか?
なぜ愛おしくなるのか?
トレードマークのあの出で立ちと犬のシルエットのポスターを
見たことがあるだろうか?
あのイメージですっかり安心してしまうのだ。
わざわざ言葉で説明するよりも見ればわかることではあるが
タチのユーモアには心をさりげなくくすぐる
魔法のような所作が隠されている。
言葉を発しない、そのパントマイムの演出は
無声映画のような趣はあるが、
ハリウッド産のコメディとはやはり少し違う。
それは映画を観た人間にしかわからない感覚である。
だからそこ、世界中にタチ愛好家タチによる愛が広がるのだ。

ゲラゲラと腹を抱えて笑うようなものではなく、
瞬間クスリとはするものの、笑いを咬み殺すかのような
そんなユーモアとエスプリの効いた洒脱なフレンチコメディの傑作として
未だ根強い人気を誇っている映画である。

それにしてもアルぺル家のモダンな建築は楽しい。
こんな記念館があれば、現代でも人気を博すかもしれない。
庭の魚の噴水や幾何学模様の庭の装飾は実に楽しいが
何と言ってもユロ氏の住まいが乙である。
古めかしい良き時代のフランスのアパートに
まるでとってつけたように、屋上に建て増ししたかのような
ユロ氏の部屋がある。
およそモダンとはいい難いけれど
でもどこか羨ましいような、楽しいような
まるでアリの巣なんかの断面図を見るように、
蜂の巣の内部構造にワクワクするかのように、
上から下、下から上にあけすけに移動するユロ氏から目が離せないのだ。
その間、幾度となく隣人宅を横切って出入りする事になるのだが、
プライバシーもへったくれもないこの住宅設計に
良き日のフランスのイメージが重なってくるのである。

そこで、ユロ伯父さんは一体何者なのか?
というようなことが気にはなるわけだが、
この映画においてはユロ氏はユロ氏でしかない。
絶えず、何かをやらかすことで
物語を巧みに波うたせるボケ役ではあるが、
寅さんのように、やおら情を押し付けることはない。
この辺りが日本とフランスの違いであろうか。

ちなみに、丸一年を要する撮影日数、総制作費は約1,000億円、
のちにフランス映画史上、もっとも大きな損失を出したといわれる
「トラフィック」を撮らなければ
もう少し長く活躍して、生きている間に
称賛の的になっていたかもしれない。
それでもオーソン・ウェルズやトリフォーは
その才能をすでに見抜いていたし、
ゴダールは『右側に気をつけろ』でそのオマージュを捧げた。
多くのフォロワー、ファンを獲得したタチへの愛は
今尚色あせることなく語り継がれてゆくだろう。

拝啓、ユロ様
ぼくもこの東京で元気にやっています。
またお会いできる日を楽しみにしてますので、
くれぐれも、お体にご自愛くださいませ。
そんな思いを、本当の伯父さんには告げてはいない。

ぼくの伯父さん~ジャック・タチ作品集 オリジナル・サウンドトラック

一家に一枚、騙されたと思って、このアルバムをぜひ日頃の友に加えてほしい。
人生が味気ない、辛い、悲しい、意味を見出せない・・・
嘆く前に、これを聴こう。
忙しい時に聞けとは申しませぬ。
休日や、ちょっと手が空いた時に、ふと耳に飛び込んでくる洒落た旋律に乾杯。
幸福がどこからともなくやってくる、そんなアルバムだ。

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